2007年06月29日

本因坊殺人事件

  内田康夫  角川文庫  昭和60
 実をいえば推理小説というのはあまり好きではない。
 ルパンやシャーロックホームズなど読んだが、最近は食指が動いたことがない。それが本因坊の名につられて読んだ。

 まず、殺人現場から話が始まる。
 夜明けのころ、殺人者は海縁の断崖からガードレールを越えて男を落とすのだが、

思い切り遠くへ抛りだした。

 まあそれは怪力だったとしよう。
 それを海上を潮に乗ってゆっくり流れていた釣り船の客が見ていた。それが石鯛のアタリが来ていたので、釣りに夢中になって、警察への連絡が午後になった。
 人が崖から落ちたのに、それを放って置いて釣りに夢中とは。考えられぬ。
 しかも潮に乗って流れる舟で石鯛が次々とヒットした。そんなことがあるのだろうか。
 釣りの名人ハマちゃんも舟から根魚の石鯛を釣ったことはない。わたしは石鯛を釣ったことがある。岩礁の魚なのだ。舟で近づけるものではない。
 石鯛を狙う人が集団で舟に乗ることはありえない。

 さて、本題、本因坊が二日制の対局で思考時間の長短でモールス信号を発するという。それでいながら、碁はしっかりと打っている。
 このハイレベルの碁で、それが可能か。根本的な疑問が生じる。
 それはさておき、終わってみるとそのようにして暗号を作る必然性が感じられない。はっきり言って、ない。
 金庸小説ならそれほど気にしないのだが、推理小説で無理を感じてしまう。
 また
 初老を越えた高村が
 とある。初老は40歳だが、なんと56歳前後なのだ。
 確かに40歳は越えているが。
 老いを感じるころという意味もあるが、その場合「初老を越えた…」と表現するかな。
 一度疑問を感じると、こんなことまで気になってくる。

 ストーリー展開は巧みである。後に量産するのもこの力量があるならと思わせる。
posted by たくせん(謫仙) at 06:09| Comment(6) | TrackBack(0) | 書庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
この本は、読んだことがありますので、コメントをしようと思っているうちに、「たくせんの小部屋」から消えて、書庫総目次に行って見ました。 「ハリーポッターと賢者の石」なんてあって、一寸驚きました。
書庫総目次のなかに、わたしの読んだ本は数冊で、その一冊が、「ハリーポッターと賢者の石」なんて・・・
実に愉快でした。わたしは、手術をして入院した時に読みました。(ハードカバー、ブックオフで105円でした。 笑)
なかなか素敵な物語でした。
話が脱線しっぱなしですね。
内田康夫の推理小説は、よく読みました。
過去形なのは、最近は、読んでいないんです。わたしは、片道30分くらいの列車通勤した。
なかなか、思考を要する本は読めません。おなじ、推理作家でも、夏樹静子は、考え込んでしまって、切れ切れではうまく行きません。
内田康夫は読み易く、わかりやすい。
性の描写も無く、爽やかです。
無難といえばいいのかも・・・
推理小説は一回読むと、ほとんど、処分してしまいますので、、詳しいことは覚えていないのですが、
本因坊殺人事件は初期の内田康夫は作品ですね。
川端の「名人」も、チラッと登場しましたね。

この小説については、よく覚えていないのですが、
碁について、いえば、詳しい、謫仙さんのいうとおりなんでしょうね。

思うのですが、趣味の世界とおなじ小説は、、どうしても、読みたくなるのですが、
この点は、なかなか、満足できないですね。

どうしても、あらが見えてしまいます。
前に、内田康夫は旧穂高町から、穂高を仰いで、感嘆する小説を読みましたが、内田康夫は旧穂高町からは常念と蝶ヶ岳の影で、絶対に見えません。


こうしたことと、文学の価値というのは、別とは、思ってもなかなか、なじめません。
知らないことは、幸せなこともあるようです。

あまり、本題と関係ない、コメントになってしまい、失礼しました。
Posted by オコジョ at 2007年07月05日 17:04
 ハリポタは全部読みましたが、前回信じられないようなまずい訳があって、熱が冷めました。次回は古本屋を待つことにします。
それはともかく。
 内田康夫は実はこれ一冊しか読んでいないんですよ。推理そのものには興味がなくそこに語られる蘊蓄、今回なら棋戦の様子などを読みたいのですね。そこがいい加減だと、面白くない。
>旧穂高町から、穂高を仰いで…
 知っている人は、のどに刺さった魚の骨ですね。わたしなら先を読む気が失せてしまいます。
 挿絵でも同じことがありますね。いい加減な挿絵を描く人もいる。逆に文がいい加減で挿絵に困ることもある。
 あるとき、挿絵画家の話を聞いたことがあります。その文を再掲しますm(__)m。

