2017年08月06日

幻庵

幻庵(げんなん)
百田尚樹   文藝春秋   2016.12
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 古来、中国では琴棋書画が君子の教養であった。棋とは碁のこと。
 この碁を爛熟させたのが、江戸時代の日本であった。それは幕府の家元制度によった。
 碁の家元制度は実力主義である。本因坊・安井・井上・林の四家があり、それを取り締まる名人碁所(ごどころ)が頂点にいる。碁所の権力は強大である。碁所になるには名人にならねばならない。
 この名人を目指して技を磨き、同時に碁所の地位を争う。江戸時代の二百六十年間に誕生した名人はわずか8人。
 幻庵とは、十一世井上因碩(1798−1859)のこと。隠居後、幻庵を号とした。
 本来十世であるが、幻庵の時代に一世井上因碩の前の中村道碩を一世としたため、十一世と伝わるようになった。今から見ると児戯に等しい。
 井上家では代々因碩を名乗ったので区別するため、引退後の号をつけて、幻庵因碩と言われる。八段(準名人)になった。名人は原則1人であるため、一応最高段位に登ったといえよう。

 幻庵因碩の時代を中心とした、戦国から昭和までの囲碁界の様子を俯瞰した小説だ。さらにAI囲碁まで言及している。
 主人公は幻庵を中心とした同時代の棋士たち。ライバルの本因坊丈和も幻庵なみに生き生きと書かれている。
 特に対局シーンは迫力がある。これは著者の文章力のたまものだ。ただ、棋譜のない観戦記のような文は、読んでいてもどかしさを感じることがある。しかもかなり大げさに感じる。
 “恐ろしい手”だとか、“凄まじい妙手”とか、言葉を並べられても、ホントかなと思ってしまうのだ。
 江戸時代の碁は失着が少ない。それは時間に縛られないことと、公式な対局が少ないことにあった。高段者のみが年1局である。それに準ずるような対局も、多くはなかった。少ない機会を生かさねばならない。ゆえにその1局に集中する。現代碁とは異なり、原則、時間は無制限。1日では終わらないことが多かった。失着が少ない理由である。
 現代は年50局でも珍しくない。時間の制限があり、秒読みはいつものこと。
 小説中で、ときどき碁の解説を加えるが、この解説では、碁を知らない人にはたぶん意味は判らないであろう。といって省いていいものか。
 碁は勝負を争う。しかし家元制度は芸術の域に高めた。たとえば、このままでは2目の負けとなる。そんなとき、投了するか、あるいは最後まで最善手を打ち、1目でも差を少なくしようとする。これが芸であり美学である。
 しかし、勝負手として逆転を狙う手を打つこともある。勝負を争うなら当然であるが、場合によっては、手のないところに打った、棋譜を汚したとして、その人の評価を落とす。
 あるべき姿はどちらか。登場人物も悩むところ。

 幻庵は、吉之助→橋本因徹→服部立徹→井上安節→井上因碩→幻庵(引退後の号)と名を変える。
 家元制度は実力主義、我が子でも実力がなければ篩い落とす。弟子の中から最強者を選んで跡を継がせる。適当な人がいなければ、他の家から貰い受ける。そのとき養子縁組をする。
 子は父の名を継ぎ、養子縁組後は新しい名となり、さらに義父の名を継ぐ。それで姓名共に変わっていく。同じ名の別人が登場する。当代か先代か先々代か。区別は前後の文ですることになる。
 事情は判っていても、人物を知らないと判りにくい。この人誰だっけ、という状態になりやすい。
 全体的に、歴史書を読んでいるようで、かなり冗長に感じる。この冗長部分を削り、幻庵に集中した方がよいと思う。
 持碁を芇と書き「じご」とかなをふる。芇に「じご」と仮名を振るくらいなら「持碁」でよいはず。芇(べつ)の字にこだわる必要性がないと思う。
posted by たくせん(謫仙) at 11:49| Comment(0) | 書庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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