2008年02月03日

鹿鼎記 七 故郷再び

  金庸  訳 岡崎由美・小島瑞紀  徳間書店  04.2
 韋小宝が欽差大臣(特命大臣)として揚州に凱旋する。この中に揚州詩が出てくる。これについて思うところを書いた。間違いがあったら教えていただきたい。

 揚州では忠烈祠の建立と揚州の三年の免税。清朝が征服のおり、虐殺があったことへのお詫びでもある。目的は三藩の乱を前にして、民心の掌握であった。
 そこで揚州の役人たちが、韋小宝を接待する。その時、芸妓が杜牧の揚州詩を歌う。
 韋小宝は芸術など判らないので、「おさわり十八手」を要求して芸妓を怒らしてしまう。
        rokuteiki7.jpg

 韋小宝は母親に会いに麗春院いくと、そこで鄭克ソウたちがいる。チベットのサンチェやモンゴルのガルダンと会うためだ。ふつうの店は欽差大臣やお供が使っていて使えず、こんな所で話し合いをする予定だったのだ。
 あらためて出直すと、サンチェとガルダンに捕まってしまう。サンチェとガルダンを口先ひとつで丸め込んで義兄弟となり、呉三桂陣営の切りくずしに成功。
 なんと店は神龍教に乗っ取られていた。こちらは騙して薬を飲ませ戦いになる。
 結局、薬などで身動きできない八人の女と韋小宝が取り残された。このうち二人は妊娠してしまう。
 戻ると、揚州知府の呉之栄が讒言のため、韋小宝のところに来る。帰ったあと双児が仇討ちで呉之栄を殺したいという。前の主人荘家を讒言したのが呉之栄だったのだ。呉之栄を陥れ、罪人扱いして、荘夫人のところへ連れて行き、仇をとらせる。ここでは何人か「碧血剣」のおなじみが出てくる。
 北京に帰ると、韋小宝が青木堂の香主であることが康煕帝にばれており、同時に皇帝暗殺騒ぎがある。そのごたごたの中を、トルンを刺して(死ななかったが)、何とか宮中から脱出。大砲を構えて韋小宝宅を包囲する官軍を突破して、集まっている天地会の面々に官軍に囲まれていることを知らせ、官軍の包囲網を脱する。
 脱出直後、韋小宝宅は爆破されてしまう。
 康煕帝は細かく天地会のことを知っていた。それで天地会に裏切り者がいるのではないかと思いいたる。

     …………………………
 杜牧の揚州詩について。
 杜牧は揚州から江南に移って、揚州にいる友人に送ったのである。
 この詩は唐詩の中で一番美しいとされているそうだ。

揚州詩 杜牧
  青山隠隠水迢迢
  秋尽江南草未涸
  二十四橋名月夜
  玉人何処教吹簫

 芸妓が歌ったのは、次のように訳してある。
青山は隠隠たり 水は迢迢(ちょうちょう)たり、
秋は尽きて江南の草木涸(しぼ)む。
二十四橋名月の夜、
玉人 何(いずれ)の処にか吹簫を教(おし)うる。


 未を木として、「江南の草 未だ涸れず」を「江南の草木しぼむ」としている。
 さらに「教」を「教える」としているが、これは「教える」ではなく、使役動詞で「シむ」と読み、強制的にやらせるという意味だ。
 玉人とは、作者が特定できるあの美人。それが簫の吹き方を教えたりするかな(教える仕事をしていたのなら問題ないが)。おそらく遊女で、ここは、作者の知らない客に吹かされるいるのだ。
 もちろん簫を吹かせるのは名目で、実際はその後のサービスが目的である。
 二十四橋は揚州の別名。
 迢迢は、はるかに遠いさま・いつまでも絶えないさま。
 わたしは次のように覚えていた。

青山隠隠 水迢迢
秋尽きて 江南の草 未だ涸れず
二十四橋 名月の夜
玉人 何処にて簫を吹かしむるや

意味は、
青々としていた山は隠隠としてきたが、青みがなくなったわけではない。
流れていた水はちょろちょろとなったが、水が絶えたわけではない。
秋が尽きて、江南の草は黄色くなったが涸れきってはいない。
(それなのに)二十四橋の名月の夜ともなれば、
玉人は誰かの処で簫を吹かされていることだろう。(俺と玉人の仲は切れてしまった)

(注:調べたところ木と未の両説あった。だから間違っている訳ではない。わたしは未のほうが詩的だと思うが、金庸が「木」説を採用したのだろう)
posted by たくせん(謫仙) at 07:33| Comment(2) | TrackBack(0) | 書庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
たしかにたくせんさんのいう「未」のほうが詩的な感じがします。ただそれは日本人ならばで、中国人はどうでしょうか。当然個人差があることですから、一概に日本人は中国人はとは、いえません。
まして杜牧は感覚はどちらなのか、現代では推測の域を出ないでしょう。
金庸さんが「木」を使ったのは、案外中国人には詩的に感じるかも知れませんね。あるいは代表的な詩の本では「木」であったか。
写し間違えということもあるのでしょう。翻訳のミスということはないか。
Posted by mino at 2008年02月04日 20:17
おそらく香港では、木のほうが通説なんでしょうね。
翻訳のミスは考えられないでしょう。翻訳者は両説があるときは、原作に沿って翻訳しますから。
言葉の感覚は、その言葉に通じていないと判らないので、わたしには判断できませんが、もしかすると歌は「木」で伝わっているのかもしれません。
おそらく、いわゆる権威ある本が「木」なので、それを利用したのではなかろうかと思います。
Posted by 謫仙 at 2008年02月05日 10:03
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