2007年11月23日

呉清源 −極みの棋譜−

 映画、「呉清源 極みの棋譜」を見てきました。
   監督:田壮壮   原作:呉清源著「中の精神」
 呉清源役の張震(zhang zhenチャン・チェン)が若き日の呉清源役にぴったり。日本語が上手すぎたかな。わたしより上手そう。ご存知のように、呉清源さんは今でも日本語がたどたどしいところがある。それに比べれば上手すぎる。
(^。^))
 雰囲気が実に呉清源さんらしい配役だった。

 映画はいろんなエピソードを寄せ集めた感じで、なんかまとまりがない。大河ドラマの総集編のような感じだ。あるシーンからいきなり関連のない次のシーンへ飛ぶ。あれはどうなったのと思っているうちに、また関連のないシーンに飛ぶ。
 原作を読んでいないので、意味が判りにくい。呉清源さんの著作「莫愁」はエッセイ集で短いバラバラな話の集まりなのだが、それを映画でやっているような感じだ。

 実は遅れて映画館に入った。ネットで見て、4時40分に始まると思い、4時20分ごろ映画館に着いたが、4時ちょうどの始まりだった。次の回まで待つのも大変なので、入ってしまった。
 ちょうど富士見の療養所のシーン。電気スタンドを点ける。そのスタンドが、昭和五十年代(?)ころの新しいデザイン。丸い台、フレキシブルな細い首、電球を包むような小さな傘、変形した電球。
 戦前の富士見にそんな洒落たデザインの電気スタンドがあったか? それがいきなり目に入ってしまった。
 そして、そこに見舞いに来た川端康成らしき人とススキの原での会話。わたしは観戦記者かと思ったが、どうやら川端康成らしい。
 川端康成には「呉清源棋談」とか「名人」などの著作があり、みずからも碁を打つ。呉清源とも親しい。川端康成らしき人はメモ用紙を持って観戦したりしている。
 千寿会では、ちかちゃんが川端康成に詳しい。実際に対局しているかも知れない。

 日中の狭間で悩む青年像。紅卍会に入り、後に爾光尊に入る宗教人としての呉清源も。
 本因坊秀哉との、天元・星・三三の対角線布石が出て、この時の本因坊秀哉の碁石の置き方(手つき)がおかしかったが、そこで終わり。
 木谷道場では「名人」の当時、つまり秀哉の引退碁の当時、18人の子供を預かって、内弟子としていた。その子供の碁を見ているとき、呉清源が訪ねてくる。呉清源にとって木谷道場は心の安まる所だった。
 木谷との十番碁で、木谷が目の前で倒れたのに、それに気が付かず考え込んでいる集中力は白眉。
 戦中戦後の買い出し、空襲など。
 呉清源はいないが、広島の原爆の下で戦った本因坊戦の話。
 爾光尊で警官を相手に暴れる男は「双葉山」なのかな、それにしては小さい。説明はなかった。バンフレットでは双葉山と書いてあるらしいので、どこかで「双葉山」と説明があったのを見落としたか。
 高川秀格との最後の十番碁は、始めただけで終わり。
 交通事故によって、打てなくなり、と言っても勝率はいいのだが冠に届かず、引退に至るまで。
 等々。

 そこで次の回を待つ。
 始めに呉清源師の現在の元気な姿。
 そして、物語の始まりは、少年の時、外から帰ってきてベッドに入るところ。
 ここでわたしは父親のために碁を並べる姿を期待した。右手で本を持って左手で並べる。疲れると、左手に本を持ち替えて、右手で並べる。こうしていきなりトップクラスの棋譜を並べ続けた少年時代。そのシーンはなかった。なんのために少年時代を撮したのか。
 そして、いきなり日本へ来てしまう。スカウトされるシーンもない。
 短い時間に凝縮するので、そうやって、ワンカットで飛んで行かざるをえないんだろうな。
 それでも呉清源の人柄や生き方が、はっきり表現されていたと思う。
 柄本明が瀬越憲作を好演。
 最後は、
「わたしの人生には真理と囲碁、このふたつしかない」
 現在90歳を越えているのに、碁の研究を続けていらっしゃいます。

参考
神髄は調和にあり −呉清源 碁の宇宙−
莫愁(もしゅう)
名人
呉清源

 なお「莫愁」を読むと、紅卍会は宗教団体ですが性格は赤十字に似ているように思いました。呉清源さんも「欲望に基づいた信仰は迷信である」と明言しています。
posted by たくせん(謫仙) at 07:48| Comment(6) | TrackBack(0) | 山房筆記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
やはり御覧になっておられましたね。
田壮壮の作品は割と好きなので、私も見に行きました。
(中には『ロック青年』みたいな「あれれ?」なモノもありますが)

囲碁がまったく分からない私は、田監督の場面の重ね方や色使いを堪能するばかりでしたから、「囲碁がわかるヒト」の見方が気になっていたところです。

>短い時間に凝縮するので、そうやって、ワンカットで飛んで行かざるをえないんだろうな。

パンフに曰く来日前のエピソードも脚本には存在した、とか。
監督が大鉈を振るったようなのですが、父から棋譜をもらう場面などはむしろ見たかったですわ・・・。

>この時の本因坊秀哉の碁石の置き方(手つき)がおかしかったが、そこで終わり。

ああ、やはりツッコミが(笑)。

>柄本明が瀬越憲作を好演。

原爆のシーンは鬼気迫りましたね。すげえの一言。
このあたり「広島で本因坊戦を続けるから」の台詞で気づくべきでした。

>それでも呉清源の人柄や生き方が、はっきり表現されていたと思う。

田監督は自分がつかんだ「本質」をダイレクトに表現するヒトなんだと思います。時にそれが独特の文脈を持ってしまうので、筋を追っかけようとすると追いきれなくなってしまいます。その辺で好みが別れるところかもしれません。

