東京スカイツリーの景色
先日、東京スカイツリーに上った。
昼時に東京スカイツリー駅に着いた。以前は業平橋といっていた駅だ。
東京ソラマチのビルに入り食堂を探す。あちこちにあるが、けっこう込んでいた。
五階建てビルの四階に展望デッキへの入り口がある。そのフロアに大勢並んでいて、40分待ち。降りてきたときは待ち時間なしだったので時間によっては待たずにすむようだ。
四台のエレベーターもしゃれている。そして全く振動がない。
展望デッキ(約350メートル)に上がり、さらに10分ほど待って上の展望回廊(約450メートル)に上がる。
以下の写真はタブレットのカメラによるもの。
今回は写真を少し大きめにした。
隅田川にかかるX型の桜橋
下には展望デッキの屋根が見える。
右 言問橋、左 東武線の鉄橋、手前に墨田公園。
東武線の鉄橋の先は大きく左に曲がり浅草駅に至る。鉄橋のまっすぐ先はご存じ浅草寺。
ビルの陰になるが吾妻橋、その右脇に観光船の乗り場がある。この通りに雷門がある。
左に駒形橋、そのあたりが観音像の出たところ。つまり浅草寺の建立のきっかけとなった場所である。橋のそばに駒形堂があるのだが、写真でははっきりしない。
駒形橋の左が厩橋
右端に半分しか見えないが蔵前橋。そして総武線の鉄橋、その次が両国橋。総武線の鉄橋の左側に国技館や江戸博物館の屋根がみえる。
このあたり隅田川の河口である。左右に分かれた隅田川に挟まれた島は、本来はもっと小さく、旗本石川八左衛門が徳川家光から拝領して石川島といわれた。その隣の砂州を摂津国の漁夫が築島し佃島とする。江戸時代にさかのぼる佃煮の発祥の地である佃島である。
隣の石川島とは陸続きになって、今では石川島の名は消えてしまった。高層ビルの街になっている。
明治以降にも島の南西を埋め立て月島とする。陸続きだが名は残っている。
東京ゲートブリッジが見える。
東の方には荒川が目立つ。遠くは千葉市の方向。
鉄道は、左が東部スカイツリーライン。右は京成押上線。
隅田川が荒川に近づいて、ヘアピンカーブをしている。鐘淵で隅田川の難所であった。その左上が北千住。白鬚橋がはっきり見える。
左の隅に桜橋が見える。一周した。
北北西、隅田川は北千住のさらに上流。川口市の方向。
中央の木立は上野公園。その先の高いビル群は池袋。
まだ宵闇ではないが、逆光で暗い。
東京ドームがわかりやすい。その向こうに新宿のビル群。左の方には皇居の森も。
下に降りる。そこは五階。四階に下りると、並んでいる人はほとんどいない。待ち時間なしの状態だった。
まだ時間に余裕があるので、すみだ水族館に行った。思った以上に充実していた。
余録
1000ピクセル
隅田川
徳川幕府の成立以来、東京の河川はあちこち変えられた。有名なのが利根川で、江戸湾(東京湾)に流れていたのを鬼怒川と合流させ、現在のように太平洋に流した。そのため鬼怒川が利根川の支流になっている。元利根川は今は江戸川となった。
隅田川は古くは入間川の下流部であり1629年に荒川の本流となる。
明治以降、洪水を防ぐため、岩淵水門から河口までの荒川放水路が建設され、今では放水路が荒川の本流となっている。それ以前から千住大橋付近から下流は隅田川と俗称されていたので、岩淵水門から下が隅田川となった。
また、江戸時代に入ると、吾妻橋周辺より下流は大川(おおかわ)とも呼ばれていた。だから古典落語で、大川・隅田川・荒川がでてくることになる。宮戸川の別名もあったようだが、どこまでかはっきりしない。
前に紹介した
古隅田川(ふるすみだがわ) は、どうだったのか。
posted by たくせん(謫仙) at 00:00|
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山房筆記
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