2007年09月13日

三国志「人物縦横談」

   高島俊男  大修館書店  1994.7
 三国志といえば普通は三国志演義をさす。それほどに演義は知られているが、三国志演義は小説である。            
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 そして青史(正史)の三国志は、あまり読まれない。
 そのため一般の知識は歴史と創作が混じり合い、多くの人が誤解している。
 だが、素人でも、興味のある人は人は演義の虚構を知っている。
 ところがテレビ「その時、歴史が動いた」では、演義の内容に近かったそうだ。
 そうだというのはわたしは見なかったからだ。
 諸葛孔明は名将ではないことを、多くの人が論証しているのに、テレビでまだ名将扱いしている。
 今から10年以上も前に書かれた、その方面の優れた著作を紹介することにする。

 三国志演義という小説は16世紀頃にできた。これが日本における三国志の主流となった。
 この本で話すのは、正史(青史)の三国志である。
 ただし、正史というのは正しい歴史という意味ではない。認められた歴史という意味である。あまりにも間違いが多いと別な正史に変わることもある。
 三国志を書いた人物は蜀ゆかりの陳寿なので、かなり蜀に好意的に書いている。だが虚構は書けない。そこで飾ることになる。

 当時魏という国があり、辺境に蜀や呉という、国と自称している所があった程度なのに、そこが立派な国であるように書いているのだ。とは言っても歴史書としてはそこの主を皇帝とは書けない。
 だから、魏は皇帝とし、蜀は先主・後主とし、呉は権と名である。
 そんな三国志を基にこの本は書かれているので、各人物は通説とはかなり違う。

 『三国志』を他の正史とくらべて誰でもすぐ気がつく顕著な特徴は、叙述が短くて簡単なことだ。なぜこんなに簡単なのか。陳寿を崇拝する後世の史家はいろんなことを言っている。史料の吟味が厳正慎重でちょっとでも疑わしいものはすべて捨てたからだ、とか、簡潔を重んずる文章美学の粋である、とか。
 この件について清の学者「陳れい」がおもしろいことを言っている。−陳寿は蜀びいきである。ところがその蜀の人物は材料がいたって乏しい。書くことがなんにもないんだから、いやでも内容簡単なものにならざるを得ない。対して魏と呉の人物は材料がたくさんあるが、あるからと言って詳しく書いていたのでは、ただでさえ分量のすくない「蜀志」がいよいよ見すぼらしくなる。だから蜀を標準にして魏呉の人物の伝も簡単なものにしてしまったのである、と。
 これはなかなかいいところをついている。たしかに 「蜀志」を見ると、誰の伝もまことに短い。これは吟味厳正でも簡潔美学でもなく、どうがんばってもこれだけしか材料がなかったのだろう。これで魏呉がくわしかったら、蜀びいきでなくてもバランスが悪い。


 横浜の中華街に関帝廟がある。これは関羽の廟であるが関羽は帝ではない。後世の人が帝に祭り上げたのだ。つまり関羽はかなり中国では人気のある人物といえよう。その関羽について、

 関羽は中国歴史上最も人気のある人だが(今でも世界中に関帝廟がある)、生涯の事実についてわかっていることは多くない。
 本伝に「関羽、字は雲長、本の字は長生」とある。羽という名、雲長という字はいっぱしの武将になってからつけたもので、長生というのがもともとの名前なのであろう。いかにも庶民の子らしい名前である。
                    
