1989.3.11〜12
冬に弱いわたしは、冬山の経験は3回しかない。これが3回目で、しかも山には登らず、麓を歩いたのみだ。
美濃戸口から歩き、美濃戸山荘の前から北沢の道を歩き赤岳鉱泉に行った。翌日は行者小屋に行き、南沢を美濃戸に下った。登山というよりハイキングといった方が正しい。
参考地図
http://www.naganogakuren.net/tozanMap/saniki/05yastugatake/03akadake
以下、写真を撮った位置はおぼろなので、細かい説明は省く。
登山道ははっきりしている。
北沢を何度か横切った。
枯れ木の根元は氷が着いていた。水は流れている。
赤岳鉱泉に泊まった。次の日も晴れていた。南へ行者小屋へ向かう。
赤岳。この連峰の主峰である。
朝早く零下18度を体感した。登山靴の中まで冷え込んで靴を脱ぎたくなるほど。
硫黄岳。横岳の北。歩いている背中の方向になる。
大同心。このコースでは目立つ。
阿弥陀岳。縦走路から外れた位置、赤岳の西になる。
大同心とはどんな意味だろう。
横岳。のこぎりの歯のような峰の形は判りやすい。
赤岳は見上げるだけで済ます。
南沢のコースを下る。
風のない穏やかな日であった。
30年ほど前の山旅の記録ですね。
当時を思い返しながらゆったりとアップ作業も素敵な時間を過ごされていますね。
フィルムの時代の写真はひと手間かけてデジタル変換それも楽しんだり?
ですかね?
一枚一枚に思い出が詰まった昔撮られた写真も、さぞや沢山あるのでしょうね〜女性の恰好に昭和の時代を感じ懐かしく思いました。
奈良県は京都に隠れて目立たないけれど良いらしいですね
私は大昔に中学の修学旅行で行ったきりですが室生寺は凄くイイらしいので
ゆっくりと行ってみたいところです!!
ブログにアップする意味も同じなんですが、当時を思い返す、そして正しく知る。
もし自分で見ているだけだと、曖昧なところはそのままにしてしまいます。でもひとに見てもらうとなると、正確に確認しなければなりません。その確認作業が強制される、それでないとアップ出来ません。
そのようにして思い出すことや確認もありますが、さらにこの整理作業で新たに加わることや正確に知ることがある。そんなわけで一手間かけて、デジタル化しています。
たとえばブラタモリで、前に行ったところを取り上げると、懐かしくなり、わくわくします。同時に「そうだったのか」と新たな知識を得る。そんな感じでしょうか。
女性の服装で年代を知る。これはわたしには無理ですね(^_^)。
奈良は近いうちにまた行ってみたいと思っています。
結婚して妻が心配するので、本格的な冬山は登らないようになりましたが、その前は毎年の登っていた山です。
山陵にテントを張って御来光で光り輝く神々しい山の姿が忘れられません。
大同心は私の仲間は登っていますが。私は登らずじまいでした。
大同心は大道心とも書いたそうです。正確な意味は分からなくなっているようですが、道心は仏道を修めて悟りを得ようとする心ということですが、出家のことも指す場合もあります。
この聳え立つ姿を大道心と小道心として高貴な二人の僧に見たのかもしれません。
阿弥陀岳、権現岳など八ヶ岳には宗教的な名前が多くありますので・・・。
昔、山は山岳信仰の対象でしたので、宗教色の名残が各地にありますね。そういえば行者小屋の名もそうでした。
それぞれの人が貴重な記憶を持っていて、わたしにもこのような貴重な記憶がある。このような経験や知識、その記憶は自我の確立に役立つ。だから今でも山仲間には感謝しています。一人では行けませんでしたもの。
特に八ヶ岳は何回登っただろうか。東京からは行きやすい山でした。オコジョさんのようにテント、まして冬のテントはわたしには無理ですが、こういう経験がそれを想像させます。
また、いつか…、と思っても、わたしにはもう無理ですね(^_^)。