2012年01月17日

北京故宮博物院200選

 いま上野の東京国立博物館で特別展「北京故宮博物院200選」が開かれている。
 期間 1月2日〜2月19日(月曜休館)

 今年は日中国交回復四十周年であり、博物館の百四十周年でもある。
 1月11日(水)に見に行ってきた。
 今回の目玉は北宋時代の張択端による清明上河図巻(せいめいじょうかずかん)だ。
 中国でも公開は7年に一度。前回は4年前なので次回は10年後という。
 11時ころに博物館に着いた。

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 博物館前の噴水のあった広場は、工事中である。

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博物館入り口
 ここで並ぶことになったらやめようと覚悟していたのに博物館前は空いている。

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 中に入ると、平成館前で入館に並んでいて40分待ち。
 平成館の中に入ってから清明上河図巻を見るには、平成館内で並んで200分(3時間20分)待ち。寒空に戸外で待たずに済むとはいえ、これは忍耐がいる。過去の著名な展覧会でも200分待ちがあって諦めたことがある。わたしは清明上河図巻をパスして、その他の文物の見学にいく。こちらは平成館に入れば待たずに済む。
 出たのは2時過ぎ。この時は、戸外の行列はなくなっていた。その時間なら、混むとはいえ、待たずに見られる。空いているといえるかな。
 水曜日なのでこのような状態だったと思える。週末は混むのではないか。
 清明上河図巻は写しや説明もあり、それは普通に見ることができる。本物の清明上河図巻の前ではテープによる柵ができており、並んだ人は前列で見る。わたしは後列でチラッと見えただけ。もちろん本物を見ることは有意義であるが、わたしなどは図鑑などで説明を見ながら画を見ないと記憶に残らない。チラッとどんなものか見ておけば満足だ。
 平成館では2階に上がって左側に清明上河図巻などがあり、かなり混んでいた。しかし、右側の部屋はゆっくりとは言えないが普通に見ることができた。
 この時思ったのは観客の行儀のよさ。並んでいるとはいえ、あちこちテープで仕切るのみ。それなのに清明上河図巻を見る組とそうでない人たちがきちんと別れている。
 草書の前で、「かな文字が書かれている」と不思議がっている高齢者の一行がいた(^_^)。

 少したってから空いているようなら、もう一度見に行きたいと思う。
 図鑑を買ってきた。この話はあらためて。
posted by たくせん(謫仙) at 08:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 山房筆記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月30日

小松左京氏死去

 小松左京さんが亡くなった。7月26日、肺炎のため大阪府箕面市の病院で死去した。80歳だった。大阪市出身。
 わたしは本屋に並んでいる小松左京の本は全て持っていたが、その蔵書は二十年以上前に妹のところに持って行ってしまった。手元には一冊もない。
 栗本薫が推薦する作家として司馬遼太郎・小松左京・大デュマ・アジモフを上げている。いずれもわたしの好きな作家だ。ただし読んだのはかなり前で、わたしの書庫には取り上げていない。
 ご冥福を祈ります。

 次の文は2000年5月に書いたもの。

 わたしは小松左京を古今を通じて最高の作家だと思っている。もっと量産した作家もいよう。もっと優れた着想の作家もいよう。しかし、総合的に見てもっとも優れていると判断する。
 着想のよさ。豊富な知識。ショートショートから長編まで。SFでしかもおもしろい小説を量産し、これらを現在再読しても今の作家と比べて決して遜色しない。芸能譚はその知識の深さに畏敬の念を覚える。女シリーズはわたしの小説の手本となっている。
日本SF黎明期から常にトップを走り続け、今では小説以外の仕事で超多忙の生活をしていると聞く。東京にある事務所は来る仕事を断るために存在するそうだ。これほどの作家を日本SF黎明期に得たことを誇りにしてよい。
 いわゆる純文学界では認められなかったようだが、当然である。売れない私小説を書いている人に値打ちが判るはずがない。売れない小説ならわたしでも書く。海外では私小説は随筆のようにとられ、小説とは認められないそうである。これらの自称小説家はエッセイなどの雑文を書いて生計を立てている。小松左京は小説で生活をしていた、つまり小説のプロなのだ。日本語の市場はそれだけの広さを持っている。
小説のような日本の旅行記もあった。映画化された作品もある。これらの傑作群が図書館にないのが寂しい。


