西條奈加 新潮社 2005.11

近未来の日本の北関東から東北にかけて、一万平方キロの鎖国状態の「江戸国」が出現。競争率三百倍の難関を潜り抜け、入国を許可された大学二年生の辰次郎。身請け先は、身の丈六尺六寸、目方四十六貫、極悪非道、無慈悲で鳴らした「金春屋ゴメス」こと長崎奉行馬込播磨守だった! ゴメスに致死率100%の流行病「鬼赤痢」の正体を突き止めることを命じられた辰次郎は――。
というのが宣伝文句だが、内容はむちゃくちゃで面白い。このゴメスの登場のときの様子と、やることなすことがマッチしなくていつまでも疑問がつきまとう。
登場したときは話の通じない、極悪非道の暴力団の親分並み。それなのに、腕っぷしといい、博識といい、推理力といい、常識といい、全くもって天下一品なのだ。こんな人がなぜあんなむちゃくちゃな登場の仕方をするのか、という疑問だ。
今更文明国の民がそこへ行きたがるか疑問だが、江戸時代は、懐かしいような、生活は苦しいけれども不幸でもないような、不思議な魅力がある。これはあまたの小説で、いいところを掬い上げたのを、読んでいるからだ。
江戸時代へのタイムスリップというやり方もあるが、この小説では同時代の鎖国地という設定である。
著者は、このような、江戸時代ではあるが、ある一点を異世界にするという仮定を好むようだ。わたしの好きなSFである。
解決策は外国(例えば日本)にあるのだが、それを取り入れない。嫌なら外国に行けばいい、江戸には江戸のやり方がある。この言葉に尽きるようだ。