久しぶりに柴又の帝釈天にお参りした。
経栄山題経寺(きょうえいざん だいきょうじ)という。
江戸時代初期の1629年創建。
日蓮宗の寺である。司馬遼太郎は「法華経とは愚にもつかぬ教典であるが、……」 と言っていた。わたしと同じ考えだ。ただし、信仰と教典は別物である。わたしは法華経の信者に対して、尊敬も侮蔑もしない。宗教活動は他の宗派を攻撃しない限り尊重する。
参考 司馬遼太郎と法華経
わたしは、我が家の先祖代々の寺の、宗派の経典を読んだことは、一度もないのだ。それなのに法華経は読んだ。
だから、信者としてのお参りではなく、観光である。
柴又駅は、小さな駅である。
駅舎にはツバメの巣がある。注意書きもあった。
なんと言っても柴又は「男はつらいよ」の寅さんである。
毎回、騒動を起こしては、柴又に居られなくなって出ていく寅さん。このシーンは何度見たか。
寅さんをひとりで見送る、妹のさくら。
本当の主人公はさくらではないか。団子屋の店員として、妹として、主婦として、母親として、一家をなんとか結びつけていた。上手くいかなくても絶望せずに、毎回こうして寅さんを見送っていた。
帝釈天の参道は、いつも人が溢れている。
私 生まれも育ちも
葛飾 柴又です
帝釈天で産湯をつかい
姓は車 名は寅次郎
人呼んで
フーテンの寅と発します
山田洋次
二天門
参道途中の写真はなく、門前に着いてしまった。
あとの二天は帝釈堂の中。四天王は須弥山の四方を守る。
案内図
適当な案内図がないので、帝釈天の案内図を紹介。
左上の駐車場が、元ルンビニー幼稚園の跡。ルンビニー幼稚園は近くに移った。
瑞龍松と帝釈堂。帝釈堂には内殿が続く。
二方に延びた枝の長いこと。
大鐘楼。映画ではなんども出てきた。ここに寺男の源さんがいた記憶がある。
祖師堂(本堂)。元帝釈堂だったが、江戸時代に移築した。
釈迦堂
塔供養の図 金子光晴作
帝釈堂内殿の外側には大きな10枚の彫刻が並んでいる。そのうちの2枚を紹介。小さい彫刻は数え切れない。
三車火宅の図 木嶋江運作
10枚は大正から昭和初期にかけて彫られた。このため、柴又帝釈天は彫刻の寺としても知られている。
案内図の喜見城は内殿も含めた帝釈堂の別称か。
喜見城とは、須弥山の頂上中央にある帝釈天の住まいである。善見城とも。
邃渓園(すいけいえん)
永井楽山 作
なかなかに趣のある庭園である。屋根付きの回廊が一周している。
回廊を通って、反対側に来ると池がある。
回廊を一周した。
帝釈天附属 ルンビニー幼稚園
初めて帝釈天に来たときは、回廊の後ろにあって、回廊から見えた。いまは少し離れた場所に引っ越していた。
なお、ルンビニーとはゴータマ・シッダッタ(釈迦)の生誕の園地である。
幼稚園の生け垣、なんだろう。柏(コノテガシワ)と思ったが、断言できない。