1981年の夏、ネガフィルムによる撮影である。
夜行の列車に乗り、新島島からバスに乗り、朝早く上高地に着く。時間など詳しいことは覚えていない。
朝靄の中で大正池を望む
バスから降りて、大正池に向かう。当時の大正池はこの枯木立が象徴であった。いまではほとんど消えてしまった。
当時は上高地を詳しくは知らなかった。どこかで名前だけは知っていたかも知れないが、それがいかなる所か知らなかったのだ。
池の向こうに朝日がさす。このもやは池の蒸気だろうか、下の方ほど濃い。
この旅行の数年前に友人が一眼レフを買って、要らなくなった古いカメラをわたしが譲り受けた。それで多少カメラの使い方を覚えたころ、一眼レフオリンパスOM2Nを買った。これは最後のマニュアル機ともいわれている、珍しい絞り優先であった。オート露光の機能はついているが、焦点は自分で決める。
上高地の撮影は、OM2Nの使い初めであった。
間もなく遠くまで見えるようになってきた。
作家の夢枕獏さんが、もっと上流の山小屋でアルバイトをしていたのはこのころだろうか。もっと前かな。獏さんの当時の写真はプロ裸足。初めからポジフィルムを使っている。わたしは紙焼きのこともあって、ネガフィルムを使っていた。
指導標にはなんと書いてあるのだろうか。穂高の峰は近い。
少し上流に歩くと池というより川に近くなる。この川沿いの道を遡ると槍沢沿いに槍ヶ岳に行く。穂高岳を右にまくような道である。
上高地は、穂高連峰の直下といえる位置にある。
一日目は穂高の山並みがはっきり見えた。こうして急峻な峰が間近に見えるのは貴重な体験。
田代池から流れ出た川。日差しがおだやかで、わたしのお気に入りの一枚である。
カメラのカバーをこの砂地に置いて写真を撮っていたのだが、十分後にはなくなっていた。
振り返れば焼岳が見える。大正池はこの焼岳の噴火によって川がせき止められてできたもの。この山は活火山である。今でも煙を噴き上げているはず。
その夜は中の湯温泉に泊まった。ここは焼岳登山の基地でもある。
夕食をあまり期待していなかったわたしたちは、鯉の唐揚げを頼んだ。それが普通のおかずだけでたっぷり、そこに大きな鯉の唐揚げが出て、食べきれないほど(^_^)。それでもなんとか食べてしまった。