新薬師寺に参拝して、さほど遠くない(1キロくらい?)、白毫寺(びゃくごうじ)に参拝した。
高円山のふもとにあり、境内からの展望はよい。
伝承によれば、白毫寺の地には奈良時代に志貴皇子の山荘があったとされ、没後に寺になった。鎌倉期に再興され白毫寺となる。
この突き当たりが白毫寺の入り口。
タクシーで来た二人は、元気に階段を上っていった。
ながめのよい花のてら 白毫寺
山門
山門を通りさらに上る。参拝受付はこの上。
本堂
戦国時代に戦災に遭い、江戸時代の初めに復興された。
装飾のほとんどない簡素な建物である。装飾は写真に見える程度である。
写真はないが、本堂の裏手に宝蔵があり、自由に見ることができる。優れた像が多い。
奈良市一望と言いたいが、どこだか判らない。
狭いながらも石庭がある。
十王地蔵。この右に小さな石像が続く。
石仏の道
不動明王は、かなり欠けて形が定かでない。
右の小さな像は、新しくはっきりしている。
失礼ながら、ほとんどは見るべきほどのものはない。こう考えるとき、わたしに宗教心がないことを自覚する。
「白毫寺」と名付けられた大椿。樹齢約五百年と推定されている。
石仏の道の終わり、この階段の上右に大椿がある。
7
天然記念物の五色椿
白・紅・紅白などに咲くという。
近くに別な椿がある。
いくつか落花していたが、形の整ったのはこの一輪のみ、写真では真っ白に潰れてしまった。
大きな八重椿である。
最後の一輪か。上の写真の左の樹に咲いた花と思える。
志貴皇子をしのんだ万葉歌碑
高円の野辺の秋萩いたづらに咲きか散るらむ見る人無しに
さほど古いとは思われなかった。
サムネイル
今回の旅行で、イチハツ・アヤメ・カキツバタ・ハナショウブの区別がつくようになった(と思う)。
満足して長い階段を下る。
知っている人には余計な説明だが、白毫とは何か。
仏には身体時特徴として三十二相 (三十二相八十種好 )が備わっている。そのうちの一つで、額の白い毛である。巻き毛になっていて、光を放ち世界を照らす、第三の眼のような枠割りをする。
他には、指の間に水かき(のようなもの)がある。
頭の中央が大きく盛り上がっている。(ヘアースタイルではない)
足裏には太陽の印がある。(仏足石にある)
舌は長広舌である。(長く広いの意味で、おしゃべりの意味ではない)
などだが、どうでも良いようなものもある。
三十二相八十種好から「相好を崩す」という言葉が生まれた。
古代インド人は何でも数字でまとめることが多い。記憶のためであろう。たとえば苦しみは四苦八苦のように。32相80種好も、無理矢理数合わせで、これだけ思いついたようなもの。
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白毫寺への道の途中で新薬師寺に参拝する。
新とは「霊験あらたか」の意味。創建は747年で、大寺であったが、落雷や台風で、多くの堂宇を失い、今の本堂だけが残っている。
南門から入った。
本堂、創建当初の建造物。国宝である。
中には中心に円形の土壇があり、薬師如来座像(国宝)と、外側に向って十二神将が安置されている。
前に来た記憶では、土壇には薬師如来だけかな。四方の壁に十二神将が中を向いて安置されていた。移動したのか、記憶違いか。
地蔵堂
鎌倉時代の建物。中は見なかった。
ここから庫裏に行く。
このほか、鐘楼、南門が鎌倉時代の建物。
東門は南門より古く、いずれも質素な作りだ。なんと写真がない。