天才棋士村山聖(さとし)の壮絶な一生の、ノンフィクションである。
読み終わってもなぜか涙は流れなかった。
三歳のときに、腎ネフローゼを患う。極度の疲労や発熱が誘因となって起こる腎臓の機能障害である。これが一生ついて回った。
対策は安静しかない。その後入院退院を繰り返すが、小学時代はほとんど病院で過ごした。
ここで将棋を知る。小学一年生が、漢字交じりの将棋の本を、夢中になって次から次へと読む。そして三年生のとき、初めて実戦を指す。このとき三段、アマとしてはトップクラスに近い。
このころ二十一歳の谷川名人が誕生し、聖は谷川をめざして、プロになることを決意する。
師匠の森はまるで自分が弟子であるかの如く、聖の世話をする。
聖が玄関先で倒れると、事情を知っている近所の人が、軽自動車で棋院まで送ってくれる。
高額の収入を得ても、四畳半の部屋に、布団を敷くスペースもないほどの本に囲まれて住んでいる。
二十八歳。癌となり、膀胱と前立腺をとり生殖機能を失う大手術をする。
こうして、難病と闘いながら、名人をめざす。同時代に羽生善治などの天才たちがいる。
聖はA級になり、名人に挑戦する位置になりながら他界。享年二十九。
度重なる医療ミスに近い話。
せっかく奨励会に合格の成績を上げながら、見たことも一度も教わったこともない、某九段から、「わたしの弟子だ」とクレームがついて、奨励会に入れなかった話。某九段はまるで江戸時代からタイムスリップしてきたようだ。ただ将棋界全体にこのことを受け入れる体制があった。
読んでいるわたしも怒りの声を上げたくなる。わたしにとって他人事ではない。わたしの年代の人なら、一度や二度は同じようなことを経験したであろう。