2007年07月21日

探花

 下の「非花−葛巾紫」での探花の扱いについて、疑問があったのでネットで調べてみた。
 まず科挙の試験については、「隋の時代から始まって清末まで続いた中国の官吏登用試験」で、疑問はない。
 その科挙の上位合格者には次のようにいわれた。
 隋・唐の時代は首席合格者を状元、次席と三席を榜眼といった。
 北宋末期に首席合格者を状元、次席合格者を榜眼、三席合格者を探花というようになった。この3人が進士及第である。
 なお、状元・榜眼・探花は正式名ではない。正式には「一甲第一名」というように書かれる。

 そこで、探花の語源だが、幾つかある。
1、 唐代に科挙に合格すると、皇帝主催の花見の宴が杏花園で開かれ、進士の中の俊秀2人が選ばれて「探花使」となり、花園の名花を折って皇帝に献上する役をおおせつかった。

2、 合格者は曲江のほとりの杏園というところで、皇帝から宴を賜る。いわゆる曲江の宴で、これは「探花宴」とも言われた。
 この時新進士の中の最年少で容貌も端麗な者二人が選ばれて「探花」という役を仰せつかる。
 長安城内の名園をあちこち訪ねて、一番美しく咲いた牡丹を手折ってきて披露するというのがその役目であった。
 杏園での宴が終わると一同馬に乗り、牡丹の出処を訪ねて花を観賞して回る。この先導役の若い二人を「探花使」又は「探花郎」といった。

 探花は
1、花を皇帝に献上する役という説。
2、花を披露する役という説。
3、花を探す競技という説(これは引用していない)。
 これらは本来自分で調べて確認してから書くべきだが、確認しようがないので列記しておく。

 さて、わたしが疑問に思ったというのは、次のように思っていたからだ。
 その時の合格者が「探花の宴」を賜る。その時期はいつがよいか。
 第三位の合格者が、牡丹苑に行って、花の状態を見て決めた。それで探花という。
 もちろん、ガリ勉の進士にはそんな風雅なことは判らないので、苑の管理人に相談したであろう。
つまり、寺の牡丹を手折るようなことはしなかった。

 時代によって、違うのかも知れない。
「葛巾紫」は唐代の話である。第三位の合格者を探花としているが、上の考察では、唐代の探花は第三位ではない。
 実はわたしも唐代には第三位を探花というと思っていた。今まで書いたことに間違いがなかっただろうか。
posted by たくせん(謫仙) at 07:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 言の葉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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