
この本によってわたしの中国についての多くの知識が覆された。
この本は過去の著作集である。(八十年代〜九十年代、以下かっこ内はわたしの追加)
「中国」は「国の中」という意味だとは知っていたが、この国とは城壁のことであり、城壁の内側のことであった。都市国家の中心である。長安などの城壁の中である。商や周や秦などの国ではなかった。
古代中国(中原)の範囲は洛陽のあたりで、東夷、北狄、西戎、南蛮、に囲まれた地域で、そこは交通の要所であり、各地の商人が集まった所であり、多民族の城市が多くあった。そこには昔の漢民族の都市国家があったと思っていたが、そうではなく、多民族の集まりで、それらの人々は言葉が通じなかった。
そこで意思を通じるには、漢字を必要とした。つまり漢文である。漢字は意味があるが音はなく、会話にはならない。だから漢文を用いる。
後に科挙の制度ができた。これは漢字を、正しく覚えているか使えるかの試験であった。
(文字通り音が無いわけではない。科挙には詩作もある。音の平仄を揃えなければならない。それでも首席合格者と皇帝が会話が通じないことがあるのだ。
現代でも勉強のことを「読書」という。このことを知ると、現代でも「中語」とは言わず、「中文」というのが納得できる。少数民族の言葉もあるからと聞いていたが、いやいや漢民族そのものが少数民族多言語の集まりであったのだ)
現在でも北京語、上海語、福建語、広東語、その地の多言語があり、意思疎通のために漢字の文が必要であった。それが中文である。
古くは南蛮の夏(カ 実在は怪しい)の支配地になり、北狄の商(殷イン ともいう)の支配地になり、次に西戎の周に支配される。続いて、西戎の秦(シナ)に支配され、ようやく国として纏まった。その後はシナといわれた。
1912年、辛亥革命によって、中国が国名の略称となった。
辛亥革命以前を中国というのはおかしい。たとえば清の植民地であったのだから。
(この本には書いてないが、現在は地理上の中国と国号の中国を混同していることが多い。中国政府も故意に混同しているが、日本でも区別できない人が多い。
執拗にシナシナという人たちもいる。辛亥革命以前ならそれが正しいが、現代では国名の略称は中国と言うべきだろう)
民族もそうだ。漢民族は少数民族の集まりといったが、たとえば漢の時代には6千万人もいたのに三国志の終わる頃には、4百万人までに減っている。無人になった地域に、北方の民族が移り住んだ。その後も民族ごと入れ替わるほどの大移動があった。つまり現在の華北の漢民族とは、漢と北方の塞外民族の集合体である。
たとえば北京語は、現在の共通語である普通話(プートンホア)の基になったが、古くはアルタイ山脈の北方の民族語で、その民族が北京あたりに移り住んだので、北京語になった。
普通話(プートンホア)は漢人には通じない。外国語と同じなのだ。ピンイン(ローマ字で音を表す)を使っても、民族によって発音系統が異なるので通じない。だから漢字から離れられない。
こうなると、中国人とは漢字を使いこなす人のことになる。しかし、ほとんどの人は文盲であった。漢字の習得には長時間かかるのだ。
日本では、明治の初めに西洋語の翻訳語が、漢字熟語として多く作成され、日本語が大きく変わった。
現代の中文の単語は、日本由来が70パーセントという。(インターネットでは80パーセントという人もいる)日本生まれの西洋語の翻訳漢語を利用したのだ。
(最近では、普通話が普及し、ピンインの使用により漢字が音を表すようになり、大学卒業者も毎年一千万人を超えている)
シナの役人は無給だった。それでも役人になりたがるのは賄賂が入るからだ。それは当然だったので、悪いことをしたという感覚はない。
(最近の中国の話を聞いていると、今でも同じ原理で動いているように思える。
これらの説は一部は仮説かもしれない。しかし中国を見る上で、欠かせない視点である)

