明日香村(あすかむら)といえば、日本古代史の地である。
奈良県の中央付近にあり、中央集権律令国家の誕生の地であり、飛鳥時代の宮殿や史跡が多い。
いまだ村であるのは、村全体が史跡であり、開発が制限されているからだ。
1977年5月、そのときは、まだ村についての詳しいことは知らなかった。わたしが初めてカメラを持ったときだった。
岡寺駅で降りて、バスで村役場近くまで行った。その近くの民宿に泊まった記憶がある。
第一の目的は岡寺(龍蓋寺りゅうがいじ)であった。この寺には掌にのるほどの小さな観音像があるはずだった。しかし、それは京都博物館に貸し出されていて、見ることはできなかった。後に京都博物館で見ることができた。
いま岡寺を検索しても、この像の話が出てこない。どうなったのだろう。
岡寺は少し登る。
仁王門、西国七番霊場岡寺。
ここも岡寺と思うが記憶にない。上記の観音像がなかったのですぐに退散した。今ならじっくり見るだろう。見所は多いようだ。
小さな寺だという記憶がある。とんでもない、大寺らしい。当時は寺や宗教に対する知識がなかったのだ。
石舞台古墳
バスに乗って石舞台古墳へ。封土がなく、石が露出している。蘇我馬子の墓ではないかといわれているが、被葬者は不明である。
最大級の方墳であり、天井石は約77トンもある。
当時は農地の中にぽつんとあって、訪れる人もほとんどいなかったが、今では整備された公園になっている。
川原寺(かわらでら)跡。国の史跡に指定されている。礎石を見ると、大寺院であったことを実感する。
向こうの寺は弘福寺(ぐふくじ)で、川原寺の金堂かあったところ。
川原寺(かわらでら)は、飛鳥寺(法興寺)、薬師寺、大官大寺(大安寺)と並び、飛鳥の四大寺の一に数えられた大寺院であった。
向こうに見えるのは橘寺。
川原寺跡のすぐ近くに聖徳太子ゆかりの橘寺(たちばなでら)がある。
橘寺の本尊は本堂に聖徳太子、観音堂に如意輪観音。
天武天皇9年(680年)4月に火災に遭っている。つまりこのときには寺があった。
史実としては、橘寺の創建年代は不明である。
この寺には五重塔の心柱の礎石がある。このとき心柱は礎石の上に乗っているだけと知った。それまでは地中に埋まっていると思っていた。
有名な亀石。製作意図は不明で、未完成説も有力。
以下の石は猿石と呼ばれている。
何のために作られたのだろう。