2007年06月18日

天竺熱風録

    田中芳樹   新潮社    04.10.20
 唐の初め、玄奘三蔵がインドから帰ってきたころ、唐二代太宗皇帝の命をうけ、外交官としてインドに行った、王玄策の物語。
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 文官なのに将才があって、八千の借りた軍を率い、十万の軍を蹴散らすという、天才的な人物。
 文体は講談調なので、人によっては、嫌うかも知れないが、わたしは抵抗がない。
 往きは、長安−成都−チベット−ネパール−マガタ国。
 帰りはいわゆるシルクロード。一部の人は海路で帰ったりで、当時すでにいろいろなルートがあった。
 蜀の桟道ものならず、万丈の山、千仞の谷などの、難路を通ってマガタ国についたが、目当ての戒日王は亡くなっていて、政権を奪った悪王が人々を苦しめている。
 この悪王、実は猛女の奥方に逆らいきれない人物。つい同情してしまう(^_^)。
 それはともかく、使節団一行36名も、牢に閉じこめられてしまう。
 王玄策は、波羅門僧の助けを借りて、脱獄に成功。このとき、戒日王の妹である盲目のラージャシュリーと、王妹に仕える少女ヤスミナに助けられるが、このふたりはこの物語の清涼剤。
 一行を救うため、ネパールに戻り、八千の兵を借りる。
 マガタ国王が民心を得ていないのが、王玄策の頼みであった。
 借りた八千の兵を率い、十万のマガタ国軍を破って、一行を救い出す。
 このマガタ国軍は二千頭の象部隊を中心としていた。
 象部隊といえば、現代の戦車部隊のように強力だが、決定的な弱点があった。象の食料の補給である。そのため短期決戦を望まざるを得ないが、実はそれ以上に王玄策は長期戦には耐えられなかったのだ。
 それを見破れないマガタ国王の哀れさよ。

 どこまで本当か。読み終わり、あとがきなど読むと、けっこう史実に基づいている、というより、判る限りの史実は取り入れたようだ。
 それにしても、中国とインドの交流が、これほど活発とは思わなかった。
 随行の仏教僧、智岸・彼岸の両名のやりとりが、狂言回しのよう。
 二人は海路で帰国しようとするが、帰途についてスリランカを過ぎるころ、亡くなってしまう(これは史実)。
 脱獄を手伝った老波羅門僧も長安まで来る。
 自称200歳。
 どう見ても180歳にしか見えないそうだ(^_^)。
posted by たくせん(謫仙) at 07:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 書庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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