>莫愁
わ、「ばくしゅう」じゃないんですね。
それではまた。
Posted by 飯香幻 at 2007年11月25日 21:52
飯香幻さん。
この場面のとらえ方は田壮壮の特徴なのですか?
わたしは芸能人や監督などの情報知識がなく、どのような人がいて、どのような作品を作るのか判りませんので、時間の制約と思っていました。

碁を打つ手つきはいつも問題で、手だけでも代役をと思います。
父は病気でベッドの上の生活をしていました。日本で碁を勉強し、沢山の棋書を持ち帰りました。父から棋譜をもらうのではなく、本の通りに父の前で並べていたのです。父に見せるために。
碁を知らない少年が、トップクラスの棋譜を並べる。これは大変なことなんですよ。今のわたしでも総棋譜は並べられない。おそらく何譜かに分けられていたのでしょう。

なぜ広島でやったのか。時局がら、碁どころではなかった。新聞社もお金を出す余裕がなく、設定できなかった。瀬越憲作は広島に疎開していたのではないかな。当時本因坊は大阪の人だったし、東京は空襲で棋院を消失していました。瀬越憲作とともに橋本本因坊の尽力も大きかったと思います。

莫愁、は「もしう」と仮名をふっています。
これは呉清源さんの言うことを、ゴーストライターが代筆したものです。
呉清源さんはサインをするとき、相手の名前を聞き、その文字入りの古文や詩を書いたといいます。だから教養も並みではなかった。でも不思議なことに日本語だけは流暢に喋ることができなかったんですね。若いころは、文章力も本にするほどではなかったのかも知れません。
莫愁は李莫愁姉さんと同じです。語源は五代のころの美女の名ですよ。
Posted by 謫仙 at 2007年11月26日 08:23
映画を見ましたが、はっきり言って面白くなかった。呉清源さんのことを知っている人は、思い入れがあったかも知れないが、知らない人はどこがいいのかさっぱりわらない状態だ。4コマ漫画の1コマめだけを並べたような感じで、映画になっていない。写真集のような感じだった。碁にしても結果が出なくては意味がないのではないか。
双葉山や川端康成などの扱いも、原作にあったので入れただけで、監督がその意味を知らないのではないかと思う。
ヒットしないのも当然だろうな。
Posted by 海千 at 2008年01月23日 21:00
物語として見た場合、筋もなく、結果もなく、いわゆる面白いものではありませんでしたね。

>写真集のような感じだった
写真集に説明を入れたような感じてすねえ。
たとえば北海道のシーン。
バスを降りて、途方に暮れて、かがみ込んで泣き出してしまう。
次のシーンは目的地に着いている。その前に泣き出してから立ち上がって歩き出すまで、あるいは人に道を訊くとかしてから、次のシーンに移れば、と思いました。
双葉山や川端康成の価値、片や角聖かたやノーベル賞作家程度の知識なんでしょうか。やはりおっしゃるように原文にあったから入れた程度かな。
深みは感じられませんでしたね。

碁に関して言えば、その場面だけで、肝腎の結果やそれの及ぼす影響が全く語られませんでした。わたしはこれを語って欲しかった。碁の話ではないと言っても不満があります。

結局、呉清源さんのストイックな生き方を表現するために他を犠牲にしたようです。
Posted by 謫仙 at 2008年01月24日 08:26
>見舞いに来た川端康成らしき人とススキの原での会話
あれは川端康成だったんですね!
全く説明もないので、解りませんね(^^;

>呉清源はいないが、広島の原爆の下で戦った本因坊戦の話。
このシーンも凄まじかったです。
囲碁を打つ方々の集中力って凄いのですね。
あれは、とっさに碁盤を庇っていたんですよね?

>爾光尊で警官を相手に暴れる男は「双葉山」なのかな、それにしては小さい。
私もwikiを見て「双葉山」なのかなと思いました。

>父親のために碁を並べる姿を期待した。
>碁を知らない少年が、トップクラスの棋譜を並べる。これは大変なことなんですよ。
なるほど、それは是非見たかったです!
Posted by 阿吉 at 2012年03月05日 15:50
阿吉さん
川端康成は説明がなかったと思いますね。わたしは、あれがそうかどこかで説明を見落としていたか、と思ったのでした。
>あれは、とっさに碁盤を庇っていたんですよね?
正確な状況が記憶にないンですが、碁盤を庇うということはないと思います。つまり吹き飛ばされても、局面を憶えているので、難なく再現できますから。
呉清源さんの中指は曲がっているといいます。少年時代に重い碁の本を持って並べていたので、曲がってしまったとか。
それで碁を覚えた(知った、学んだ)といいます。武侠なら、数年かけて基本の技を覚え、その後何十年もかけて絶技の一つを覚えるというのに、いきなり少年が絶技のいくつかを学ばされ覚えてしまったと、そう考えて下さい。どれほど素晴らしいことか判るでしょう。14歳で日本に来たときはすでにトップレベルでした。日本中の期待が集まったといいます。今では中国の方が日本よりレベルが高くなりました。
ただ、映画監督がその意味を理解していたかどうか。
Posted by 謫仙 at 2012年03月06日 11:24
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