24.8.14追記
ある会計処理
わたしが経理の仕事をしていた会社がある。その会社の社長は経理のことを知らず、税金減らしのために元税務署員を経理責任者に雇った。ところが結果的に、150人ほどの会社で、20人分ほどの賃金に相当する金を毎月使われてしまった。それなりの金額が、社長の懐にも入ったのだが、それはまともに経営すれば入る金額より少ないのだ。
社長は食い物にされてしまったことに気づき、わたしを経理部員にした。数年して、そして元税務署員を解雇し、公認会計士を依頼し、経理の改革をはかった。わたしには会計士に全てを話しなさいと言う。
結果、決算では年間利益200万円の会社で、◯億円という追加の税金を払うことになり、裏の金も表の金もスッカラカンになってしまったのである。
怒ったというか呆れた社長夫人が、経営者の一人として経営に口を出すようになり、経理責任者となり、リストラを敢行し、出るところを締めて経営を立て直した。
無駄をなくせば儲かる会社だったのだ。それでいながら、慣れてくると、わたしには不正経理処理を要求した。もちろん会計士が見ればひとめで判るものである。わたしは拒否した。それからは、わたしと経営者の仲は少しづつ悪化した。
たとえばある処理を要求された。
謫仙 「ここは会計上こう処理をしなければいけません」
社長夫人「わたしが、そう処理をするためにあなたに給料を払っているんです。あなたがわたしに給料を払っているのではないのだから、わたしの言うとおりにやりなさい」
謫仙 「そうですか」
優秀な経理員ならきちんと説明し説得するところだが、あいにくわたしは優秀ではない。
この件については、経緯を伝票の裏に書いておいた。あとで間違った処理をしたと糾弾されないためである。
結局、会計士の前で糾弾されたが、裏に経緯を書いてあるので、会計士は逆に社長夫人をたしなめる事になった。
そのあと、伝票の裏に経緯を書いておいたことを糾弾されることになる。
社長夫人「会社の恥を外に漏らすとは何事ぞ」だって(^。^)。
ここまではまだよかった。ここで会社経営の味をしめた社長夫人は、自分で会社を設立したのである。十数人の工員を雇い会社を始めたが、たちまち倒産してしまった。
その理由がなんと「売上」がなかったのである。出るを制することを知っていても、収入を計ることは知らなかったのだ。会社を起こすと自然に収入があると思っていたらしい。営業員が一人もいない会社である。もちろん、裏ではそれなりの話もあったのだろうが、営業を知らない社長夫人には、それを形にすることが出来なかった。
結局、会社を再建した利益を、その新会社でそっくり失ってしまった。そのころわたしはその会社を辞めたのであるが、二年後には、わたしの知っている人はほとんどいなくなってしまった。特に営業部員がいなくなってしまった。見通しが暗く、見切りをつけたのか。
間もなく会社は更に小さくなったという話を聞いたが、その後20年ほどした頃、会社はなくなっていた。十数年、よく保ったと言うべきであろう。
仕事の縮小にリストラが追いついていたのだが、あまりに小さくなって、産業構造の変化を吸収できる人がいなくなってしまったと思われる。成功体験がリストラで、それ以外の経営手段を持たなかった結果と思える。親会社が海外に工場を移し切り捨てられたのかも知れない。
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24.8.14追記
今思い返してみると、貴重な社会勉強だったと思う。
わたしは決して優秀な人材ではない。田舎から出てきて、社会の荒波に初めて揉まれたようなもの。
特に学校で習った経理処理はいわゆる表の顔。それよりも重い裏の顔がある。プラス、苦手な未経験の庶務の仕事。
社長夫人はあちこちで笑われていたと見えて、わたしを相手に愚痴をこぼす。そのうちにわたしを叱責する。話しているうちに、わたしに笑われたと勘違いしてしまったらしいのだ。わたしの態度にも出ていたのか。
社長夫人「そのうちわたしが言ったことが正しいと判る」
社長夫人「他社では経理が数十億円も稼いでいるのに、うちは一円も稼いでいない」
数千億円を動かしている大会社の経理部と、一円も任されていない徒手空拳の一事務員を一緒にするな。そもそも経理の責任者はあんただろう。それにわたしにそんな能力があったら、ここには務めていない。
その経理が稼いだという大会社は、後に大損して、会社が傾いている。堅実を旨とする経理社員に、博打をというより相場を任せたのが間違い。
わたしは後任者にきちんと引き継いで退社した。ところが後任者は、一週間もしないうちに、社長夫人とけんか状態になり、退社してしまった。
こんないろいろなことが、反面教師になって、わたしの視野を広くしたと思う。
しっかりした優秀な経理マンがいれば、わたしの出る幕はなかった。同時に、そんな会社だから、わたしも伸びるチャンスは少なかった。それでもプラスの方が大きかったと思っている。