 二次会では、ちかちゃんの苦労話やお色気話を聞いた。挿絵画家で一世を風靡した人である。小説を書く人は判らないときは、その描写を避けたりして、逃げることができる。だが、絵は逃げられない。そのため膨大な資料を集めた。
 たとえば、帯一つでも家康の時代と家光の時代は違う。女の帯の締め方も、江戸時代は胴に巻いたが、戦国では男と同じく腰に巻いた。島田(ゲイシャワルツで揺れた髷)でさえ時代によって変わっているので、時代小説は確認しなければならない。
 松本清張の小説で旅行の話があって、そこへ旅行して、絵を描いたところ、松本清張が大変喜んでくれたとか。作家によっては、その苦労が全然判らない人もいるとか。出版社でも判らない場合が多く、しかし読者の目は鋭いので手が抜けないとか。作家にはいい加減なものがいて、描くのに困ったとか。
 江戸時代は月代(さかやき)を剃っていたが、これは本来兜を被るためで、実際に兜を被った戦国時代は大きく剃って坊主に近かったが、江戸時代は形だけになり、細くなった。
Posted by 謫仙 at 2007年07月06日 07:20
挿絵画家の話は、素敵ですね。
きっと素敵な絵を描くんでしょうね。
良い仕事というのは、際限ない世界なのでしょうね。
どこで、妥協するかですね。
そして、流行作家になると、妥協が、早くなるようですね。
芥川賞の作家は、受賞作が一番良くて、後は、イマイチという作家が多いですね。

確かに、流行作家は締め切りに追われて、取材がおろそかになりますし、いちいち行ってもいられないのでしょうが、現在は、情報に溢れていますし、調べるのは簡単ですから、最低限の調査は必要ですね。

>旧穂高町から、穂高を仰いで…
ほかの部分も本当かなとなりますね。

最近WEBで、なにか調べようとすると、そっくりおなじ、文章があちこちのWEBに出てきます。
著作権違反は、もちろんですが、WEBの個性はと思うと、寂しいですね。
確かに、わたしも、知らないことは、同じように調べて、書いていますが、幾つか当たって、自分の中で、下手なりに、消化して書いています。

謫仙さんの文は、そうした点で、自分の考えが、明確で素敵です。
Posted by オコジョ at 2007年07月06日 09:48
濱野さん(ちかちゃん)についてはこちらをどうぞ
<A href="http://takusen2.seesaa.net/article/24282920.html">濱野彰親 個展</A>
挿絵ばかりでなく普通の画も描いていました。
今ではWEBで調べられますが、
>幾つか当たって、自分の中で、下手なりに、消化して書いています。
わたしも同じように心がけています(^_^)。
WEBに載せてしまえば、もう自分の意見。出典が間違っていたにしても自分の責任。
間違いに気がついて訂正したことも何度か。
判らない場合は、「判りません」と書くようにしています。

わたしも小説を書いたことがありますが、自分の持っているすべてを使って書いて、ようやくひとつの作品となっても、次の作品となるともう材料がない。
芥川賞は渾身の力で書いたから、訴える力がある。
そのあと、いくらでも材料のある人が、作家になれるのでしょうね。
Posted by 謫仙 at 2007年07月07日 07:49
きのう本因坊殺人事件読みました。囲碁の世界の推理ものは珍しいですね。将棋と比べ難しくとっつきにくい囲碁の世界ですが暗号のシーンといい映像的に緊張感がありました。浅見探偵の出てこない初期の作品ですが読み応えある推理小説だったと思います。そういえばマージャン漫画は多い気がするのですが囲碁の世界は格式美というか独特ですね
Posted by 福田浩司賞味大臣 at 2008年09月16日 10:51
碁の推理小説といえば「囲碁殺人事件」とかありますが、少ないですねえ。
麻雀の場合は多少ギャンブルの要素があるので、いくらでも劇的に盛り上げることができますが、碁の場合は、碁がアマ高段でないと、アラがボロボロと言うことになりかねません。
それに碁は300年に及ぶ歴史があり、それらを知らないと話にならない。格式が入ることになります。
でも需要ができたので囲碁漫画などが増えそうな予感はあるんですよ。
Posted by 謫仙 at 2008年09月16日 19:48
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