 非公開予定の文なので、けっこう大胆な発言をしている。古今を通じては、「日本語小説の」であり、売れない小説でも本になっている小説と、ド素人の習作では天と地ほどの違いがある。
 書き慣れるに従って、その違いがよく判るようになる。と言ってもこの文を読んで苦情をいう人はいそうもない。苦笑するのみか。
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2011年05月13日

林家たけ平

 きょう竹の塚地域学習センターで「竹の塚寄席」を見て(聞いて)きた。
 林家たけ平さんの会だが、朝也さんとの二人会。
 わたしにとっては久しぶりの本物の落語会だ。どのくらいかというと25年ぶりかな。
 寄席によく通ったころ池袋以外は漫談ばかりになって遠離っていた。たまたま図書館に行ったときポスターを目にして、聞きに行ってみようと思い立ったのが、大当たり。
 朝也さんは、遠慮があったと思うが、普通に観賞した。
 たけ平さんには引きずり込まれて、思わず涙が…脆くなったな。(^。^)
 たけ平さんは、これだけの芸ができながら、まだ二つ目なのだ。1回だけでは真価は判らない。過去の人でいうと三遊亭円生に近いかな。次回も是非行きたい。
 今はまだ「たけ平さん」。いつか「林家は…」といわれるようになって欲しい。そのときまで、わたしが元気でいられるか(^。^)。

予定: 8月5日(金)、 11月4日(金)
    竹の塚地域学習センター 午後二時開演
    入場料 1000円

 林家たけ平(はやしやたけへい) 足立区出身
1977年 生まれ
2001年 林家こぶ平(正蔵)に入門
2002年 前座として楽屋入り
2005年 二つ目昇進

 参考: 落語と談誌  御乱心  小説・古今亭志ん朝
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2011年03月20日

東北地方太平洋沖地震

東日本大震災

3/28追記
原発について
わたしは俗に言う原発反対派。
発電コストが高すぎるのだ。いまは安全面に手を抜いていて、廃棄処分費を計算に入れていなくて、それで安いように見せかけている。
だからといってすぐに全てを停止せよとは思わない。とりあえずは安全面を確保して、それで電気料は2倍や3倍になるかも知れないが、時間をかせいで、代替エネルギーを探せという意見だ。その時間とは数十年単位。
石油は不足する。石炭火力に戻るかも知れないが、今のままでけっこう問題がありそう。クリーンエネルギーの開発を望む。

3/20追記
 東北関東地方大震災という名が定着した。(4月には東日本大震災といわれるようになった)
 地震の被害より津波の被害の方がはるかに大きい。そして新たに原発被害が発生している。やはり不手際があった。
「やはり」というのは、原発を造るときに指摘されていて、それでも「大丈夫です。安全です」と言い続けていたからだ。
 これで原発をやめろと言う気はない。対策をしっかりして、安全だと安心できるようにして欲しいのだ。
 いま必死で原発を鎮めるための作業をしている人がいる。思わず頭が下がる。

 スーパーで米が売り切れていた。パンやインスタント麺類は被災地優先かと思ったが、米までなんのために?
 報道によれば、米など一般の商品はいつもより多く店に入っている。なんの心配もない。仮に米が不足するとすれば、一年後であろう。農家が春の作業ができず、米が作れないとすれば、その影響は今年の秋だ。他地域の米が出回りそれが足りなくなるのは来年の話。それを一般家庭がいまから手当てできるはずがない。間もなく溢れるのではないか。
 わたしには今精米を買い占める人の気持ちが判らない。

 わたしの棋友に原子力の専門家がいる。
燃料を包んでいる被覆管はジルコニウム合金で、冷却が出来なくて高温になると
   Zr + 2H2O−−>ZrO2 + 2H2
の反応で水素が発生して、その水素は気体なので漏れ出て、今回のような水素爆発となる。

 と具体的に説明できる。
 放射線についても、簡単に説明があったが、すでに報道されているのでここでは書かない。いまの被害について「東京では宇宙線等のバックグランドレベルに隠れてしまう程度」。
 今後は「水による冷却と遮蔽を確保すること」そのあとは、ゆっくり屋根の補修をすれば今回の事故も収束するのではと期待。

 期待通りにいくかどうか判らないが、東電の説明よりかなり判りやすく、こう説明されると安心できる。
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2011年01月01日

