二尊院
嵐山の近くは名所旧跡が多い。二尊院は大きな寺である。
総門
小倉山の下を歩いて、二尊院に行く。
紅葉の馬場
総門を入れば、伽藍のある地域まで、まっすぐな道がのびでいる。
新緑が輝いている。紅葉も映えるであろう。
紅葉とは異なり、新緑は毎年輝く。
本堂の裏ではタゴガエルの声が響いていた。
普賢像桜があった。初めて聞く名だ。八重だが、花びらが百五十〜百六十枚もあるという。
本堂の前の勅使門
簡素で優雅である。総門も簡素だった。
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祇王寺
平家物語の祇王が出家した寺である。明治初年に廃寺となったが、再建した。
今は大覚寺の塔頭(たっちゅう)となっている。
今回の旅行で「塔頭とは」と聞かれ、答えに窮したが、「会社でいえば子会社」で理解してもらえるだろうか。境内にあることが多いが、こうして遠く離れた所にもある。
囲碁でなじみの本因坊も、寂光寺の境内の塔頭であった。今はない。
小さな寺で住職もいないが、苔の庭は手入れが行き届いている。
小さな庵に入ると、仏壇には、祇王や清盛などの像が安置されている。
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化野(あだしの)念仏寺
賽の河原
明るい光の下では、かわいさが先に立つ。
前に来たときは、鬼哭啾々として、身が引き締まった記憶がある。
この落差に戸惑った。
一重積んでは父のため 二重積んでは母のため
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清涼寺
五台山清凉寺という。
五台山清凉寺といえば、清朝の三代目順治帝が出家した寺として知られている。本当は病死だが、出家したという俗説があるのだ。その寺と関わりがあるのかな。
ここは光源氏のモデルといわれる源融ゆかりの寺だ。
霊宝館が春期特別公開されていた。二ヶ月間である。写真はないが、見てよかった。
寺は嵯峨釈迦堂といわれるように釈迦像が高名である。
仁王門
塔のような門に圧倒される。
庭の不思議な形の樹木。わたしには禅寺を思わせる。
本堂(釈迦堂)はかなり大きい。
清凉寺の前身である棲霞寺の寺域は嵯峨天皇の仙洞「嵯峨院」の一部であった。その大覚寺まで直線距離で五百メートル弱である。