この本は、わたしが井上祐美子を読むきっかけになった本である。
中編4編が入っている。

梅花三弄
詞人李清照の再婚を扱った小説である。
(参照 李清照 −詞后の哀しみ−)
李清照についての小説はこの本しか知らない。前回に読んだのはかなり前なので詳しいことは覚えていなかった。そこで、再読してあっそうか! と思ったことのいくつか。
生まれを元豊7年としている。わたしの年表と同じであった。わたしの読んでいた解説書では元豊6年となっていて、計算が合わないと思っていた。
父親李格非の師はあの蘇東坡である(旧派に属する)。
義父の趙挺之が亡くなったのは嫁いでから三年後、そして趙家の兄弟たちは辞職した。
この本では再婚の年を紹興2年、49歳とする。46歳の時に夫趙明誠を失い、三年後のことである。
それから、母は王氏、一般には王拱辰の孫女といわれているが、王準の孫としている。
李清照は張汝舟と再婚した。張汝舟は李清照の夫という名がほしかったのだが、李清照は趙明誠の残した金石録の完成のために、生活の安定が欲しかったに過ぎない。
李清照は策を弄して湖上で 「キ崇礼」と会う。
そして夫趙明誠の残した文書を皇帝に献上して欲しいと依頼する。そのための費用はと問われ、張汝舟の了解は取っていないと応える。
「これは国の大事、優れた文書が埋もれるか埋もれぬかの瀬戸際でございます。ならば、費用など惜しまず出すべきでしょう」
李清照は身の回りの装飾品さえ売り払って、書画の費用にするが、その価値が判らない張汝舟が、出すはずがなかった。しかも自分の作った詞がお偉方の目に入るように仕組んでくれまいかと李清照に依頼する。話にならない駄作である。
間もなく破局。李清照から離婚を申しだてしている。当時は男に責任があろうとも、女から離婚を申し出ると2年間の入牢であった。それを覚悟していたが、9日間の禁固で済んだ。
親族の高官が手を回したらしい。
小説の中で、李清照の概略を説明している。わたしの李清照に書いたようなことだ。
この本を読んで李清照に少し手を加えた。
傳延年
黙仙という言葉がある。普通の人だと思っていたのに、死んだら死体が消えてしまった。そこでようやくその人は仙人であったと判る。
呉安世とその妹の小雲は、いつも酔っている傅延年の世話をしていた。
没落して、婚約している妹がなかなか片づかず、困っている兄妹だったのだが、目に見えないところでいつも傳延年に助けられていた。
あるとき傳延年が亡くなり棺に収める。妹は江南に嫁ぎ、落ち着いたので、傳延年の棺を埋葬しようとすると、中には菊の絵があったのみ。
葛巾紫
科挙の試験を受けようとする張大器は、学問の成績はよいのだが、気の弱さもあって兄弟にも妬まれ、寺に1人住まいする。
そこでも、あまりの世間知らずで、科挙を受ける友人に騙され、洛陽を離れる。3年後戻ってくると、友人は張大器の文を利用して探花となった。
張大器は3年の経験で大人になった。さらに6年後探花となる。
そして寺の牡丹を持って行く。しかも騙されるネタとなった皇族の魏家の娘を娶る。地方に行った友人の名は聞かなくなった。
非花
蘇州の妓女賽金花は、欧州に出張する四国欽差大臣洪鈞の側室となった。
ドイツに連れて行かれた。そのための側室でもあった。そこで華やかな社交界を知る。才能もあって、ドイツ語にも堪能になる。が妓女であったことで辱めもうける。そこでドイツの軍人マンシュタインを知る。
洪鈞は女を犠牲にして、 −国のために役立つなら、どんな結果になっても本望のはずだ…− と考える身勝手な論理を持っていた。これは例外ではない。
帰国して三年後夫が亡くなると、家を追い出される。
後に中国が8カ国連合軍に荒らされたとき、その連合軍の総司令官がマンシュタインであった。賽金花は危険を顧みず略奪や暴行を止めるように頼む。そのときの言葉、
「…腕力も財産もある男たちが、女や子供たちを犠牲に差し出して逃げるのですよ…」