2008年04月15日

実録囲碁講談

 中山典之  日本経済新聞社   昭和52年 
 元は「囲碁クラブ」に18回連載された。そのうちの12話である。中山典之六段の、私の知る最も初期の作品である。(以下敬称を略します)
 以後も囲碁の本を陸続と出していて、すでに百冊を越える。
「囲碁いろは歌」には、すでにこの本「実録囲碁講談」は絶版となって入手不可能とある。
 最近新版が出たという。岩波現代文庫版の「完本」900円。「完本」というところをみると、わたしの知らない話が入っているのかも知れない。
 詳しく引用した部分もあるが、あくまでも、こんな本があります、是非読んでください、という紹介です。
         igokoudan.jpg

第一話 蛤の重さ
 この文が中山の出世作であろう。
 梶原武雄七段37歳と関西の橋本昌二九段25歳の対局の様子である。
 王座戦のトーナメントの一回戦を2日かけて旅館で打つとは隔世の感がある。
 長考派の橋本は一手目から長考にはいる。それに梶原も付き合い、二日制の対局一日目に僅か9手しか進まなかった。一部をそのまま紹介する。
 封じ手といわれて、

 ようやくにして梶原七段は、次の手が封じ手であることを認識したらしい。
「そうか。封じ手か」
 と深いため息をついた。しばらくして、もう一度ため息をつき、
「おとうちゃまは、くたびれたぞよ」
 とつぶやく。
 これを聞くともなく小耳にはさんだのが、隣で対局していた鯛中七段。ちらと、こちらの碁を眺め、
「なあんです。まだ四ツしか石を置かないのに」
 とからかう。
 これに対する梶原師の応酬が傑作なのである。
 いかにも弱り果てたという風情で盤を睨んでいた彼は、
「今日の蛤は重い」
 とつぶやいたのです。
 私は、ハッとして、四人の対局者の顔を見た。
 四人が四人とも盤上の手段に没頭しているらしく、何の反応も示さない。まさにこれ三昧境。
…… 

 この言葉を記録することで、この章は珠玉の章となった。
 梶原は、テレビで言っていた。
「巷間、いろいろと言われていますがね、私はまったく記憶がないんですよ」
 読み返して見ると、肩に力が入りすぎている感じがする。特に、
これに対する梶原師の応酬が傑作なのである。
いかにも弱り果てたという風情で盤を睨んでいた彼は、
    
というあたりだ。2章以降はその力がかなり抜けて、流れるような文になっている。
 なお、この文が縁で、朝日の観戦記者としても活躍することになる。
筆名は「典」。

第二話 秒針の轟き 
 この章は、木谷師の生前に書かれたが、亡くなる十日ほど前に木谷礼子さんが読まれて「父に聞かせたい」と喜んでいたという。
 
  禁酒、禁煙、わが家の宝

 木谷を象徴する言葉である。対局中では日本シリーズの野球中継が気になって、周囲が対局を休憩しようという提案に、野球好きな木谷が賛同しなかった話など、「見損じのない人生」であった。

第三話 落碁
 いくつかの落語じみた話が載っているが、その一つを。
 ある稽古先の話。
「先生、コメはいいですねえ。碁打ちはコメでなけりゃ、いけないと思いましたよ」
「そうですか。私もコメのよさが、やっと判ってきました。年をとると、やっぱりコメがよい」
「なにしろ、敵がカカッて来れば、ハサンで攻めるし、こわがって近寄らなければ、手を省いて、デカく地を取るんですわ。おかげさまで、このところ、勝率が上りっばなしでさあ」
「…………」
「特に、あのヒデサク流というのはよい。コメを三ッも打つんだから、もう必勝です。百年も前にドエライことを考えたもんですなあ、ヒデサクは」
 私は危うく吹き出すところであった。客人がコメといったのは小目のことであり、ヒデサク流というのは、秀策流のことであったのである。


