2017年05月23日

飯盛山

会津5 飯盛山
 会津若松市は観光地を巡って循環しているバスがある。
 まちなか周遊バス、左回り“ハイカラさん”、右回り“あかべぇ”である。一周55分。30分ごとに通る。1日乗車券(500円)を買えば何度でも乗り降りできる。なお1回だけは210円。
 これ以外のバスもある。わたしはこのまちなか周遊バスを使った。
 市内は片道通行が多く、工事中もあって、バスの駅(観光案内所)の説明図と実際の通行路が違うので注意。印刷されたカラーのバス路線図で、現在の通行路を確認する。裏には時刻表がある。
 会津若松駅前の、ハイカラさんの第一便は8:00。あかべぇの第一便は9:15。

 5月2日、晴れたので飯盛山に向かうことにする。あかべぇは待てないので、駅前から歩いて飯森山に行く。約2キロメートルなので、30分ほど。

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 駅前から東へまっすぐに歩くと、飯盛山の前に出る。バスなら5分。

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案内図、楽な参拝順路を行く。

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 白虎隊記念館の前を通り厳島神社の鳥居で右に曲がる。

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 厳島神社は小さい。

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 戸ノ口堰洞穴
 猪苗代湖の西岸戸ノ口から水を引いた。トンネルの水道である。

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 あの白虎隊20名は戸ノ口原の戦に敗れ、この洞穴を通って、ここまで来た。洞穴の長さは約150メートル。

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 水神社、この水道を守っている。

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 水の少ない会津盆地を潤す。

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 この階段を上れば栄螺堂(さざえどう)だ。

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 栄螺堂、この狭い建物に、登りと下りの二重の螺旋階段が組み込まれている。全体像が特異な形をしていることで栄螺堂という。正式名称は三匝堂(さんそうどう)。個人の所有物。

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 宇賀神、来歴も諸説あり、わたしには意味不明である。

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 ここを上がれば白虎隊十九士の墓に至る。

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 白虎隊十九士の墓所。20人が自決しようとしたが1人は助けられた。

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 そばにある慰霊碑

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 ローマ記念碑
 昭和3年、白虎隊の武士道の精神に共感を覚えたローマ市から寄贈された。柱はポンペイの廃墟から。

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 自決の場、この少年の見ている方向に鶴ヶ城がある。自決のとき、まだ城は落ちていなかった。
 通説では、戸ノ口原の戦に敗れ、疲れた身体で水道を通り、城の煙を見てこれまでと思った。
 実際は、城が落ちていないことは知っていたが、圧倒的な兵力の差があり、生き恥をさらすのを望まず、自決したという。その前に城に戻るか玉砕するかで激論があったという。

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 ちょっと見ただけでは、鶴ヶ城の建物はどこにあるか判らない。城の樹木に阻まれてこの写真では判別できない。城まで2キロほどだが、当時でもはっきりは見えなかったのではないか。見慣れているし、城の樹木の位置で、建物の位置は一目で判ったはず。

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 白虎隊は、会津戦争に際して会津藩が組織した、16歳から17歳の武家の男子によって構成された部隊である。五隊で合計343名である。白虎隊は本来予備軍だが、全兵力が出払い、援軍要請に対してこの少年部隊しか残っていなかった。
 装備も旧式の銃であり、火縄銃よりましという程度。官軍の新式銃の前になすすべもなかった。
 ローマ記念碑も、イタリアでは話もないのに、こちらから要請したとか。
posted by たくせん(謫仙) at 06:00| Comment(4) | TrackBack(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんにちは
ハイカラさんは乗りました。
ただ、東山の宿への足としてですが、飯盛山は下から見上げただけでしたが・・・
下を通ってここが飯盛山かと・・・
青森への新幹線の指定の関係もあり、降りられませんでしたが。ここは惜しいことをしたなと・・・
感じを掴ませていただきました。
会津若松、機会があれば。再訪したいところです。
Posted by オコジョ at 2017年05月25日 12:54
オコジョさん
わたしは東山温泉は行きませんでした。一人なので、温泉より観光の便のよさを優先してしまいます。
飯盛山に限らず、会津若松全体が歴史の舞台ですが、ちょっと引いて見てしまいます。
素晴らしい事跡でも本当はどうなんだろう。これはわたしの癖です。
白虎隊の惨事は、生き残った人が一人いたので、真実らしきものが伝わっています。
その他の情報もインターネットだけでは、そのまま載せるのは躊躇します。会津の伝承と比較して、自分で納得してから載せることになりますね。
らしい、だろう、という、などがどうしても多くなります。
わたしも再訪したいのですが、他にも行きたいところがあるので、行けるかどうか。
Posted by 謫仙 at 2017年05月25日 18:12
たくせん様
細かいようですが、間違いではないのですか、名前としては洞窟ではなく、洞穴ではないかと。
見たところ、とても立って歩ける高さとは思えませんね? そんなに大きくは見えません。実際はどうでしたか。
Posted by 美少女 at 2017年06月03日 20:19
美少女さま
ありがとうございます。確かに固有名詞は「戸ノ口堰洞穴」です。訂正いたしました。
この洞穴は長さが約150メートルで、これも追加しておきました。
白虎隊の少年たちでも、まっすぐ立って歩けるとは思えない高さでした。おそらく屈んだ苦しい姿勢で歩いたことでしょう。疲れ切った身体でやっとたどり着いた。これも悲劇の原因だったと思われます。
Posted by 謫仙 at 2017年06月04日 05:52
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