 河東の解(かい)の人だが亡命して?(たく)郡に逃げて来ていた、という。亡命とは人殺しなどをして官憲に追われて行方をくらますことである。ヤクザ、博徒の類であったのだろう。劉備が郷里で私兵団を作ったのに参加して頭株になった。
  ……
 劉備と関羽の関係は君主と武臣というより親分と子分の関係であり、関羽の行動倫理は軍人というより任侠の徒のそれなのである。
 その曹操の武将になっていたというのもちょっと変っていて、曹操と戦って敗れ、捕えられて曹操の臣になったのである。武将にとって負けて捕虜になるというのはたいへんな私辱である。それが平気で敵方の将になって、一働きしたらまた現に敵対しているもとの主人の所へもどつて行ったというのは、例がない。敵の親分の所にしばらくワラジをぬいでも、危い仕事を一つしたらそれで仁義はすむと思っていたのかもしれない。
 「蜀志・張飛伝」に、「羽は卒伍を善待して士大夫に驕る」とある。下級兵士にはやさしかったが文臣に対しては横柄、ないし驕慢であったというのである。それは、出身コンプレックスによるものかもしれないし、蜀漢政権を作ったのは武人だという自負によるのかもしれない。しかしこの「士大夫」は文人官僚だけでなく他の武将たちをも指しているようである。関羽は、同じ劉備陣営の将軍たちに好意を持たれていなかった。
 ヤッカミの強い人だったことも例が多く挙げられている。
  ……
 関羽は一人江陵あって荊州を守っていた。この建安二十五年の七月か八月ごろから、関羽は北上して樊城(はんじょう)の曹仁を攻めた。この年の初めから、曹操はみずから西へ出陣して漢中で劉備と戦っている。その背後を衝けと劉備から指示があったのかもしれない。
 関羽は樊城を包囲し、曹仁を救援に来た干禁をとりこにした。そこまでの戦況は至極順調だった。
 ところが曹仁はすくない軍勢でよく持ちこたえ、逃げも降りもしない。持久戦模様になって来た。ここへきて関羽の人望のないツケが回って来た。
 早くかたづけないと敵の援軍がくるのが目に見えている。関羽は、樊城の西方二百キロほどの上庸にいる劉封(劉備の養子)と孟達に応援を頼むとともに、江陵を守らせている麋芳(びほう)、公安を守らせている士仁に兵糧を送るよう命じた。ところが劉封・孟達は、こちらもいろいろ事情があって、とかなんとかぐずぐず言って来てくれない。麋芳・士仁もかねて関羽に無下にあつかわれて恨んでいるから兵糧を送らない。この時江陵で政務を見ていたのは瀋濬(はんしゅん)だが、これも関羽には反感を抱いているから動いてくれない。
 そのうちに魏と呉のあいだで関羽を挟み撃ちにする協定ができて、呂蒙が江陵・公安を攻めた。麋芳と士仁は簡単に降伏した。瀋濬(はんしゅん)も呉に降った。さらに北からは徐晃の援軍が来たので、関羽は樊城の囲みを解いて南へ逃げた。まず当陽に拠り、ついでそのすぐ南の麦城に拠り、ここで降伏するふりをしてさらに逃れて、今度は逆に北へ走り章郷まで来たが、ここまでのあいだに兵が皆関羽を見捨てて降伏してしまっていた。
  ……
 関羽の年齢はわからない。『演義』は五十八歳としているが、根拠はない。しかしまあだいたいそれくらいの見当であろう。


 …… はわたしが省略したが、これで充分この本の雰囲気はお判り頂けたと思う。関羽という人は、劉備の子分であったが、味方からも信頼されず嫌われていたんですね。

 張飛については、
 上の者には腰が低いが、下の者には酷薄だった。気にくわない部下はすぐ殺してしまい、劉備に「おまえは度を過ごして刑殺し、その上毎日兵士を鞭打ち、しかも彼らを周囲においている。わざわいのもとだ。」といわれているが、それでもあらためなかった。
 関羽の弔い合戦をしようとするとき、親衛隊の隊長に殺されている。
 これもまた部下に憎まれていたわけだ。

 諸葛孔明については特筆する。
 諸葛亮は素性のわからぬ男である。と以下名前からの推理をあげている。通説では矛盾があるのだ。名前にも法則がある。
 謫仙注:西遊記の三人(?)の従者の名は孫悟空・猪悟能・沙悟浄で皆「悟」の字が入っている。これが同世代の印なのだ。
 金庸小説を読んでいると、一門の人たちの名前で世代がわかる。「悟」の世代「さんずいの字」の世代というように。
 わたしの囲碁の話に孔令文さんという先生が登場する。孔子の子孫だという。最近お子さんが誕生した。その子の名前にも、その世代に共通する字が使われている。

 だから
 諸葛亮が諸葛珪の子というのは、名前からするとあてにならない。
 
 三顧の礼についても、
 孔明が「躬耕す」というが、みずから耕したのではなく、田畑の地主として、そのあがりで食っていたという意味である。
 孔明は学問をする身分であり、そろそろ就職を考える年齢であった。就職といっても当時は官庁しかない。
 孔明から劉備の所にいって、就職活動をしたと考えるのが常識である。それなのに劉備が孔明の所に行ったのは、中小企業の社長が、就職できずぶらぶらしている青年を、うちで働かないかと誘った程度ではなかったか。
 そして人払いして話したというが、誰も知らないはずなのにどうして内容が現代に伝わるのか。
 ここに後の創作が入っている。だいたい、独り言とか密室の会談などはすべて後世の創作である。
 これが中国の正史の特質なのだ。

 謫仙注:なお、三国志には「中国」という言葉が多く出てくる。決して第二次大戦後に作られれた言葉ではない。
 中国というのは間違いではなく、シナと呼ばねばならないことはない。


 劉備が存命中は孔明が軍事に関与したことはない。相談さえされたことがないようだ。

 政治家は腐敗する。それを当然として、腐敗しているとはつゆほどにも考えない。車を運転する人で、スピード違反をしたことのない人はおそらくいまい。その程度のこととして、当時の政治家が、公金をもって私財にするのは当然であった。それをうっかり取り締まれば、たちまち報復される。
 孔明は政治家のトップにありながら、腐敗せず、取り締まったところが偉いのだ。