 「拝啓円楽様」
 講談師中山亭、謹んで申し上げます。碁の話を五十ばかり欲しい。円楽さんが無関心ならなら、次のように書き続けます。
 アア、円楽イズクンゾ講談のココロザシヲシランヤ。
 唐突にこんな話を出して失礼。この章の前のほうに、円楽の「笠碁」を聞く予定だった話があります。
 原文はご存知と思いますが「アア燕雀イズクンゾ鴻鵠ノ志ヲシランヤ」です。

第四話 除夜の入門
 ここは、中山の修業時代の話です。

第五話 第二のドラマ
 東西対決という棋戦があった。
 白は西の筆頭橋本宇太郎八段にたいし、黒は東の筆頭新鋭山部俊郎五段。
 天才同士、あっという間の三手で満座がどよめいたという。
  黒1 天元
  白2 天元に桂馬にカカる
  黒3 天元から桂馬に白から一間にウケる
 名局とは人を感動させる碁であると定義したい。
に頷く。ミスがないだけの教科書どおりというような碁は感動しませんよね。
有名な「坂田の外ノゾキ」の話もある。

第六話 鳳雛の夢
 院生についての話など。
 中山が入段したのは、30歳のころだから、それだけでも珍しい。
 なにしろ院生は18歳で卒業、はやくいえばクビである。
 安倍吉輝(現九段)がこの18歳の壁に挑む。安倍は入段できたが、夢やぶれた人の方が多い。
 この中に、院生のプロテストの写真がある。奥に小林千寿院生がいるというのだが、小さく、女の子がいると判るばかり。
 さて、末尾に昭和51年の院生と研修棋士の一覧がある。24名。けっこう名前を知っている人がいる。
 王銘エン・井戸田啓子・新海洋子・相沢薫・二宮英子・大矢浩一・小林孝之など。

第七話 名将の揚言
 中山の筆は余技ではない。文章力は、碁でいえば九段であろう。
 碁界で名将と言えば、関西の総帥といわれた橋本宇太郎の名が浮かぶ。橋本師の対局中に川端康成が見学に来たことがある。
物静かな人で、橋本師はなかなか気づかない。ようやく気が付いた橋本師は座布団を下りて、丁寧な挨拶をした。
 立会人の藤木七段はそれがよほど印象深かったのか、川端康成が去ると、中山に訊く。

「キミ、今の方はどなたですか」
「は」
 私は返事をためらった。立会人と私語を交して、考慮中の橋本師のじゃまをすることを恐れたのである。すると、橋本師がこちらを向いて、ニコリとした。どうぞお話しくださいというのであろう。盤面に目をくれないのであるから、あるいは記録係の常識のほどを試しているのかもしれない。私は安心して返事をした。
「作家の川端康成先生です」
「ホウ、時代物でも、書かれるのですか」
 藤木七段は、この方面にはあまり理解がなかったらしい。
「いえ。“雪国”とか、“伊豆の踊子”とか、有名な作品はありますが、時代小説はないようです」
「碁がお好きなようですね」
 熱心に観戦していたのを見ているので、藤木氏も好感を持ったらしい。
「はい。碁を題材にした小説もあります。秀哉先生の引退碁をあつかった“名人”とか、“呉清源棋談”とか」
 橋本先生も軽くうなずいた。
「じゃあ有名な小説家なのですね」
 藤木七段は感に堪えたらしい。どのくらい有名なのかと聞いてきた。
私は藤木七段に失礼かなと一瞬思ったが、
「さあ、碁でいえば九段でしょう」
 と気軽に答えたものである。
 この瞬間であった。今まで黙ってニコニコと聞いていた橋本師が、ガバと記録係の方に向き直り、強い口調で、
「九段ではありません! 名人です!」
 と訂正された。


