2007年08月14日

景徳鎮からの贈り物−中国工匠伝−

   陳舜臣    新潮社  1993.8
 銘品づくりに生涯をかけた中国の名工たちの話である。表題作はそのうちのひとつである。副題の中国工匠伝のほうがこの本にふさわしい。
 陶磁器・刺繍・墨・筆・夜光杯などの歴史秘話。読んでいて、歴史の解説なのか小説なのか迷う。モデル小説であろう。これらの工匠たちは、社会的な能力を持たない人もいる。
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 中国の雑技を見ていると、そこに至るすさまじい訓練のあとが見えて痛ましいほど。そこまで特化して、もし売れなかったらどう生活をするのだろうか。
 昔はそうするよりなかった。そして技術を手にし、運のよかった人だけが生き残れた。もっとも今でもそうかも知れない。野球にしてもITにしてもプロを目指す人は多いが、プロになれるのはほんのわずか。そのわずかの人の中で、技を極めた人の話である。

金魚群泳図
 蘇州は刺繍で有名である。女ばかりでなく男も刺繍をする。陳舜臣さんは蘇州の刺繍研究所を参観し、刺繍のいろいろを知る。そして大阪で聞いた張晋渓の話を回想する。
 1870年代新彊は流刑地だった。
 そこに蘇州の張晋渓がいた。そして反乱が起き、その資金稼ぎの刺繍を作らされる。清軍が遠征してきたとき、望郷の念やみがたい張晋渓は、刺しあげた金魚の刺繍を清軍司令官に贈る。それには秘密が隠されていた。その手柄で蘇州に帰ることができた。そして李鴻章の命により名品金魚群泳図を作る。

挙げよ夜光杯
 敦煌を見学する陳舜臣さんは、酒泉に立ち寄る。そこで夜光杯工場を見学する。唐詩で「葡萄美酒夜光杯」とうたわれたあの夜光杯であった。
 現実には存在しないと思っていた陳さんは「あるいは伝説に仮託した物ではあるまいか」とも思う。お宮の松のたぐいである。
 敦煌を見学し、北京に戻ったとき、親友の美術の先生を訪ねる。そこに夜光杯があった。そして、元夜光杯作りの職人がいた。その話を聞く。
 中共軍と国府軍の内戦に巻き込まれ、夜光杯作りは三人しかいなくなった、その一人である。
 夜光杯作りの苦心とその経済的事情。外国人に高く売りつけるためのデモストレーションとして作らされていた。実際には西安で大量生産されていることを知ったショック。夜光杯に恩返しされて、そのショックから立ち直る。
 しかし、友人は言った。娘の恋人が、夜光杯の石が鉄砲の弾を防いで職人の命を救った話を捏造して、たましいの空白を埋めたという。

波斯彫檀師
 唐代中期、ゾロアスター教徒のペルシャ人彫刻師がいた。仏像を彫っていたが、やめて玩具を作る。親友の妹が無理矢理宮女にされ皇后に仕えた。皇后は失脚して殺され、そのおりに連座して殺されてしまう。その復讐のため、細工を施した寝台を作る。

景徳鎮からの贈り物
 雍正帝は清朝には珍しい、問題のある皇帝であった。その皇帝を仇と狙う、若い女が景徳鎮にいた。皇帝が口にする磁器に毒を塗ろうとする。そして機会が訪れた。湯飲みの注文である。飲むために口を当てる部分を膨らませた湯飲みを考案し、その部分に毒を仕込む。
 この話、そのような都合のいい毒があるものか、疑問に思った。ただ、中国の場合、あったということにしても、おかしくない状況がある。

墨の華
 墨が人を磨るという。墨を求める人の心境である。
 墨は煤を練り固めて作る。松煙でつくったものが植物油の油煙で作るより優れているとされる。
 墨工には襲名が多く、人名というより商標に近い。個人名も伝わっている。
 羅小華・程君房・方于魯が明代三大名墨工という。その羅小華の物語。
 父は和冦の仲間である。和冦といってもほとんどは中国人であった。反逆者の子はいかにして明代三大名墨工のひとりになりえたのか。

景泰のラム
 七宝のことを中国では景泰藍という。その語源はいろいろはあるようだが、景泰は判っている。景泰帝の時代だからだ。藍はラムという人名ではないか。ビザンティン帝国の滅亡感じたそこの職人が、青磁の中国にあこがれ、広州にきて、七宝焼きを教える。
 そのため歴史上いきなり高級品の七宝が現れる。

湖州の筆
 蒙古の屈辱的な支配下で湖州で筆をつくる男がいた。馮応科である。
 蒙古の時代、文字は特殊な文字か創作され、正式にはその文字を使うことになった。しかし書記官以外は、当の皇帝以下、誰もその文を読み書きする人はいない。その文字つまりパスパ文字を書くための筆を工夫した。しかし、それは表向き、実際には普通の筆を工夫していたのである。
 そのパスパ文字を書くための筆の商人の使いとして、つねにポランという青い目の女が来た。イスラムの黒いパルタをかぶり、目だけを出していた。
 50年以上筆を作り、それをやめようとしたときの話。

 女もすばやく手をうごかして、自分のパルダをはがした。若い美しい顔がそこにあった。
「ほう。…あんたは何代目のボランかね?…」
「五代目です。はじめボランは私の祖母でした。私の母が一ばん長くおつき合いしたはずです。…そして姉が二人。…」
「おかげて筆がつくれた」
「明日から…どうしましょう?」
「明日?」
「はい、明日、結婚するのです。妹はいません」


名品絶塵
 蘇州には欽家という贋作の専門家系があったという。看板は「名品臨ぼ(募の力の部分が手)」つまり模写である。
 蒙古の略奪というより、蒙古に仕えた漢人の略奪から、古今の銘品を救うべく贋作造りに精魂を傾けた男がいた。欽晋道である。
 略奪されたものは焼かれてしまう。どうしても防がねばならない。
 蘇州の名家はそろって家伝の名品の模写を頼んだ。子供のときからその名品に親しんだ当人しか判らないほどのできだった。そして、本物を奥深く隠し、模造品を普通に隠す。だが蒙古の家さがしは徹底していた。本物まで見つかってしまう。
 後に略奪の中心となった漢人が死ぬと、蒙古も略奪をやめた。
 欽晋道は名家の当主を集めていう。本物をお返ししますと。
 なんと略奪された2枚とも模写だった。
posted by たくせん(謫仙) at 06:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 書庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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