2007年07月01日

芹を摘む

広辞苑によれば
(高貴な女性が芹を食べるのを見た身分の低い男が、芹を摘んで、自分の思いの遂げられるのを期待したが、徒労に終わったという故事から)恋い慕ってもむだなことをいう。また一般に、徒労なこと、思い通りにゆかぬことをいう。

 わたしはこの言葉をどこで覚えたのだろうか。「恋の道でむだな努力をする」という意味に覚えていた。
 高貴な女性が野遊びとして芹を摘むのを見た男が、その女性は芹か好きなのかと勘違いして、芹を摘んでその女性の通る廊下に置いたが、その女性は見向きもしなかったという。
 今では死語であり、使われた例はしらず、本で読んだこともない。
ネットで見ると、

 後宮で庭の掃除をしていた男が、にわかに風が吹きあげた御簾のうちで、后が芹を召し上がっているのを垣間見て、ひそかに思いを寄せるようになった。何とかして今一度お顔が見たいと思うが、卑賤の身ではどうすることもできない。もしや気がつかれる折もあろうかと、毎日芹を摘んで御簾のかたわらに置いていた。長年そのようにして日数をかさねたが、更にしるしがないので、男は恋患いになって死んでしまった。
「芹を摘む」という詞は次第に、物事が叶わぬことを表すようになっていったそうです。
「後宮で后」か、それにしても一瞬の間によく芹を食べていると見抜いたもの。
 それで「物事が叶わぬこと」

 別なところでは、
「芹摘む」と言う言葉は、平安時代、芹を摘む乙女の姿に恋焦がれたと言う故事から、恋慕うと言う意味なのです。
と、ここでは「恋慕う」

芹を摘むっていうのは、若い女性が野遊びをし、芹を摘んでいるというイメージよりも、むしろ、……、叶わぬ思いといった感じが強かったようだ。
と、ここでは「叶わぬ思い」

願いがかなわないこと。
 宮中の庭掃除の男が、芹を食する后をかいま見て思いをかけ、芹を摘んで御簾(みす)の辺りに置いたが思い通ぜず焦がれ死にしたという故事による。

「物事が叶わぬこと」「叶わぬ思い」「願いがかなわないこと」では微妙に意味が違うが、大別すると「願いがかなわないこと」「恋慕う」に別れる。
そこでわたしの記憶、「恋の道でむだな努力をする」は「むだな努力」が言葉の中心。「叶わぬ思い」に近いようだが、意味するところはまるで違う。
 最初に戻って広辞苑では、「恋い慕ってもむだなこと」が本来らしいが、一般的には、「むだな努力」「物事が叶わぬこと」という。
 恋の道に無関係な使い方は、しっくり来ない。しかし間違いではないらしい。
「摘む」は動詞なので動詞的な使い方がぴったりしそう。
posted by たくせん(謫仙) at 07:13| Comment(2) | TrackBack(0) | 言の葉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
私語源の話だけはなんとなく知ってたんですが、
恋い慕っても仕方のない相手(身分違いや結婚している人など)に想いを寄せること、みたいに解釈してました(;^_^A
勉強になりました☆
Posted by may at 2007年07月01日 10:37
それでも、間違いとはいえないでしょう。
すでに死語、辞書などだけにある言葉、そういう意味であることが判るように使えば、それでもかまわないのでは……。
読者が誤解しないような書き方がいい書き方です(^_^)。
Posted by 謫仙 at 2007年07月02日 06:27
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