漢の七代目武帝は、中国史上屈指の栄光に包まれた皇帝である。
当然その生涯は波乱に満ちている。景帝の第九子で、とても皇帝になれる位置ではなかったが、皇太子などがあまりに質が悪かったため、皇位がまわって来ることになった。
桑弘羊・張騫・衛青・霍去病など、群臣が驚くような人物を次々と登用し、一気に漢の勢力範囲を広げる。特に長年の目の上の瘤である胡を退けたのは最大の功績といえよう。
ところが、この戦費のために、国庫を空にし、結局国力を弱めることになる。
胡との戦いは、数百キロを駆け抜けるような騎馬戦が多い。10万を越えるような大軍を、何度も出せば、その補給は尋常ではない。勝った勝ったと、浮かれているうちに、国力を消耗してしまったのだ。
晩年は、李陵を誤解し、李陵を弁護する司馬遷を宮刑にするなど、衰えが目立つ。
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この本はけっこうおもしろいのであるが、幾つか些細な欠点があり、それがいつまでも棘のように引っ掛かっている。
その象徴が口絵の地図だ。右上がりに傾いており、全体が奇妙に見える。南下した黄河が長安の東方で、L字型に東に90度曲がるが、この地図ではV字型になってしまう。
本文
始皇帝陵が無傷であるという説を採っている。公式記録まで項羽に暴かれたことが書かれていて、興味のある日本人なら誰でも暴かれたことを知っているのに、無傷と書くのは、公式記録が間違いであることを、こじつけでも説明せねばなるまい。
もっとも最近の研究では公式記録が正しいとは限らず、ほとんど元のままという可能性があることも指摘されているので、わたしの指摘がおかしいとも言えるのだが。
言葉の選び方が安易な気がする。
距離をキロメートル単位とするのは違和感がある。やはり里で表すべきであろう。会話は里でしており、地の文はキロメートルと、使い分けているので、間違いではないのだが、どうも不自然な気がする。
「耳障りのよい楽音ばかり……」という言葉が出てくる。これを見たとき、何回も出てきたキロが、突然気になりだした。これがなければ始皇帝陵のことも気にならなかったであろう。
いずれもひとつひとつは些細なことで、いつもなら読み飛ばしてしまう。それがなぜか引っ掛かるのだ。