東京スカイツリー

  国技館での稽古総見の帰り道、隅田川沿いに浅草まで歩く。
 東京スカイツリーは形ができてきた。今日現在の高さは539メートル。

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 あとはアンテナ部分が伸びれば全容が揃う。その時は634メートル。武藏の国の洒落なので憶えやすい。

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 吾妻橋の上はカメラを持ってツリーを見る人がびっしり。
 興に乗って、川沿いに歩く。
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2010年09月03日

HD(ハードディスク)の交換

 先日HD(ハードディスク)を交換した。
 別にパソコンの調子が悪くなったわけではない。購入してからすでに六年になる。HDはそろそろ寿命だ。いつ動かなくなってもおかしくない。
 HDの寿命はバラバラで、一年で壊れることもあり、そのパソコンの生涯壊れないことも多い。平均して五〜六年というが、それさえ不確か。
 わたしのパソコンは外付けのHDが付いていて、データのパックアップをしているが、実を言えば不完全。たとえば「お気に入り」や「メールアドレスなどは」バックアップできていない。
 最近、HDをそっくりバックアップし、いざというときはHDの交換をして、そのまま今まで通りに使えるということを知った。
 そこで内蔵のHDを取り付けたのだ。250G(ギガ)、今どきのHDにしてはかなり小さい。
 わたしのパソコンはXP ウルトラATA。一反木綿のようなラインでつなぐ。
 ところが今はシリアルATAがほとんど。ウルトラATAはHDの商品棚の隅っこに小さくなっていた。商品も大きいものはない。まあわたしも250Gで充分と思って購入。
 説明書はいやになるほど無駄の多い説明。当然で、あらゆる種類のパソコンに合うように説明しているので、XPではあれもこれも不要な説明。僅かな必要な部分を探し当てるのに一苦労。特に必要なソフトが判りにくい。

 ジャンパースイッチをスレイブにして……、プライマリーのスレイブに……
 省略しようm(__)m。 この知識は、今後は必要なくなる。

 とにかくHDをコピーした。それで一日使っているうちにふっと思った。パソコンにもともと付いていたのは160G。これをバックアップ用にして、新しい250Gをメインにしても同じでは。テータのバックアップは外付けがある。結局はじめに書いたようにHDを交換。これでパソコンの寿命が6年延びたかな。バックアップもできているので、今後10年は使えそう(甘い!)。10年もたてばパソコンの形態も変わっていることだろう。ウルトラATAのHDは手に入らないかも知れない。
 実はわたしは、専用のテレビもDVDドライブも持っていない。全てパソコンで済ましている。地デジ用のカードを取り付けただけでは無理らしい。ビデオカードも交換となると、新しいパソコンないしテレビを買った方が早そう。来年からはテレビ無しの生活になるかな。それもよいか。
 カッコウつけるなら、地デジ用テレビのカタログは見るな、という陰の声。幻聴だろう。

 先日、ヨドバシでテレビを見ていたらアクオスが際だってきれいに見えた。他のテレビではシャドーが潰れてしまうのに、アクオスはきちんと映っている。明るさのせいか。
 それでもパソコンテレビをみると、その方がきれいに見える。これは同じソフトを見比べないとなんともいえない。
 一般にコントラストが強く、シャドーやハイライトは潰れがち。テレビでもパソコンに使える画面なら…といろいろ選択肢がある。
 パソコンテレビを買ったら、今回のHD交換は無駄になるか。
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2010年08月13日

渋川春海の地球儀・天球儀

 上野の科学博物館で渋川春海の地球儀・天球儀が特別公開されている。
 6月8日〜9月5日
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 ともに重要文化財となっている。

 このスペースには前からこのような品が展示されていたが、特別に天文に興味があるわけではないので、さっと見るだけだった。
 いま、天地明察のことで興味が集まっているので、こうして特別公開となった。わたしもじっくりと見ることになる。

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 渋川春海の天文関係の著述。この左には碁方として、天元打ちの棋譜があるが、安井算哲(渋川春海)としてはできの悪い碁なのでカット。
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2010年07月21日

夕焼け空


 昨日、仕事の帰りに西空を見ると面白い夕焼け空が見えた。
 家に帰ると、すぐにカメラを出して撮してみた。

nisisora2.jpg
 電線や通信線が邪魔だが仕方ない。

nisisora1.jpg
 家から一分ほどの少し開けたところでも、やはり電信柱が中心に入ってしまう。これも日本の情景である。
 はじめに見たときからかなり形が崩れてしまっている。まだ3〜4分くらいしかたっていない。間もなく見えなくなった。
posted by たくせん(謫仙) at 09:09| Comment(2) | TrackBack(0) | 山房筆記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月01日

