諸葛孔明の意思を継ぐ者
小前 亮 朝日新聞社 2010.3
諸葛孔明死後の蜀漢の動きを書いている。
三国志における蜀漢は一地方政権に過ぎないが、国是に漢の復興を掲げていた。そのため、力がないにもかかわらず、漢の復興の手始めとしての形だけの北伐を繰り返していた。そこは魏の辺境である。諸葛孔明が亡くなっても、姜維が後を継いで北伐を繰り返し、国力を損耗していった。結果、蜀漢の滅亡を早めることになる。
姜維(きょうい)は降将である。諸葛孔明に心服していたが、諸葛孔明の死後は都に居場所がなかった。そのためもあって常に戦場に身を置こうとしていた。そして自ら戦いを求め、魏の二将に攻め込まれて、蜀漢は滅ぶ。
そんな姜維の心の動きが、納得できるのだ。後の歴史を知っているわたしには共感できないが、あの時代としては、復漢を心の糧として、国をまとめたのかもしれない。
魏は国力があり、魏の将軍は蜀軍に負ける心配がなく、蜀を倒すことより、自分たちの派閥争いが中心となっていた。それだけ力の差があったので、劉備の時代ならともかく、劉備と孔明の亡き後の世代の蜀の高官たちが北伐を止めようというのは当然である。
それでも北伐を続けた。そんな姜維の物語。