2008年04月19日

将棋の子

    大崎善生  講談社   2001年  
 実名小説なのだが、将棋界の事情に暗く、主人公が実名なのか、モデルがいるのか、架空の人物か、判断が付かない。

 序盤の研究をせず、終盤の強さだけで三段になり、プロ入り間近の青年がいた。あと一歩というとき、羽生善治を先頭にした、次世代の天才たちが次々と追い抜いていき、いつまでもプロ入りを果たせない。
 そのうち年齢制限を過ぎてプロ入りできず、将棋以外何も知らないため、まともに就職できず、落ちていく様子を書いている。
 わが「囲碁雑記」の「跡目になれなぬ少年は」で書いた悲劇が、ここでは起こっているのだった。
 碁や将棋に興味のない人には、判りにくい小説かも知れない。

 さて、次のような記述がある。終盤重視の旧世代に対して、羽生世代は、
「終盤は、極端にいえば高度な技術を持つ者ならば、誰が指しても同じことになる。
 ひらめきや創造性は、まだほとんど何も確立されていない序盤から中盤という領域にこそ必要なものであり、そのためには知識と研究の裏付けが最重要という…」
 主人公たちの終盤重視の旧世代では、通用しなくなったのである。

 ところで、わたしは、今まで次のように聞いていた。
 羽生たちは、共同でパソコンを駆使して序盤・中盤を研究し、変化の余地がないほどに研究し尽くしてしまった。だから80手ほどまではノータイムで最善の手を指せる。旧世代はここまでで時間のほとんどを使ってしまう。しかも最善とはいえない。ここまでで勝負がついてしまうことが多い。
 ところが時間が欲しいのはここからなのだ。そして時間があるので最善の手を見つける。

 これと本文の「極端にいえば……」をあわせると羽生世代の強さの理由が浮き彫りになる。主人公たちが、羽生たちに歯が立たない理由が理解できよう。
posted by たくせん(謫仙) at 12:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 書庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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