大極殿を見て、南に行く。
大極殿院南門
工事中の様子をこの台の上から見ることができる。
朝堂院跡
近鉄の電車が通る。その向こうに朱雀門が見える。
朝堂院は、役人の仕事場である。両脇に建物があり、真ん中は広場であった。朱雀大路の延長のようなものである。
振り返ると、南門の覆いと大極殿が続いて見える。
朝堂院地域への門の位置。
この絵の一番手前にいる。
第一次と第二次は、位置はこのように並んでいる。第二次の時には、第一次の地域には建物はなかったと思われる。
朱雀門も近い。
今回は朱雀門を見ようと思って平城京跡へ行った。
広い野原の中にぽつんと朱雀門がある姿を想像していたが、人気観光地になっていた。
朱雀門の外側は広場になっている。朱雀大路である。幅は「約70m」、と説明にある。約74メートルだったようだ。
なお、門前の広場は、大路を含めて、東西約260メートル、南北約140メートルとみられる。
この絵は何だろう。古い絵があったのかな。現代の絵だろうな。
門前広場の使い方である。記録には「天皇まで見に来た」とあるらしい。
門前の「平城京いざない館」は充実している。
https://www.heijo-park.go.jp/area/suzakumon/izanaikan/
「天平うまし館」で食事をした。カフェもある。
VRシアターがある。見たと思うが記憶がない。
遣唐使船に乗る。二本の帆柱、甲板上には三室ある。後が遣唐大使の部屋で個室。中が賄い部屋、火も使えた可能性がある。前は雑居部屋。甲板下が荷物だが、多くの乗組員は荷物の間などにごろ寝したようだ。
こうしてたっぷりスペースをとっている。
この芝生のさらに左が朱雀大路だ。
朱雀門を朱雀大路側から。
朱雀門の中側の東に、兵部省や式部省の建物跡がある。部屋のしきりと柱の跡が示されている。小さな建物であることよ。
余談だが、「約70m」の表記にはいつも気になる。約なので70メートル前後だが、考えられる範囲は、69.5メートル以上、70.5メートル未満である。これより大きければ「約71メートル」となる。これが数字「0」の力だ。
これが「約七十メートル」なら許容範囲は、65メートル以上〜75メートル未満で考えられる。
実際にそこまで厳密に考えて書いたか疑問だが、新しく約74メートルと数字が出たので、訂正してほしい。