2007年04月23日

白馬は馬に非ず

 韓非子(かんぴし)の中にある話。
 宋の児説(げいえつ)は、斉で「白馬は馬に非ず」と言って煙に巻いていた。
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2007年02月24日

一丁締めと一本締め

 広辞苑第三版では「一丁締め」は載っていない。「手締め」は載っている。
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2006年12月01日

夏目房之介

「不肖の孫」に、「青少年」的な仕事の依頼に対して、
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2006年09月17日

 朔日と書いて「ついたち」と読む。朔とは新月であり、旧暦では新月の日が月の第一日(ついたち)であった。
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2006年07月17日

喧々囂々 侃々諤々

 栗本薫のグインサーガ108巻のP227に
リギアとマリウスがまた、けんけんがくがくとやりあっているのを背中に聞き捨てて、…
という言葉が出てきた。問題は二つ。
「喧々囂々(けんけんごうごう)」「侃々諤々(かんかんがくがく)」という言葉がある。
喧々囂々
  多くの人が口やかましく騒ぎ立てるさま。
侃々諤々
  互いに正しいと思うことを堂々と主張し、多いに議論すること。

 意味は微妙に違うが、大騒ぎの様子だ。これを混同して「けんけんがくがく」という人がいるのは知っていた。しかし、言葉のプロ(この作者の言語感覚は鋭い)が、こう間違えるのは珍しい。承知の上で書いたとも考えられるが、まだ、この言葉は地の文で使うのは誤りといえるのではないか。
 こういう間違いを最も嫌っているのがこの作者なのだ。「小説道場」では曖昧なまま使わず辞書を引けと言っている。
 もう一つの問題はひらがなだ。喧々囂々も侃々諤々も漢字ゆえに意味を持つ。ひらがなでは意味が存在しない。そう二重に間違ったといえよう。
 だから、ひらがなで書いたのは、新しい最近創作された言葉の意味かも知れない。だが、この小説ではそれは不自然だ。 
 2回続けて揚げ足取りみたいなことを書いてしまったが、作者はプロ中のプロであるゆえだ。許されよ。
 なお、これを漢字で書けば、ワープロの漢字変換では出ないゆえ、気がついたかと思われる。
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2006年07月16日

綺羅星の如く居並ぶ

 綺羅星の如く居並ぶ、という言葉を使ったことがある。
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2006年07月05日

四面楚歌

 四面楚歌とは、回りは敵ばかり、孤立無援の状況をいう。
 先日あるロッテのファンが、甲子園球場でのロッテ対阪神戦を見に行った。阪神ファンの熱狂はすさまじい。まさに四面楚歌であったという。
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「ゾッとしない」話

04.4.24 記述
「ぞっとしない」
わたしが初めてこの言葉に接したのは江崎誠致の「賭碁放浪記」であった。
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仏の顔も三度

04.1.4 記述
 錯覚していた。
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まず隗より始めよ

03.9.20 記述
 会社でアイディアを募集する。ろくなアイディアがないが、少しましなのがある。その提案者に対して、「隗より始めよ、というから、君がやってみなさい」とそのアイディアの実行を押しつける。周りの人は、提案者が苦労しているのを見ると、もうまともな提案をしない。これでは言葉の意味が逆だ。
 「隗より始めよ」とは、この例で言うなら、役に立たないようなアイディアでも、その中の一番のアイディアには、最高級の賞金をはずみなさい、というのだ。それを見れば、もっといいアイディアがある人から、俺も俺もと、優れたアイディアが提出され、役に立つアイディアも出てくる。その「呼び水として厚遇せよ」それが郭隗が「まず隗より始めよ」と言った意味だ。
 隗が始めるのは贅沢三昧。つまり人材募集の囮である。それを隗自身が言ったことに、この話のおもしろさがある。仕事はもともとやっていたので、言う必要はない。
 この郭隗は燕の昭王につかえた。昭王が隗より始めたところ、「隗程度の人物でもあれだけ厚遇されている。俺ならもっと厚遇されるであろう」と楽毅・鄒衍・劇辛らの人材が集まって、国は栄えた。
(戦国策−燕策)
 新しい意味が加わってきたといっても、「手近にあることからはじめなさい」と言っているのであって、言い出した人がするという意味ではない。
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鰥寡孤独(かんかこどく)

01.2.24記述  
 鰥寡孤独という言葉がある。身よりのないひとの意味である。もっとも使われた例を知らないので、使い方が判らない。
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2006年06月19日

夜郎自大

 この言葉で夜郎は半ば濡れ衣を着せられたらしい。
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2006年06月04日

さつき

 間もなく「さつき」になる。
 さつき、梅雨時であり、田植えの季節である。
 「さ」は稲のこと。早苗は稲の苗、さつきは稲の苗を植え替える時期、早乙女は田植えをする女。
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