10月30日に、金庸老師が亡くなった。享年九十五、九十四歳であった。
もう二週間もたってから知った。このことから判るように、わたしは生のニュースに疎い。
二十年ほど前に金庸(本名:査良縺jの武侠小説を読み、のめり込んだ。その後も繰り返し読んでいる。現在、書剣恩仇録を読んでいるが、5度目である。金庸ドラマのDVDも集めた。
杭州に近い海寧が生地であり、香港で活躍した。
私たちは岡崎由美先生と一緒に、海寧の生家に行ったこともある。
執筆の期間は意外に短い。1955年に『書剣恩仇録』を発表し、1972年に『鹿鼎記』を書いて断筆した。いろいろな人物や恋愛を書き切って、重複させないという。
他の武侠作家は、架空の王朝で架空の話を書く。金庸は史実を巧みに取り入れて、歴史小説のように書く。
長編12、中編2、短編1。全部で15編の小説を書いた。
日本では岡崎由美先生を中心に翻訳し、全55冊になる。このブログでも書庫で紹介している。
残り1冊分の翻訳原稿があるが、発表される機会はなさそうである。それは鹿鼎記の前章であり、金庸先生の祖先が「文字の獄」にあって、壊滅的な打撃を受けた話である。
清の雍正帝の時代、科挙の試験に「詩経」から「維民所止」が出された。これが雍正帝を呪っているという。「雍正」という二文字の頭である「亠」と「一」切っているというのだが。
小説の執筆以外にも、いろいろと活躍した。
ご冥福を祈る。
わたしは武侠ファンと思うが、金庸を離れると、好きというわけではない。思い入れはない。だからわたしは金庸ファンであって、武侠ファンではないのかもしれない。
2018年11月13日
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