書かれたのは、ヒカルの碁の連載が終わる前であろうか。わたしはヒカルの碁は単行本になってから読んだので最終巻は03年9月であった。
著者の石倉昇九段は異色の棋士である。東大卒業後、銀行に就職し、それからプロ試験に挑む。その時25歳。年齢制限で最後のチャンスであった。
不合格なら銀行に戻ってこいよという、ありがたい声を聞きながら、正式に退社して背水の陣でプロ試験を受けた。
将棋の某棋士は、「兄貴は頭が悪いので東大に行った。オレは頭がいいので将棋のプロになった」という。
石倉昇九段は頭がいいのに東大に進学して、そののちにプロ棋士になるという、定石はずれを打っている。
「酒は別腸、碁は別智」というから頭の良さとは無関係なのかな。
この本ではヒカルの成長を例にとりながら、自分の勉強方法やアマへのアドバイスを語る。
プロ試験では当時13歳の依田紀基・大矢浩一など、当時すでにピッグタイトルを噂される天才児といっしょに試験を受けたが、気持ちでは負けていなかったとか。
この本が書かれた当時、つまり5年前、若手のトップと注目されていた山下敬吾は「上の先生を……盤上では尊敬しないようにしている」と、常に自分の碁を打っているとか。
スランプは強くなっている証拠とか。ヒカルは佐為の桁外れの強さが判って来ると勝てなくなりますね。つまり佐為の強さが理解できるように強くなった、それゆえ手が縮んでしまって勝てなくなる。
ライバルの必要性とか。ライバルがいるから切磋琢磨し、お互いに成長する。ライバルの足を引っ張るようでは成長できない。
棋士のタイプもある。
芸術派 ヒカル 武宮正樹
学究派 緒方九段 アキラ 小林光一 依田紀基
勝負師派 桑原本因坊 王立誠
塔矢名人は全部を兼ねているとか。わたし(謫仙)はまだ◯◯派といえるほどのレベルには達していない。
依田紀基さんは暇さえあれば詰め碁の本を見ている。院生修行者はみな死活は鋭い。これは準備体操のようなもの。
そこで詰め碁を勧めているが、やさしい詰め碁から始めなさいと言う。ぱっと見て7割は解けるくらいでよい。初段の人なら初級向けの詰め碁で十分。これを繰り返しやりなさいとか。
コンピューターの碁にも触れている。コンピューターは感性が理解できない。ところが碁は感性が重要。そのためコンピューターは強くなるのが難しいとか。
棋譜の記憶についての話は興味を引く。決して暗記しているわけではない。パターンとして認識しているという。それなら上下が逆になってもすらすら並べるわけだ。
パターン認識の下手なわたしが記憶できないのも無理ないなあ。
その他、碁の蘊蓄を傾けています。