わたしはその日泊まるホテルに荷物を預け、歩いて松本城に向かった。二回に分ける。
松本城は国宝である。よく俗称として烏城(からすじょう)と言われると記述されているが、過去の文献にはなく誤りという説がある。初出はなんと昭和41年。
なお岡山城は烏城(うじょう)。
女鳥羽川(めとばがわ)を渡ると一応松本城のエリアになるが、知らないとわかりにくい。
道は一応クランクになっている。大手門の跡であり、枡形虎口があったので道はずれているのだ。
女鳥羽川はそれほど広い川ではない。街中としては大きいか。
サムネイル
この図の左右中央の下に大手門。
女鳥羽川が下辺に横に流れ、その北側の土手を挟んで、総堀があった。薄い青は埋められている。
松本城は一応、本丸の周りを内堀。二の丸と三の丸の間を外堀としている。その周りにほとんど埋められている総堀がある。
内堀・外堀・総堀さらに女鳥羽川も4番目の堀の役を担う。しかし、現在の内堀と外堀で半二重の内堀、そして総堀が外堀と見るのが自然だ。
総堀は右上にわずかに残っている。青い部分。
外堀は図でも判るように南と西が埋められている。現在復元計画中なのだが、どこまで進んでいるか。
大手門からまっすぐに外堀まで。右は堀。この左側は残念ながら埋められてしまっている。ただし、外堀が復元されたら、そば屋の位置は堀になるのかな。
古地図では、ここには道はなく、右に回り太鼓門から二の丸に入ったようだ。
現在はまっすぐに、この堀を越えれば「二の丸」地域。
これからのことは、二日分の行程だが、説明は分けていない。
内堀の向こう側が黒門。威厳をもって客を迎える。
この道を通って入る。この道は橋ではない。左右の堀では水面の高さが違う。それにしてもかなり浅い。
内堀を渡り、入場料を払って、黒門を通る。
芝生は本丸の位置が示されている。正面に天守閣。
かなり前だが、わたしは松本城に来たことがある。そのときは、手前辺りに有料ロッカーがあったが、ほとんどの観光客はロッカーを使わず、この辺りに適当に荷物を置いて天守閣に登っていた。わたしもそうした。今ではあり得ない。
赤い欄干の部分は三代家光を迎えるために建て増ししたが、ドタキャンされたという。
ブラタモリの松本編を見た人は、この辺りの説明を思い出して欲しい。
ここから天守閣に登る。
天守閣の階段は狭くて急で、係員が交通整理をし、「横歩きがよい」と歩き方を説明しているほど。上では写真どころではなかった。
で、昔の写真で代用
下に降りればホッとする、ゆったりした空間。
黒門から出ると、古図の右の方へ歩く。ここには博物館があったのに、引っ越し工事中で、すでに廃館。建物のみ。
太鼓門の方へ進み、その先の二の丸御殿跡に行く。
二の丸御殿跡はこのように区割りされている。縄で囲まれているが、一カ所開いていて、中に入れる。律儀に誰も縄をまたがない。
戻って太鼓門から外へ出る。
枡形になってるので主要な門だ。
太鼓門を外から。