中心は遊園地「花やしき」であろうか。映画館・寄席・場外馬券売り場・飲食店などが並ぶ。
先日木馬館の前を通った。このあたりは何度も歩いているのに、ここの道は初めて。ロストワールドに落ち込んだような気がした。

浅草観音温泉、いわゆる風呂屋ではなさそう。地下三千尺から汲み上げる天然温泉というが。ツタは三階まで伸びている。

この商店街を歩いているとこんな店が。芝居の道具店であろうか。

もちろん刀もある。これが今でも商売が成り立っているのに驚く。一軒ぐらいはあっても…、のその一軒がここか。

呉服店はあちこちにありそうで、案外目にしない。

こんな所に道があったと、その道を入ったら、ここに出た。木馬館は芝居小屋だ。俗にいう大衆演劇だが、華のお江戸のど真ん中。浅草の人には歌舞伎よりよほどなじみがあろう。こういう一座は、中心になる人に藝達者な人が多いという。団員の都合、お客様の様子などで自在に話を変えたりすると聞く。残念ながら見たことはない。
芝居が終わってお客が出てきたら、役者も出てきて一緒に写真を撮ったりしている。

同じ建物に木馬亭があった。こちらは浪曲の定席として有名だが、この日の出し物は浪曲ではなかった。
インターネットで調べたところ、毎月の上旬が浪曲であった。
40年ほど前に、相模太郎の「灰神楽道中記」と寿々木米若の「佐渡情話」は全部覚えた。
毎度みなさまおなじみの あの次郎長に子分はあるが 強いのばっかりそろっちゃいない 中にゃとぼけた奴もいる どじで間抜けで出鱈目で おまけに寝坊でおっちょこちょい 名付けたあだ名が灰神楽とて 本当の名前が三太郎 道中日記のお話を 不便ながらも時間まで ……
今でもすらすら出てくるな(^_^)。
こうしたものを大切にしていく、気風が残っていることに
驚異を感じるとともに、嬉しく感じます。
初代相模太郎の「灰神楽道中記」ですね。
父が良くうなっていました。
これと広沢虎蔵の「金毘羅代参」父が好きでした。
まもなく父の5年祭(我が家は神道でこういいます)で、
懐かしく思い出しました。
ありがとうございました。
浅草はいい町ですね。
童謡をいつまでも覚えているのと同じかな。
お父上の世代では、浪曲はけっこう重みがありましたね。
広沢虎蔵の「金毘羅代参」をはじめ難しい話も、子供でもうなっていた時代。
一瞬タイムスリップしたような感覚でした。
神道では5年祭というのですか。わたしは無宗教と言っても、寺は真言なので、両親は仏式で弔いました。
そしてたくせんさんの三太郎の・・・お見事な口回しにも驚愕!!
たくせんさんはなかなかの芸達者ですね(^o^)丿
つるべ落としの秋の日が はや西山に傾いて たそかかれかのゆうまどき 流れも清い五十鈴川
それはともかく下町情緒には惹かれるものがありますね。
ほっとするのでしょうか。
子供の時代を思い出すとか。同質な感じというのでしょうか。