2007年09月30日

シナン

  シナン(上・下)  夢枕獏  中央公論新社  04.11
 16世紀、オスマントルコの壮麗王スレイマン大帝の時代。
 世界に冠たる大建築家がいた。その名をシナンという。
 そのシナンの一生を物語る。
 同時代にダヴィンチやミケランジェロなどがいる。
          sinan.jpg
 享年100。普通天才とは若くして才能を現し、若くして死ぬことが多い。だが、シナンは、50歳を過ぎたころから才能をフル回転させ、死ぬまで現役として、477の建築作品を作った。その中に80のモスクがある。
 世界最大のモスク、それが87歳の時の傑作である。セリミエ・ジャーミー。
直径32メートル。壁ではなく、6本の独立柱と2本の付柱によってドームを天に持ち上げている。
 シナンがたどりついた八角形システムがそれを可能にした。
 窓の数は九百九十九。人の気配はなく、あるのは空間と光。
 このジャーミーの説教壇の大理石でできた柱には一つの逆さチューリップが刻まれている。
逆さは「頑固者」の意味があるそうだ。
 ここには泉がある。ところがそこの近くに、そこより高い場所は存在しない。水はどこから来るのか。

 シナンは1488年カッパドキア地方に生まれた。十四歳の時デヴシルメという少年徴集制度によって、イェニチェリという兵士団に入れられた。
 シナンはもともキリスト教徒であった。だがオスマントルコの都イスタンブールへ徴集されたとき、イスラム教に改宗する。
 シナンにとって、改宗は神の名をなんと呼ぶかの差であった。
 皆がいやがる徴集を喜んだのは、聖(アヤ)ソフィアで神を感じたかったのだ。
 537年、シナンの時代より千年も前に、キリスト教徒によりイスタンブールに、直径31メートルの大聖堂が建てられた。高さ56メートル。聖(アヤ)ソフィアである。
 ところが千年もの間、これを越える建築物はできなかった。
 そしてそこはトルコの首都となる。そして西洋人に言われ続けた。

「野蛮人」
「トルコ人は、他人が築きあげたものを奪うことはできるが、文化的には劣っている。それが証拠に、聖ソフィアより巨大な聖堂を、彼らは建てることができないではないか」


 聖ソフィアより巨大なモスク(ジャーミー)を建てること。これがトルコ歴代の王(スルタン)の夢となった。
 さて、改宗の時の問答がおもしろい。作者の宗教問答がわかりやすいのは、「神々の山嶺」や「上弦の月を喰べる獅子」で知っていたが、ここでもわかりやすく書いている。
 名というのは、たとえばシナンという名は、シナン以外の人がシナンを示すために、他人のためにあると推理し、

「たぶん、ボクを知っている人の数だけ、その人の考えるシナンがいて、それは全部違っているはずなのに、ぼくを呼ぶ時はいつも同じシナンなんだ」
 そして、
「ねえ、どうして神に名があるの?」
「神が、もし、この世で唯一の存在ならば、名前なんていらないような気がするんだー」


 この名とは「エホバ」とか「アラー」である。
 神に名を付けたのは誰か。
 神が自ら名をかたったのか。
 神はどういう言語を用いたのか。
 神の言葉を人は知らないから、人の言語ではないか。
 では肉体を持っているか。語ることは肉体で音を出すことである。
 肉体を持たないなら、どうして声を発するか。
 そして神父はシナンの疑問を肯定する。名は便利だからで、本質ではない。

「おまえから、シナンという名前をとってしまったとしよう。すると、おまえはこの世から消滅してしまうかね」
「しません」

  ……
「神もこれと同じだ」
  ……
 そして、「希に、神は、人がその手によって造りあげたものの裡にも降りてくることがある……」

 それが聖ソフィアだ。
 都に上り、聖ソフィアに行ったとき、若き王子スレイマンと会話する。後に宰相になるイブラヒムもいた。
 この時、聖ソフィアに感動したものの、「神を入れるための器なら不完全である。神のすべてが見えない」
 それが判れば、ここ以上のジャーミーを建ててみたいと希望を持つ。
 シナンは少しづつ才能を発揮していく。その時、宰相のイブラヒムに知られ、見込まれる。
 そして多くのモスクを建設するが、モスクばかりでなく、その周りの都市も総合的に計画するのだった。
 水道・橋・舟など、建造物ならなんでも才能を発揮できた。
 そして生涯の願いが、聖(アヤ)ソフィアを越えるジャーミーの建設である。
 同じものならば建てられる。だかそれでは物まねと言われてしまう。独自のものでなければならない。
 それは壮麗王スレイマン大帝の死後に建てることになった。

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 オスマントルコには不思議な制度があった。
 王(スルタン)となった者は兄弟を皆殺しにすることが許された。
 逆に言えば、王子は王になれないと殺されてしまう。
 そのために王子たちの間では、常に緊張があった。そして母親をはじめ側近たちは、命がけで、権謀術数を尽くす。
 王妃ロクセラーヌは、当然我が子セリムを次の王にしようとする。
 名宰相のイブラヒムは、聡明なムスタファ王子を推薦する。王もそのつもりでいた。
 しかし、王妃側が勝ち、イブラヒムは破れて死を賜ることになる。
 これでよく王朝が保てたものだ。
 不思議である。

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 オスマン帝国は、トルコ系の王家オスマン家を君主に戴き、現在のトルコの都市イスタンブルを首都として、西はモロッコから東はアゼルバイジャンに至り、北はウクライナから南はイエメンに至る広大な領域を支配した多民族帝国(1299年 - 1922年)。

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謫仙 追記:アラーは神の名ではなく現地の言葉で「神」の意味だと聞いたことがある。つまり神には名がない。してみると、神の名についての問答は問題がありそう。
posted by たくせん(謫仙) at 13:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 書庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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