2017年10月12日

草津白根山から芳ヶ平

1997年10月。草津白根山から芳ヶ平方向へ下った。
フィルムを整理していて見つけた。
スキャナーにかけてみたら、案外はっきりしていて、当時を思い出した。
バスで白根山の峠まで行く。

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小さく見える建物は芳ヶ平ヒュッテ

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 芳ヶ平は湿原である。
 山は草津白根山

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 草津白根山は火山で、上部は植物が少なく荒れている。
 裾野はまばらな紅葉樹

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 これらの写真はポジフィルム、当時人気のあったフィルムだが、赤が濃く出やすい。
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2017年04月08日

八ヶ岳1989年冬

八ヶ岳1989年冬

1989.3.11〜12
 冬に弱いわたしは、冬山の経験は3回しかない。これが3回目で、しかも山には登らず、麓を歩いたのみだ。
 美濃戸口から歩き、美濃戸山荘の前から北沢の道を歩き赤岳鉱泉に行った。翌日は行者小屋に行き、南沢を美濃戸に下った。登山というよりハイキングといった方が正しい。
参考地図
http://www.naganogakuren.net/tozanMap/saniki/05yastugatake/03akadake

 以下、写真を撮った位置はおぼろなので、細かい説明は省く。

 登山道ははっきりしている。

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 北沢を何度か横切った。

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 枯れ木の根元は氷が着いていた。水は流れている。
 赤岳鉱泉に泊まった。次の日も晴れていた。南へ行者小屋へ向かう。

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 赤岳。この連峰の主峰である。
 朝早く零下18度を体感した。登山靴の中まで冷え込んで靴を脱ぎたくなるほど。

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 硫黄岳。横岳の北。歩いている背中の方向になる。

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 大同心。このコースでは目立つ。

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 阿弥陀岳。縦走路から外れた位置、赤岳の西になる。

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 大同心とはどんな意味だろう。

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 横岳。のこぎりの歯のような峰の形は判りやすい。

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 赤岳は見上げるだけで済ます。

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 南沢のコースを下る。

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 風のない穏やかな日であった。
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2016年05月17日

上高地2 明神

上高地2 明神

 2日目は2班に分かれ、わたしは探花会会長とふたりで明神池を目指して歩き出す。

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 途中で見たニッコウキスゲ群生
 この時初めて日光黄菅(ニッコウキスゲ)を見た。日光地方に多いらしいが、あちこちにある。

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 クローズアップしてみると少しピンぼけ。

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 これは名を知らない。(アマニュウらしい)

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 途中で見た洒落た建物。帝国ホテルであろうか。

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 穂高連峰の上部は雲の中。7月というのにかなり雪が残っている。

 河童橋から明神池までは1時間程度の距離だ。

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 明神池の水は澄んでいる。

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 この池は明神岳の土砂が川をせき止めてできたという。明神岳は穂高連峰の一番手前の山である。

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 ここにいる鴨は渡りをやめて留鳥になってしまった。夏でも涼しいからであろうか。

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 ここには穂高神社の奥宮があり、明神池は神域となっている。
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 明神橋は吊り橋である。上を通るとけっこう揺れる。両岸は護岸工事のあとが新しい。

 槍ヶ岳登山の帰りに明神に来たときは、食堂や土産物屋が密集し、観光地化していた。

今回で、「たくせんの雲上世界」から「雲外の峰」への引っ越しは完了しました。

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2016年05月14日

上高地1 大正池

上高地1 大正池
 1981年の夏、ネガフィルムによる撮影である。
 夜行の列車に乗り、新島島からバスに乗り、朝早く上高地に着く。時間など詳しいことは覚えていない。

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 朝靄の中で大正池を望む
 バスから降りて、大正池に向かう。当時の大正池はこの枯木立が象徴であった。いまではほとんど消えてしまった。
 当時は上高地を詳しくは知らなかった。どこかで名前だけは知っていたかも知れないが、それがいかなる所か知らなかったのだ。

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 池の向こうに朝日がさす。このもやは池の蒸気だろうか、下の方ほど濃い。
 この旅行の数年前に友人が一眼レフを買って、要らなくなった古いカメラをわたしが譲り受けた。それで多少カメラの使い方を覚えたころ、一眼レフオリンパスOM2Nを買った。これは最後のマニュアル機ともいわれている、珍しい絞り優先であった。オート露光の機能はついているが、焦点は自分で決める。
 上高地の撮影は、OM2Nの使い初めであった。

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 間もなく遠くまで見えるようになってきた。
 作家の夢枕獏さんが、もっと上流の山小屋でアルバイトをしていたのはこのころだろうか。もっと前かな。獏さんの当時の写真はプロ裸足。初めからポジフィルムを使っている。わたしは紙焼きのこともあって、ネガフィルムを使っていた。

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 指導標にはなんと書いてあるのだろうか。穂高の峰は近い。

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 少し上流に歩くと池というより川に近くなる。この川沿いの道を遡ると槍沢沿いに槍ヶ岳に行く。穂高岳を右にまくような道である。

