イスラム教について、わたしの知っていたことは少ない。聖典がコーランだということ。今でも厳格で、信徒は一日五回お祈りをすること。幾つかのグループに分かれて争っていること。一神教で神の名はアラーといわれること。これはアラーは神という意味で、神の名ではないとも聞いた。
例えば暗殺グループがあって、その名が麻薬の名になったことなども。もっともそれは欧米社会の創作の濡れ衣を着せられたので、実際にはなかった。
一神教であるため、キリスト教とは相容れないことなど。
キリスト教の聖書や仏教の仏典などはいわゆる入門書が多いが、コーランについては入門書を見たことがなく、どのようなことが書かれているのか、全く知らないのだ。
ここに絶好の入門書を見つけた。
そしてその内容はキリスト教の聖書によく似ている。なんとイスラム教はキリスト教の兄弟だった! 知りませんでした。
神は何度か預言者を出した。ムーサー(モーセ)やイーサー(イエス)、そして最後の預言者がマホメッドだ。
敬虔なイスラム教徒には、ユダヤ教やキリスト教は同教徒なのであった。見た感じはまるで違うが。
さて、コーランは神の言葉を記したものである。人間マホメッドの言葉ではない。しかも「マホメッドは最後のもっとも卓越した預言者。神の言葉はここにおいて完成される」と最後に啓示したものである。前に啓示したものとは、ユダヤ教の経典や旧約聖書や新約聖書だ。旧約聖書はユダヤ教の経典にそっくり。
だからコーランも内容が似ているのだ。同じ神様の教えなので似ているのが当然なんだな。いいとこ取りをしているようだが、少し違うのは、コーランのほうが最後の正しい啓示だから。つまり聖書の焼き直しのようなものだ。
そう見てみると、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教は、仏教の◯◯宗ほどの差しかないんですね。
「どうして正しいとわかるの?」「神がそう言った」で堂々巡りになりそう。
現在のイスラム分派とか、サウジに観光客が入れないことなども説明している。
「コーランは、後悔しない人生を送るための親父の説教みたいなものなんです。」
怒れる神と慈悲の神・・・
でも読んで面白いのは断然怒れる神のほうですね。
コーランは読んだことがありません。
『歎異抄』なら・・・
でも、若い時は役に立ちませんでした。
「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」
何故・・・
今ならわかるかなと、ふとおもいました。
良心だけでは片づけられないものがある。
それでその解説書に興味を持つことがあります。
特に仏教関係はそれなりに読みました。『歎異抄』は読んだことがありません。断片は聞いたことがありますけど。
それでいながら五戒を保てない。保つ気もない。
でも理想を説く人がいることは、大切なことだと思いますね。できなくても目指す、それで過ちを少なくする。人生の指針になります。
でも一神教の論理にはついていけません。