大相撲


 いま相撲協会は名古屋場所を前にして野球賭博問題で揺れている。名古屋場所は中止すべきと言う人もいる。
 わたしはこれに絶対にやるべきだと思う。日頃、「文化だ、神事だ」と言っていたではないか。それなら賭博問題は別にしてやるべきだ。
 もしかしたら観客はゼロかも知れない。観客は入っても、入場料は取れないかも知れない。NHKも放送しないかも知れない。そうなると収入はほとんどないだろう。しかし、本来神事とはそのようなもの。本人たちだけでひっそりと行ってもおかしくない。たまたま、それを見たい人が見に来るのであって、観客のために行うのではない。
 もっとも費用がかかるので、全力士ではなく、幕内力士だけにしてもよい。場合によっては三役三番だけでもよい。そうしてとにかく15日間の神事を行うべきだ。誰が勝ったか負けたかは、報道がなくて一般の人には判らなくてもかまわない。相撲関係者さえ知っていればいいのだ。
 それもできないなら、相撲は解散せねばならないだろう。少なくとも神事であると言ってはならない。
 なお、大相撲とは幕内力士が出る場所のこと。十両以下なら中相撲。幕下以下なら小相撲という。一応三役三番が取れれば、神事は片づくはず。横綱の土俵入りは必要ない。

「それを中止と言うんだよ」と言われそうだ。
posted by たくせん(謫仙) at 20:53| Comment(2) | TrackBack(0) | 山房筆記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月20日

招差術

 招差術  天地明察の参考

 この本、題材やストーリーなど、目の付け所がよく、わたしも夢中になって読んだが、細かいところにミスが多く残念だ。碁に対する間違いは前に書いたが、数学にも疑問がある。これは私が高等数学を知らないせいかもしれない。実際この設定で、答えを試みた人がいる。不思議だ。わたしの疑問を書いてみた。

P236 招差術

『今有如図大小星円十五宿。只云角亢二星周寸相併壱十寸。又云心尾箕星周寸相併廿七寸五分。重云虚危室壁奎五星周寸相併四十寸。問角星周寸』
shousajiutu.jpg
『今、図の如く、大小の十五宿の星の名を持つ円が並んでいる。角星と亢星の周の長さを足すと十寸である。また心星と尾星と箕星の周の長さを足すと二十七寸五分である。さらに虚星、危星、室星、壁星、奎星の五つの星の周の長さを足すと四十寸である。角星の周の長さは何寸であるか問う』


 という問題がある。これで問題になっているのだろうか。一応、図では星は順に大きくなっているが、問題を見てみると、
角星と亢星は十寸            平均 5寸
心星と尾星と箕星は二十七寸五分     平均 9.17寸(端数切り上げ)
虚星、危星、室星、壁星、奎星は四十寸  平均 8寸
 となり、順に大きくなっているわけではない。しかも星の大きさについて、説明はないので、一定の法則で大きさが揃っているとは限定できない。
 出鱈目に、角は1、 亢は9、 心は1、尾は20、箕は6.5となっているかも知れないのだ。
 当時は「星がならんでいる」といえば、ある法則が適用される約束事があったのだろうか。数列でもよい。
 この問題には「招差術」とは書いてない。招差術を適用することに気がつくのも問題のうちか。しかし勝手に限定してよいのか。
 この問題はわたしならば即「無術」である。
posted by たくせん(謫仙) at 07:07| Comment(2) | TrackBack(0) | 山房筆記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月06日

京劇「孫悟空VS孫悟空」

 6月5日、中野の「なかのZERO」小ホールで、京劇「孫悟空VS孫悟空」の公演があった。廬思(ルースー)さんが出るので見に行った。
    songokuu.jpg
 開演に先立ち、京劇の説明があった。初めての人はどのくらいか。けっこう多い。わたしも2回目なので似たようなものだ。
 左手から登場するとか、期待する俳優が登場したら拍手するとか。見事な演技の後で見得を切ったとき拍手するとか。回転しているときに拍手すると、いつもより余計に回るとか(どっかで聞いたなあ(^。^))。声をかけるとき、好(hao=ハオ)と言うが、早口なので日本人には「ア」としか聞こえないとか。これは「成田屋」が「タヤ」としか聞こえないのと同じであろう。
 しかしなあ、開演したら、はじめはあちこちで拍手。ちょっと甘すぎないか(^_^)。雰囲気が一気に盛り上がる。

