2018年06月21日

柴又帝釈天

柴又帝釈天
久しぶりに柴又の帝釈天にお参りした。
経栄山題経寺(きょうえいざん だいきょうじ)という。
江戸時代初期の1629年創建。
日蓮宗の寺である。司馬遼太郎は「法華経とは愚にもつかぬ教典であるが、……」 と言っていた。わたしと同じ考えだ。ただし、信仰と教典は別物である。わたしは法華経の信者に対して、尊敬も侮蔑もしない。宗教活動は他の宗派を攻撃しない限り尊重する。
  参考 司馬遼太郎と法華経
 わたしは、我が家の先祖代々の寺の、宗派の経典を読んだことは、一度もないのだ。それなのに法華経は読んだ。
 だから、信者としてのお参りではなく、観光である。

P6039789.JPG
 柴又駅は、小さな駅である。

P6039787.JPG
 駅舎にはツバメの巣がある。注意書きもあった。

P6039792.JPG
 なんと言っても柴又は「男はつらいよ」の寅さんである。
 毎回、騒動を起こしては、柴又に居られなくなって出ていく寅さん。このシーンは何度見たか。

P6039791.JPG
 寅さんをひとりで見送る、妹のさくら。
 本当の主人公はさくらではないか。団子屋の店員として、妹として、主婦として、母親として、一家をなんとか結びつけていた。上手くいかなくても絶望せずに、毎回こうして寅さんを見送っていた。

P6039796.JPG
 帝釈天の参道は、いつも人が溢れている。

P6039797.JPG
 私 生まれも育ちも
 葛飾 柴又です
 帝釈天で産湯をつかい
 姓は車 名は寅次郎
 人呼んで
 フーテンの寅と発します
   山田洋次

P6039800.JPG
 二天門
 参道途中の写真はなく、門前に着いてしまった。
 あとの二天は帝釈堂の中。四天王は須弥山の四方を守る。

案内図
 適当な案内図がないので、帝釈天の案内図を紹介。
 左上の駐車場が、元ルンビニー幼稚園の跡。ルンビニー幼稚園は近くに移った。

P6039803.JPG
 瑞龍松と帝釈堂。帝釈堂には内殿が続く。
 二方に延びた枝の長いこと。

P6039804.JPG
 大鐘楼。映画ではなんども出てきた。ここに寺男の源さんがいた記憶がある。

P6039808.JPG
 祖師堂(本堂)。元帝釈堂だったが、江戸時代に移築した。

P6039809.JPG
 釈迦堂

P6039812.JPG
 塔供養の図 金子光晴作
 帝釈堂内殿の外側には大きな10枚の彫刻が並んでいる。そのうちの2枚を紹介。小さい彫刻は数え切れない。

P6039813.JPG
 三車火宅の図 木嶋江運作
 10枚は大正から昭和初期にかけて彫られた。このため、柴又帝釈天は彫刻の寺としても知られている。
 案内図の喜見城は内殿も含めた帝釈堂の別称か。
 喜見城とは、須弥山の頂上中央にある帝釈天の住まいである。善見城とも。

P6039838.JPG
 邃渓園(すいけいえん)
 永井楽山 作

P6039840.JPG
 なかなかに趣のある庭園である。屋根付きの回廊が一周している。
 
P6039841.JPG
 回廊を通って、反対側に来ると池がある。

P6039834.JPG
 回廊を一周した。

P6039849.JPG
 帝釈天附属 ルンビニー幼稚園
 初めて帝釈天に来たときは、回廊の後ろにあって、回廊から見えた。いまは少し離れた場所に引っ越していた。
 なお、ルンビニーとはゴータマ・シッダッタ(釈迦)の生誕の園地である。

P6039850.JPG
 幼稚園の生け垣、なんだろう。柏(コノテガシワ)と思ったが、断言できない。
posted by たくせん(謫仙) at 10:14| Comment(0) | 山房筆記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
×

この広告は90日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。