 数年後川端はノーベル文学賞を受賞し、名人であることを天下に示した。

第八話 深夜の怪笑
 棋士は自分が思っていたより強いのではと錯覚する時期がある(らしい)。入団した当時は、その錯覚がはなはだしいのではないか。なにしろ、何十人ものライバルを勝ち抜いたばかりなのだ。
 ある日の錯覚組の四人。(段は当時)
   安倍吉輝三段
   高木一初段
   福井正明初段
   中山典之初段
 終電車に乗り遅れ、棋院に泊まることになった。その夜のことである。
 布団に入ってもすぐには眠れない。
 安倍が言う。
「眠れないなあ。一局並べるから誰の碁か当ててみな」
もちろん盤に並べるのではない。
「いいか、黒1、17の四」
と口述するのである。三百年の歴史で打たれた碁を次々に披露し、時には感想なども述べる。
高木と福井は次々とそれをあてていく。
「いいか、黒1、17の四」
例によって安倍が発声した瞬間である。
「わかったア」
と高木の大声。
「冗談じゃない。まだ黒1だよ。わかるわけがないじゃないか」
安倍が抗議する。もっともである。いかに天才高木といえども、黒1でその碁がわかるはずがない。
  ……
「いや、ひらめいたんだよ。安倍ちゃんの並べようとしているのは、秀和・算知局、算知先番五目勝ちの碁だろう」
高木が笑いながら言った。
「ウッ」
安倍君は、驚きのあまり、しばらく声が出なかった。


第九話 桃源境
 プロ棋士の人間模様だが、一節だけ紹介。
 すべての道でいえることと思うが、後輩に慕われてこその先輩である。欲心満々、後輩を利用したり、私物視したりするような人が多い世相全般であるが、このようなこと(段が上がることを偉くなったと錯覚する)では、さすがに世間の目もあろうから、青史に名を連ねることは、許されるはずもないのである。
 最近、(謫仙は)この批判に相当する話を身近で聞いた。
 もっとも、そんな人は、威張り散らすことが目的だったりする。威張り散らすことができないのになんで努力するのだ、なんてね。

第十話 投了の芸術
 わたしはこの文を読んで、見苦しい投了の仕方はしないよう気をつけている。そうは言っても棋力がない故に、タイミングを逸することがほとんどだ。
 碁会所では、駄目をつめてから投了の格好をする人がいる。それは投了ではない。少なくとも最後の半コウを争っている内に「ありません」と言うのなら構わないが、駄目を詰め終わったならば数えなければならない。
 そんなこともこの文を読んで自覚した。

第十一話 玉石混淆
 「ヒカルの碁」を読んだ諸兄はご存知と思うが、あの中に碁盤をだまして売ろうとする者が出てくる。
 あの話の元になった知識は、ここから仕入れたのではないか、と思わせる話だ。
 章の内容は略すが次の話を知って欲しい。
 白石は蛤から作られる。
 この蛤は日向の御倉ケ浜でとれる。ここは10キロほどの海岸であり、生産量は限られる。
 ところが蛤の碁石はあちこちで売られている。それらは輸入された貝なのだ。俗に「メキシコ」という。
 どこで見分けるか。もちろん品質の問題だが、碁石には「雪印」「月印」「花印」「実用品」とランクされる。
 日向特産雪印
 日向特製雪印
「産」が日向蛤、「製」がメキシコである。
「産」は宝石と同じで一個数万円する。それが180個である。わたし(謫仙)などには手に入る値段ではない。買うとすればメキシコである。メキシコが普及した功績は大だが、本蛤つまり「産」と錯覚してはいけない。
 盤は日向榧(かや)が最高級。日向ばかりでなく他でも榧の大木は少なく、普通は桂など別な木で作る。ところが最近(この本が出たころ)新榧と称する榧に似た木から作られた盤が売られている。輸入されたスプルース材で作られている。もちろん安い。
この「新榧」という名、これは、
商品の不当表示として、公正取引委員会にでも持ち出したいくらいの気分である。 
 すぐれた普及品の功績は認めるが、お客を錯覚させるようなことはやめてくれ、という中山の切なる願いである。

第十二話 玉手箱の謎
 不思議な詰め碁である。
 棋力が低ければ低いほど時間をかけずに解くことができるという。それはともかく、プロの発想にはない手らしい。
 かなり前の話だが、碁の新聞紙上で安永一が、戦前に作ったという詰め碁を披露していたが、それがこれと同じであった。
それには中山の玉手箱には一言も触れていない。お互い、知らなかったのかなあ。

   いつもの如く赤字は原文のままです。
posted by たくせん(謫仙) at 09:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 書庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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