(上)
これは武侠ミステリーであろうか。李尋歓は父・兄・本人と3人続いた探花の家の3人目。
それが戻って来るところから話が始まる。どこからどこへ戻るのか、なぜ故郷を出たのかなぜ戻るのかなど、いろいろな謎がよく判らないうちに、行き当たりばったりに物語が進む。
そもそも主人公の目的は何なんだ。とんでもない怪人物が次々と登場し、ストーリーなど説明しようがない。だがなんとなく読む手がページをめくる。
翻訳のよさによるのかも知れない。その人にぴったりする、息づかいまで伝わるような科白。登場人物の際だつ個性。この本に限らず、岡崎由美の文は日本語が判る人の文だ。
それでいながら、上巻を読んでもまだ何も判らない。
わたしはミステリーというのは好まない。「名探偵、皆を集めてさてと言い」というのが気にくわない。判っていたなら、その時に言え。後出しじゃんけんで威張るな。
まして登場人物がみな知っているのに、読者だけが知らないというのは読むに堪えない。
そんなわけで、この本はひとに勧める気にならない。
いま上巻だけだが、もし図書館に下巻がなければ、そのままになってしまってもかまわない。
探花とは、科挙の試験で第三位になったもの。一位は状元、二位は傍眼。探花は普通は三位だが時代によっては三位ではなかった。
(下)
下巻もあったのでなんとか読んだ。なんと一冊の本に2週間かかってしまった。最後までイライラしていた。結局謎は判らなかった。解決しないミステリーだ。
最後に李尋歓が街を離れた理由が暗示されるが、最初にはっきり言って欲しい。
新たに書き加えることはほとんどないので、馳星周の解説の一部を紹介しよう。
わたしは金庸の小説を貪り読んだ。そして、納得した。
確かに武侠小説は面白い。しかし、飽きる、と。
ぶっちゃけた話、中国の−金庸の武侠小説は定型の物語だ。基本は貴種流離譚。
中略
古龍は時代設定もなにもかもがかなりいい加減だと聞いていた。だが予想していたのとは違うのは、そのでだらめさ加減が、小説にとってはいい方向に向かっているということだった。
もう、ここまででたらめなら、いちいち目くじらを立てるのがばかばかしい。なんの伏線もなく新しい登場人物が現れ、消えていったとしても、そのキャラクタに忘れがたい味があれば、どうだっていいことではないか。
古龍を読んでいるとそう思えてくる。本当に、古龍の描くキャラクタは味がある。
わたしにはこの無目的とさえいえる流れは耐え難い。最後には謎が解けて納得するだろう、そのためには途中も読んでおかないと…、と思って読み進めたのだが、20ページも読めば飽きてくる。
「ああこの部分は読まなくても意味が通じそうだ」と思って休憩。また30ページ読んでは、辛抱できず休憩。最後になっても納得できず、「この本は二度と手にすることはないだろう」。
わたしは馳星周と違って、いちいち目くじらを立ててしまう。とにかく読んでいて楽しくない小説である。武侠の話をするために無理して読み終えた本であった。
それでいながら紹介するのは、好みには合わないが人物設定が悪くないと思うからだ。
落語を聞いていたころ、文楽(八代目)・円生(六代目)・志ん生(七代目)・志ん朝・談志などに夢中であったとき、円鏡(八代目圓蔵)や三平に度肝を抜かれたことがある。おそらくそんな感じではなかろうか。