5月3日、帰りも会津田島で東武鉄道の“リバティ”に乗り換える。
すぐの電車もあったが、次の電車にすることにし、2時間ほど田島で過ごした。
この桜を見たために途中下車。駅の脇に咲いていた。
この桜の下に蒸気機関車も展示されている。街も歩く。
“ちょっこぐら”とでも読むのだろうか。まずこの大通りを歩く。
7月22日から24日にかけて会津田島祇園祭が行われる。そのとき運行される本大屋台である。
1981年に“田島祇園祭のおとうや行事”として、国の重要無形民俗文化財に指定された。
本屋台・中屋台・上屋台・西屋台の4つの大屋台から成る。というが、わたしはこの屋台を見て、初めてこの祭りを知ったので、詳しくはこちらをご覧ください。ウィキです。
会津田島祇園祭
駅の南側を歩いた。橋に至る。川の上流を見るとずっと桜が見える。川はコンクリートの味気ない川だが、桜の並木を見て上流に歩いてみた。
川といっても水流はほとんどない。
八百メートルを超える桜並木だ。
途中にあった個人の庭。左下の砂礫は道である。
大きく横に張り向こう岸に届きそう。
突き当たったので、別な道から引き返した。
花は白く、葉はすでに伸びている。本来の桜はこうなんだろうな。
レンギョウらしい、こんなに大きくなるんだ。
この丸形の屋根は田島駅である。駅の南側を三角形に歩いた。
駅の北側には屋台会館がある。この文を書くために調べていて知った。
ここはそば屋であるが、実際に入ったのはこの向こう側の写真にはない小さなそば屋。
満足できるおいしさだった。
1時間くらいいたと思いますが。田舎町という感じでしたね。こうしてみるといい街ですね。
当時は東武線は田島には来ていなくて、会津若松に出て、東北本線経由で信州に帰りましたが、遠かったなという記憶です。
大内宿一度行ってみたなと・・・
会津鉄道沿線の大内宿は観光地化してしまったようですが。一度行ってみたいなと思っています。
40年も前なら、野岩鉄道はまだでした。出来てから、一度尾瀬夜行で尾瀬に行きました。
大内宿は昔の同じ形の家が整然とたちならんでいるところですね。今回は見ませんでした。
田島が祇園祭をやるエネルギーは大変なものなので、古くから開けた町ではなかったかと思います。
知らずに歩いて思わぬ発見をした気分です。