2008年01月12日

炎天寺と小林一茶(上)

 炎天寺
 平安末期の創建になる。1056年、炎天続きの旧暦六月、奥州安倍一族の反乱鎮圧におもむく源頼義と八幡太郎義家の親子が、このあたりで野武士と戦い苦戦して、京の石清水八幡宮に祈願し、ようやく勝利を得て、炎天寺とその隣に八幡宮を建立、地名を六月村とする。
 寺は源氏の白旗が勝ったので幡勝山、戦勝祈願が成就して成就院、炎天続きなので炎天寺としたと伝えられている。
 別な説明板では炎天寺と改めたという。してみると炎天寺の前身がその前からあったのか。
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 江戸後期の小林一茶が幾つかの句を残している。そのため、寺内に一茶に関する説明もある。毎年11月23日には、一茶まつりを行い、俳句大会もある。
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   日洩れては急ぐ落葉や炎天寺   石田波郷

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門から真っすぐ本堂まで通じている。この細い道の左側はお墓、右側は八幡宮になる。

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 投句の発表掲示板。その右は投句ポスト。
 全国の小中学校から投句がある。昨年は十二万三千句以上の投句があったという。

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 道の脇に六地蔵などが並んでいるが、どれが何だか。

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   施餓鬼会の背に極楽の余り風   石鍋静穂

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 供養塔・庚申塔などがあるはずだが、この塔に説明はない。

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 古木の椅子だが、使われているのかな。

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 福蛙なんだそうで…。ここにも弘法大師像があった。

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 隣の八幡宮。今日的な宗教意識はなかっただろう。これは日本の神の祀り方。寺は異国の神の祀り方、もし教会が入ってきてもこれは西洋の神の祀り方で、違和感はない。

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 駅が近づくと、歩道にはこんな模様がある。
 竹の塚の駅の反対側には白旗塚がある。その名も源頼義親子の白旗にちなむ。

   炎天寺と小林一茶(下)に続く
posted by たくせん(謫仙) at 08:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 山房筆記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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