 会場は満員、女性客が圧倒的に多い。小学生の姿もある。もちろんその保護者も。
 席は前から三列目の左右真ん中。本来なら絶好の位置なんだが、京劇の場合は左右に字幕が出るので、もう少し後ろの方が見やすい。観劇を申し込んだとき、前後の中央あたりを希望したんだが、こんな前になってしまった。
 俳優の顔がはっきり見えるので、これはこれでよかったと思う。

 日本人俳優も多く出演した。主役の孫悟空に石山雄太、れっきとした中国国家京劇院の俳優である。唯一の外国人俳優だという。もちろん言葉は中文。猪八戒はジェームス小野田。この人は中文ではなく日本語。その他台詞のない出演者たち。
 問題は猪八戒が日本語だと言うこと。それで道化ぶりを現しているともいえるが、発声が普通の劇と同じ。なんか浮いてしまう。
 沙悟浄は陳浩、あの中国語講座のチェンホォか。久しく中国語講座も見ていないなあ。
 廬思は観音様の役、中文だが一度だけ日本語を喋った。孫悟空とニセ孫悟空の区別ができず、「困ったなあ」。かなりの笑い声が聞こえだが、その笑い声は楽しい親しみの響きがした。
 廬思は幼児のときから舞台に立っている京劇のベテラン俳優なので、完全に京劇の発声。だから日本語でもおかしさは感じない。だが、猪八戒の言葉は発声が異質なのだ。
 それから随所に「大駱駝艦」が出る。これはわたしの知らない舞踏団体なので、なんともいえない。うまく雰囲気を出していたと思うが、京劇としてそれでいいのか。
 京劇は歌舞伎と同じように、古典のコピーではなく、常に新しいことを取り入れて革新している。現代に生きている劇だ。今回はいろいろ新しい試みをしたと言っていたが、これもその一つか。
 左右に現れる翻訳文は、かなり現代的。一度なんだったか誤訳があって、見入ってしまった。漢文読み下し文と翻訳文が同時に出たが、意味が反対になってしまっていた。読み下し文の方が間違いらしい。
 孫悟空の猿らしい表情がいい。手の動き、顔の表情など、花果山の他の猿たち4人の表情と比べると差が歴然。特に顔の表面が細かく動くのは、後ろの方の観客に見えただろうか。

 孫悟空たちが、三蔵法師を呼ぶときは師匠と字幕に出るが、声はshifu(師傅)。こんなときにも師傅と呼ぶのか。同じ発音だが師父ではないだろう。

 向かって右端には楽士たち。ご苦労様。一番大変なのはこの人たちかも知れない。

 終演になり外に出ようとしたら、三蔵法師役と二人の女優が出口でお客を送り出す。わたしは満足して、劇場をあとにした。

主催:新潮劇院
共催:飲茶会(中野区)
演出:張春祥

参考:雲外の峰−廬思の中国気ままにおしゃべり
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2010年03月27日

廬思の中国気ままにおしゃべり

 わたしが注目しているブログに「廬思の中国気ままにおしゃべり」がある。
 廬思さんを知ったのはNHKの中国語講座で見たとき。
 中国語講座での日本語の台詞はたどたどしく、意味も判らず台本を読んでいるだけだと思っていた。ところが当時もすでに日本滞在は長く、普通に日本語を話せたのだった。

 このブログは、題名の通り廬思さんのおしゃべりブログ。話を聞いていると、話題のつかみ方や話し方はかなりうまい。ただし、日本語のイントネーションがおかしく、たどたどしさを残している。そして間違いなど気にせず気楽に話している雰囲気だ。例を出すと3月15日は舞台化粧の話。
  日本舞踊と京劇の公演がやりました。
 このような言い間違いは意味が通じるのでほとんど気にならない。
 多いのは濁るべきところで濁らないことかな。
いせん (以前)
化粧がなかされる (流される)
はんか (版画)
 この場合は意味が通じにくいので引っかかるが、間をおいて話の流れで意味は通じる。
 これらはNHKの中国語講座のときでも感じたところ。
 中国の食文化とか、本職の京劇の話とか。廬思さんは物心ついたころから京劇の舞台に立ったので、あがることはないという。
 中国の大学では中国画を学び、日本に来て日本画を学んだ。中国画と日本画の学び方の違いの話。その他日本舞踊の話などなど。
 思わず引き込まれる。
 数ヶ月休んでいたので、もう終わりにするのかと思っていたが復活した。月に二回ほど。先日が第40回になる。

