川端康成 新潮社 昭和37年
碁と読書が好きな人で、この本を読んだことのない人は珍しいだろう。
不敗といわれた本因坊秀哉名人の、引退碁を題材にした実録小説である。
ノンフィクションのようだが、小説に分類されている。
相手の大竹のモデルは木谷実である。モデルというよりも木谷その人である。
昭和13年6月26日から12月4日まで、打ち継ぎながら半年かけて一局を打つ。この大時代的な莫迦らしい対局のやり方も、これが最後となった。
不敗の名人といわれたが、現代の棋士とは異なり対局数は少ない。負けないコツは勝負をしないことという、剣の柳生流の神髄を身につけている名人であった。
体重八貫(約32キロ)、この小さな体では、この大勝負をする体力もない。細い足は、小さな上体さえ支えるのがやっとという。現代なら対局不能で不戦敗になるだろう。
それでも対局できたのは、木谷をはじめ多くの人の協力があった。
川端は言及していないが、あるとき、弟子同士が対局をしたとき、秀哉は二人に小遣い程度のお金をわたし、二人の対局料のほとんどを自分の収入にしたという話がある。考え方は封建時代から一歩も出ていない。
自分は働かず、弟子の収入を自分の収入として疑問をもたない。旧時代の遺物と言えよう。
結局、本因坊の名前まで売ることになる。
相手の木谷はこのときすでに18人の内弟子を育てており、新時代の旗手となる予兆が感じられる。
2007年06月26日
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迫力のある、小説ですね。
でも、ある程度、でも、ある程度、囲碁を知らないと、
わからないところがありますね。
初心者のわたしは、理解できないとろこや、わからないところが
あって、そのまま先へ行ってしまいました。
本因坊秀哉名人の引退を飾る為に為に勝ち抜き戦をして、
このようなイベントを、企画すること、そして、観戦記者が
川端康成というのもすごいですね。
そして、病弱の名人の為に、人々がささえて、
半年かけた、壮絶な勝負・・・
昔の人たちの、碁への思いがつたわる本ですね。
引退碁のために対戦相手を決める棋戦を行う。今のように強い人は年間50〜70局も対局する時代では相手にされないでしょうね。
当時は正式の棋戦は大手合しかなかったが故に可能だったのでしょう。
32キロといえば子どもの体。その体で半年の戦いは、更に体をむしばんだ事でしょう。
それから、この小説の構成も判りにくい理由ですね。
短編小説を合わせて、中編小説分の大きさにしたので、時系列になっていなくて、あっちに飛んだりこっちに飛んだりしています。再編集すれば良かったろうに、と思います。
日本棋院の最高の部屋は「幽玄の間」といいますが、そこには川端康成の書「深奥幽玄」が飾られています。
碁も強かったことでしょう。