プロはともかくアマの場合、強いといってもたかが知れている。
初段のころでは、ヨセだけ見ると三段ぐらいに思える人がいる。そうヨセに強い人だ。
もし布石や中盤の戦いが、ヨセにふさわしく強ければ、三段になっているはず。それがなっていない。なぜかと言えば、どこか弱いところがあって、平均して初段なのだ。
「ヨセに強い人は碁も強い」ならばヨセ三段の人は三段になっていよう。そうなれば三段のヨセで、三段にしては当然で、ヨセに強いとはいえなくなる。
布石の得意な人、戦いに強い人、ヨセが正確な人。これらの言葉は、その段級位にしては、という言葉がその前に付く。
初段にしてはヨセに強い。5級にしては布石が上手い。
強くなるときは、すべてが一度に強くなるわけではなく、あるときは、布石が上手くなり、あるときは戦いが強くなり、あるときは、ヨセが正確になる。先にヨセが正確になった人は、ヨセが強い人であり、そのような人は戦いや布石が強くなるのが早いのではなかろうか。
たとえば布石が2級・戦い初段・ヨセ三段の初段子がいたとしよう。ヨセに引きずられて、戦いが強くなり、戦いが強くなると布石も上手くなりそうだ。
逆に布石三段・戦い初段・ヨセ2級の初段子がいれば、ヨセが上手くならない限りなかなか上に行けなそうな気がする。
このたとえ、わたしがそう思うだけだ。
いずれにしても「あの人はヨセが強い」というのは、他の部分に弱いところがあるからで、だから「碁も強い」とはいえないのではないか。
一般にアマは布石や戦いのわりに、ヨセが下手だという。だからヨセが棋力相応ならヨセに強いと感じるか。
またヨセに強い人は逆転負け(?)が少ない。そんなことも強いと感じるのか。
いつも行っていた碁会所に「ヨセに強い人」がいた。ヨセ勝負に持ち込むと負けてしまうので、いつも中盤での中押し勝ちを目指して、強引に戦いの碁にしてしまう。無理が通らなければ中押し負けだ。
わたしが勝つときは中押し勝ち、ヨセに持ち込まれると負け。それでバランスがとれていた。
あの人は今ではわたしより強くなっているのではないか、と思うことがある。「ヨセに強い人は碁も強い」から。
逆の人もいた。いつもヨセで逆転勝ちできるのだ。大ヨセで2カ所も急所を打って、逆転したことを言うと、
「そんなことはどうでもいいんですよ。碁が終わったあとの話だから」