 主演ではないが京劇の出演予定も載っている。5月29日は横浜。6月の5日は中野。中野公演は見に行く。入場券の手配もした。前から三列目、日本語のボードを見ながらの観劇なのでちょっと前すぎる。

 わたしは「廬思の中国気ままにおしゃべり」で見ているが、「中国語ドットコム」でも見られる(聞ける)。
 廬思はロシだが、ルースー(lusi) と憶えていたので、ロシには当初はとまどった。
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2010年01月01日

謹賀新年

新年おめでとうごさいます。

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本年もご訪問をお待ちしております。
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2009年12月16日

役名詐称

05.12.11記
変人奇人3 役名詐称

 津山宏一の小説に「屋根屋狂躁曲」という本がある。
 主人公が勤めていた会社は鈴木重工業有限会社という。あの自動車会社と間違える人がいるかもしれないが、屋根屋なのである。会長の名前が鈴木重太郎で、鈴木重工業有限会社と名付けた。従業員は社長の息子が3人と主人公ともう2人の6人である。
 ある時、重太郎がつぎのような名刺を配った。重太郎が「会長」で、長男が「代表取締役社長」、次男が「業務及び営業担当常務取締役」、三男が「第一業務部課長」。そして、主人公が「第二業務部業務四課業務係り係長 杉並支社」、もう2人は「本社第三業務部部長」と「第七業務部業務七課業務係り主任 西船橋支社」。
 これでは役名詐称ではないか。これから考えても判るようにユーモアドタバタ小説だ。
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2009年12月14日

パワハラ

05.12.9記
変人奇人2 パワハラ
 中学二年生のとき、教師を殴った事がある。学校が荒れていたわけではない。
 わたしはそのころ既に耳が悪かった。補聴器も持ない時だ。英語の発音など聞き取れはしない。特に無声音は一切聞こえない。先生の英語は聞き取れないから発音の真似などできるはずがない。できないと殴られた。他の男子は一回だけだが、わたしだけ授業毎に2回づつ殴られていた。ある時殴り返したのである。その教師は真っ青になって声が震えてしまった。ただしそれ以後はわたしの教室では、その教師は誰も殴らなくなった。
 その教師は震える声で、「あとで職員室に来い」と言った。
 わたしは職員会議の時を狙って(二人だけではあとでごまかされる可能性がある)、行った。
「用事はなんだ」
 何も言われず無罪放免になった。クラスの担任の先生にはだいぶ面倒をかけたと思うが、詳しいことは知らない。
 わたしが高校を卒業したとき、すでに家は引っ越しして中学校のある村は、遠かったが、家に帰る前に回り道して、中学の担任だった先生に挨拶に行った。喜んでくれた。
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2009年12月13日

ある会計処理

05.12.8記

 変人奇人1 ある会計処理
 小泉首相のことを変人奇人という。それが正しいかどうかはともかく、わたしが仕事上で知った人には、変人奇人がけっこういる。その第一はわたしだが、自分のことは棚に上げて、何人かを紹介しよう。三回に分ける。もっとも事情が判ってみると、変人奇人というイメージではない。

 わたしが経理の仕事をしていた会社がある。その会社の社長は経理のことを知らず、税金減らしのために元税務署員を経理責任者に雇った。ところが結果的に、150人ほどの会社で、20人分ほどの賃金に相当する金を毎月使われてしまった。それなりの金額が、社長の懐にも入ったのだが、それはまともに経営すれば入る金額より少ないのだ。
 社長は食い物にされてしまったことに気づき、わたしを経理部員にした。そして元税務署員を解雇し、責任者に公認会計士を依頼し、経理の改革を考えた。わたしには会計士に全てを話しなさいと言う。
 結果、決算では年間利益200万円の会社で、◯億円という追加の税金を払うことになり、裏の金も表の金もスッカラカンになってしまったのである。
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2009年12月09日