 最後に五丈原の話をしよう。
 孔明は魏を討つとして何度も出兵した。だが行ったところは方向違いで、外国みたいな所である。
 当時魏の人は蜀なんて国を認識していなかった。
 現代でたとえるなら、海南島やチベットなどに従わぬ者がいて、皇帝と自称していたと考えればよい。
 蜀はその程度なので、魏を攻める力などありはしない。
 魏も、蜀は劉備が死んで数年間何もしないので、軍備を解いていた。そこへ孔明が軍を動かしたのでびっくりした、という程度の話なのである。
 ではなぜ軍を動かしたのか。
 これは蜀の国の国是、成立の基が漢の復興にあり、形だけでも遠征しなければならなかったからだ。

 謫仙注:台湾を考えてみればわかる。国号は中華民国、首都は南京なのだ。国是として、中国を占領している共産党という賊を滅ぼして、中国を回復しようとする。
 しかし、現実はそんなことはできるはずがなく、形だけ攻めたり守ったりしていた。つまりたてまえだ。
 現在は形の上でも独立するかどうか、つまり中国の回復を諦めるかどうかという選択でもめている。

 孔明の外征もたてまえを見せただけなのだ。五丈原でも補給線が伸びきって、兵士が生きていくことさえ難しかった。
   ♪ 丞相病篤かりき
 結局、そこで死ぬことになった。

 謫仙注:は、本には書かれていない、わたしが書いた文です。文責は謫仙にあります。
 もちろん黒字の、この本についての感想などは、文責は謫仙にあることは当然です。
posted by たくせん(謫仙) at 09:45| Comment(2) | TrackBack(1) | 書庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
私は、『三国志演義』はおろか、吉川英治の小説『三国志』しか読んでいません。
『三国志演義』や吉川英治では、漢の皇室・劉氏の血統の劉備の蜀が正義としてますね。

もっとも、日本神話の大国主命の「国譲り」なども、大和朝廷の、かってな解釈なのでしょうね。
大国主命は神話の神になってしまって、そうした勢力があったことを暗示するにとどまっています。
そして、大和の人々も伝説の中に昇華されてしまっています。
歴史は見方を変えると、全く違ったものになりますね。
信長、秀吉、家康の三人も、だれに肩入れするか(小説の主人公にするか)変わってしまいます。
私の息子の一人は、三国志に憧れ、高校時代に正史が読みたいといって、買わされました。5.6冊あったでしょうか。
私はちょっと見ましたが、とても読む気になれませんでした。
息子は、大学で東洋史を学び、中国の古代史を専攻しましたが、『三国志』は『三国志演義』のように面白いものではないといっていました。
今は一サラリーマンで、中国史とは無縁のようです。
いずれにしても正史というのは面白いものではないようです。
そして、その正史がどこまで正しいのか・・・
しかし、後から作られた創作が英雄を作り出すというのは面白いですね。
「弁慶」「猿飛佐助」「山本勘助」・・・
Posted by オコジョ at 2007年09月13日 13:33
わたしも正史の「三国志」は読んだことはありません。
ただ中国史を語るとき、このような話は、必要な知識ですよね。
いま、わたしは宮城谷昌光の三国志を読んでいるのですが、第4巻で音を上げてしまいました。
ここまで来てもまだ毎ページのように新しい人物が登場し、とても小説を楽しむどころではない。
小説は不要な部分を刈り込んで、主要な部分を判りやすくするのが普通ですが、宮城谷昌光それらを区別なく名前の判ったものは全部取りあげている感じですね。主人公が何百人もいる感じです。
歴史が主人公と言えばいえるのですが、この本は正史に近いのかも知れません。

諸葛孔明は、軍事にはうとい男ですが、政治家としてかなり有能であったことでは、評価は一致しているようです。
諸葛孔明については多くの人が取りあげていますが、この本では関羽や張飛の実像を書いているのが新鮮でした。
この本を読んだあと読んだ北方謙三の三国志は張飛が名将として画かれて、どうしようもない違和感がありましたね。

中国では文字があり、記録されているので、ある程度は判るにしても、それをもとにした「歴史小説」が正史とされているような気がします。日本の古事記や日本書紀も同じかな。
書くのは勝者、自分に都合のいいように書くでしょう。
前王朝の最後の王や皇帝は、必ず卑劣漢として画かれるのはおきまりですね。

それでも、全体を流れる倫理観は現在の中国に流れていることでしょう。
それを他国に押しつける弊害も。
Posted by 謫仙 at 2007年09月14日 08:01
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