白 聖姑
いま白▲を打ったところ。黒1・白2・黒3がわたしの注文である。
謫仙酒をかけての碁では、わたしのこんな必勝形は初めてだ。聖姑(せいこ)はどこでどう間違ったのか。
「謫仙さんはデートで留守ということが、一度もなかったわね」
入って来るなり聖姑はそんなことを言いながら、勝手にコーヒーを淹れる。
「そのとおりですっ。もてないので、『おさわり十八手』どころか、おさわり一手もしたことがありません」
「おさわり十八手? 粋な遊びを知ってるのね」
「聞いたことがあるだけです」
甘い顔をすると謫仙酒を取られる。
「今日はわたしが負けたらデートしてあげる、勝ったら」
「謫仙酒か」
聖姑が言い終わらないうちに、声を重ねた。聖姑は打つ前からもう勝ったつもりでいるようだ。
「オレの黒、コミなしでやろう」
「そんなあ、わたし負け越しているわよ、あなたの白よ」
どこから、そんな嘘っぽい声を平気で出せるのだ。謫仙酒をかけると必ず勝って帰るのに。
途中から数手打つたびに聖姑はため息をつく。どうやら聖姑に見損じがあったようだ。今回のため息は三味線ではなく、ライアーらしい。
聖姑は小さいながらデパートのオーナーの娘である。
父は駅前の商店街が終わるあたりに土地を得て、デパートを始めた。間もなく後ろに団地が建ち、ファッション商品が売れ筋だった。
ところがそれがいくら努力しても売れなくなった。
「わたしが大学を出たら、いきなりファッション商品の責任者にされてしまった。父はわたしのファッションセンスに期待したんでしょうけど」
3ヶ月後、聖姑はその売り場を高齢者用衣服の売り場に変えてしまった。
「団地の人たちが高齢化していたのよ。それに若い人は都心のデパートや専門店で買ってくるでしょ」
黒圧勝の場面で、黒1と打つと「困ったわあ」と言いながら少し考えて白2と打つ。
「しまった」と思った。大変な見損じだ。今打った黒を捨てて、黒3と一眼を作る。白4をみて右でもう一眼と思ったら、一閃白6が来た。これが来て、ようやくここが切れていたことに気づいた。
どうやらもうコミも出ないらしい。盤面勝負である。残った右下を活きようとしたら、こちらも死んでいる。
悲鳴を上げて投了した。「黒5は6でなければいけなかったんだ」しかし、それでも活きない。
よくよく考えてみたら、白4で全滅しているではないか。元に戻って黒3では、黒4・白ヌキ・黒3で、黒は一眼を持って劫になりそう。黒はなんとか活きたのではないか。しまったと思った次の手が本当の敗着だった。
その前に、もし切断の手が見えていれば、黒1は4に打って何の問題もなかった。
「あら〜困ったわ、今日は負けたかったのに」
聖姑はそんなことを言って、謫仙酒を持って意気揚々と引き揚げていった。