2007年06月27日

香乱記(上中下)

    宮城谷昌光   毎日新聞社   04.3
 始皇帝によって統一された秦朝は、始皇帝の死によって滅び始める。
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 各地に反乱が起き王がたち、戦国末期の様相を呈するが、結局、項羽と劉邦の時代になり、劉邦によって統一される。
 虐殺を繰り返す項羽、裏切りを繰り返す劉邦。この漢と楚の戦いは中国の人口を半減させた。
 そんな時代に「知・仁・勇」をかねそえた男がいた。斉の田横である。
 斉の国は田家の三兄弟が立ちあがり、独立を目指した。そのため、混乱の時代でも、斉の国は比較的穏やかであった。
 その田家の末弟の田横を中心にした、その家臣たちと乱世の群像の物語である。

 いつもの宮城谷節で、他の人の欠点と同じことをしても欠点とせず、些細なことでもやたらに持ち上げすぎている気がする。それがないと感動の物語になるのだが。
 同じような人は他にもいたであろう。だがそのまま歴史に翻弄され、表に出ずに消えたと思う。
 プロスポーツなどでもよくある説だが「彼はこれほど努力したのでトップになった」
 実際には、同じように努力した人はいくらでもいる。しかしトップにはなれないのだ。それを誰でも努力すればトップになるような記述には賛同できるはずがない。
(別な本「奇貨居くべし」では呂不韋(りょふい)をあまりに美化しすぎたので、結末の平仄が合わなくなってしまっているほど)

 田横の最期は理解できない。
 渤海の廟山列島に小さな王国を作った田横に、皇帝劉邦の招きがかかる。
 応じれば王侯になれ、断れば島を攻撃して誅殺すると。
 田横は二人の従者と洛陽の近くに行き、自決する。劉邦は王として葬礼するが、そこで二人の従者も自決する。
 後に、招かれた家臣500人も洛陽に来て、そのことを知り、自決する。壮烈な最期であった。
 だが、この田横の行動は「知・仁」を兼ねそなえているといえるのか。もっと別な手があったのではないか。
 史記列伝にも同じ記述があり、作者の創作ではないのだが、腑に落ちない。こういうところで、持ち上げすぎが仇になる。
 
 わたしは司馬遼太郎の「項羽と劉邦」を読んでいる。それ以外にも、この時代の記述は劉邦の視点で書かれたものが多い。
 それを田横の視点で書くと、様相が一変する。
 複数の視点を持つことの重要さをあらためて認識させる物語である。
posted by たくせん(謫仙) at 09:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 書庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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