絵のプロとは

05.3.6記
 一月に銀座で出版美術家連盟の「麗」展を見た。行ったところ、偶然会長の濱野さんがいらして、言葉を交わすことができた。濱野さんたちが帰ってしまうと、客はわたし一人、作者のひとり小玉さんがいて、説明してくれた。そのとき「プロとは」という話になった。アマでもプロ並みの絵を描く人がいる。
「売れるのがプロ、売れなければアマ」と言う人もいると思うが、問題はなせプロの絵が売れてアマの絵が売れないか、だ。
 小玉さんは、
「注文に応じられるかどうかですね」
 たとえば20歳・25歳・30歳の人物を描くとき描き分けられるか。あるいは老人像。
 アマの方は自分の得意なものはプロ並みに描けるが、それ意外の注文に応じられない。挿絵や表紙の絵はそれを求められる。それが市場価値をつくる。
  
「アマの方のいい絵があって、欲しいなと思うでしょう。でもそれがお金を出してまで欲しいとは思わない。無料なら欲しいんだけど、と」
 その絵を10万円で買うとすれば、10万円の価値を要求する。お金を出すと言うことは、寄付するのでない以上、それだけの市場価格を求める。
 もちろんその絵が欲しければ、売る人の要求する金額を払わねばならない。ただいい絵だなと思う程度で思い入れがなければ、買うのをやめるだろう。
というような話だった。

 かなり前だが、パリだったかローマだったか、ある画家が、路上で絵を売っていた。その金額が、何千億円とか。最高の絵は値段が付けられないが、1兆円なら売りますと。
 もちろん誰も買う人はいない。この画家はプロといえるのか。わたしはアマではないかと思う。プロならばたとえ売れなくても、自分の絵の市場価値を知らねばならぬ。
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江戸しぐさ

05.5.29記
地下鉄で見かけたポスター。
      東京にはイキなマナーが似合います。
     edo.jpg
  イキな思いやり 江戸しぐさ
蟹あるき
 狭い路地では、お互いにサッと横歩きし、道をゆずり合う。
傘かしげ
 雨の日にすれ違う時、しずくがかからないように、お互いに傘を外側にサッと傾ける。
うかつあやまり
 人ごみで足を踏まれた時、踏んだ方はもちろん、踏まれた方も、「こちらこそうかつでした」とサッと謝る。


2014.9 追記
 この江戸仕草は本物ではない。というはなしがあった。
 つまり後に作られた歴史的知識である。そんな資料はどこにもないらしい。まあないことの証明は難しいが、あったという証明は簡単。それが存在しないという。
 とはいっても、これは現在でも望ましいマナー。
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2009年12月04日

神舟五号と社会格差

04.1.4記

 2003年10月15日、中国で有人宇宙船を打ち上げた。ソ連アメリカに次いで世界で三番目である。とりあえずは「おめでとう」と言おう。
 大ニュースなのだが、感銘がない。感銘のない理由を問えば、中国の目的が軍事目的であることもあるが、日本やヨーロッバが有人衛星を目指していないことの方が大きい。それゆえ42年もたっても、三番目となれたのだ。その前にやらなければならないことがありゃしませんか。

ある投稿
 ソ連やアメリカも軍事目的であるのは明白ですから、中国が軍事目的であることを隠さないでいるのは、正直であると考えられませんか。私には軍事であることを正面に出さなければならない現実が、有るのではないかと思います。
 たくせん兄はその現実をさして、やらなければならないこととおっしゃっているのでしょう。私はおめでとうと素直に言うことにします。

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2009年12月02日

箱根の関所

 10月の末に囲碁大会に参加するので、箱根に行った。その帰りに箱根峠でバスを下りて、関所まで歩いた。
 箱根峠は、箱根から三島側へ下りる時通る峠だ。山下りなので、三島まで四里の間坂道が続く。
 箱根峠から箱根へは、挟石坂・風越坂・明石坂と三つの坂を下って湖畔の芦川に下りる。

PB012700.JPG
 こんな坂が四百メートルほど続いている。三つの坂がどこで区切られるのか判らなかった。朝のうちは霧が深かったので、石がしめっていて滑りやすい。石の上に乗らないように気を付けて歩く。
 東海道でも、このように石を敷き詰めてあるのは坂道だけであった。この坂は、1680年に石畳になった。
 芦川は旧箱根宿の一つであった。知らなかったが、関所の向こう側にも宿があって当然だ。
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posted by たくせん(謫仙) at 08:18| Comment(2) | TrackBack(0) | 山房筆記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする