おとといの千寿会は久々にOさんが現れた。女流アマの王者となった人である。
手が空いていたわたしはさっそく申し込んだ。
「一局教えて頂けませんか」
2子局である。本来は4子くらいの差があるのだが、2子以上は置かせてくれない。
打ち始めは望外の利を得て、攻め取りながら7目の石を取り、40目以上の地ができたと喜んでいた。これで勝負になる。
ところが生きていると思っていた隅の黒石を殺され、ギャフン。
それで足りなくなって少し無理をしたため、もう一カ所殺されて投了した。その折衝も問題があったのだが、最初の望外の利について、
「攻め取りなので捨てても損はない。逆に外に手が回ったので、五分の別れに近い」
Oさんは外の勢力を40目に匹敵すると読んでいた。わたしがいいことは間違いないが、はっきり良いといえるほどの差ではなかったのだ。棋力の差はこんな所にも現れる。
ここで白の勢力だが、黒が模様に打ち込んで小さく生きることはできる。それを見越しての40目である。
生き死にの錯覚は問題がはっきりしているが、壁の威力の大きさについては、錯覚していたことさえ気がつかない。
先日のネット碁で、黒のわたしが30目ほどリードしていると思っていた。わたしが手どまりともいえる2線の這いを打った。白さんは手を抜いて別な隅を外からはねた。その隅の黒が死んでしまった。
「そうだったのか、それまでの折衝はその手を見てたのか」
冷静に数えてみたら勝敗不明。ただ、こちらに手が回ったので、その分勝てるのではないかと踏んだ。後数カ所しかヨセるところはない。
手を抜かれた所を続けて深入りしたら、なんと白の30目もの石が死んだ。そこで白さんの投了となった。
後で検討してみると、その白の一団は手を抜いてはいけなかったのだ。つまり手を抜いたところで死があった。黒のわたしは隅の石を無視して取りかけに行けばオワだった。
隅の死んだ黒石も正しく打てば生きていた。お互い二カ所で錯覚していたのだった。白さんも、隅の黒を殺す手が見えなければ、白の大石を死なすことはなかったであろう。ヨセだけならば二線の這いのほうが一線のハネより大きい。
わたしの碁は錯覚ばかりだ。
2007年07月23日
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