 上高地は、穂高連峰の直下といえる位置にある。

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一日目は穂高の山並みがはっきり見えた。こうして急峻な峰が間近に見えるのは貴重な体験。

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田代池から流れ出た川。日差しがおだやかで、わたしのお気に入りの一枚である。
カメラのカバーをこの砂地に置いて写真を撮っていたのだが、十分後にはなくなっていた。

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振り返れば焼岳が見える。大正池はこの焼岳の噴火によって川がせき止められてできたもの。この山は活火山である。今でも煙を噴き上げているはず。
その夜は中の湯温泉に泊まった。ここは焼岳登山の基地でもある。
夕食をあまり期待していなかったわたしたちは、鯉の唐揚げを頼んだ。それが普通のおかずだけでたっぷり、そこに大きな鯉の唐揚げが出て、食べきれないほど(^_^)。それでもなんとか食べてしまった。
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2016年05月01日

硫黄岳

八ヶ岳 硫黄岳
1983年8月、わたしが八ヶ岳を登り始めたころの登山記録。一行は4人であった。
 夜行で行って、早朝に茅野につく。
 茅野駅から美濃戸口までバスがある。美濃戸口から歩き始めて一時間ほどで美濃戸山荘につく。ここで一休み。
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 ここから道は行者小屋にいたるコースと赤岳鉱泉にいたるコースに分かれる。われわれは行者小屋コースを上る。

 行者小屋の前で昼食、上り道のかなり低いところを動くものがいる。それから10分ほどでひょいと、わたしの目の前に顔を出した。

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 オコジョであろう。カメラを取り出し数回シャッターを切った。ちょこちょこ動くので合わせるのが難しい。すぐにいなくなった。
 それから数分したころ近くで大騒ぎをしている。このオコジョがまだ近くにいたのだ。
 そこで昼寝などして、赤岳鉱泉に向かう。
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 右手にはノコギリの歯のような横岳が続く。左に一際目立つのは大同心。
 赤岳鉱泉で一泊し、次の日は硫黄岳(2760)を登る。

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 向こうの稜線がはっきり見える。硫黄岳から横岳へのコースであった。稜線上に登山者がいる。

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 主峰の赤岳(2899)がそびえ立つ。左の直下に小屋が見える。赤岳天望荘。
 赤岳頂上には赤岳頂上小屋があるが写真では見えない。

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 硫黄岳への最後の登り。

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 北側を見る。フタコブラクダの背のような山は天狗岳(西天狗2645)。その向こうの山は蓼科山であろうか。距離はかなりある。

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 中央に赤岳、左は横岳、右手の半分見える山が阿弥陀岳。
 赤岳と阿弥陀岳の間には小さく中岳がある。
 赤岳・中岳・阿弥陀岳は別なときに登ったが、かなり急で壁を登るような感じ。高所恐怖症の人には向かない。

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 硫黄岳から横岳への道。横岳は危険な鎖場があるというが、わたしはまだ通った(登った?)ことがない。

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 硫黄岳の火口を覗くが、ここだけ雲が濃く見えなかった。垂直に切り立った崖状である。

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 硫黄岳の頂上は小石が多い。その直下の小石の間に咲く駒草。薄い雲の中で暗かった。

 これから夏沢峠をえて本沢温泉まで行き泊まる。ここは山小屋を兼ねた温泉宿である。
 夕食時に、岩魚(?)の塩焼きが出たが、それ以外にも食べるものがあったので、訊いてみた。
「これを部屋に持って行って、飲みながら食べたいが、いいだろうか」
「それは困りますよ。まあ黙って持って行って、あしたの朝食の時に、知らんふりして皿を返しておけば、わたしたちにはどうしようもありませんが」
「駄目ですか」
 阿吽の呼吸である。三人が部屋に持って行ったが、一人は食べてしまった(^。^)(^。^)(^。^)。
「あれは、『そうしなさい』と言ってるんだよ」

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2016年04月23日

槍ヶ岳5 大喰岳から上高地へ

槍ヶ岳5 大喰岳から上高地へ
1998年8月

いよいよ槍ともお別れだ。

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 歩き始めてから振り返ると、岩壁に挑んでいる人がはっきり見える。

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 槍ヶ岳山荘と槍ヶ岳の穂先
 槍ヶ岳は半分雲の中になった。

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 この下が槍沢
 この急斜面にも小屋が二軒ある。ここを下ると槍沢である。沢に沿って右手にまわると上高地に出る。槍沢から吹き上げてくる風は、霧を含んで冷たい。

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  槍沢の霧を迎える岩桔梗 凍えるごとくさえる紫  謫仙

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 時々残雪を見かける。大きなものは厚さ2メートルを超える。おそらく融けきらず冬を迎えるであろう。このような汚れた雪が融けて、渓流を形づくる。決してそのまま飲んではいけない。

 南岳の少し手前で昼食にした。そこへ現れたのが、五センチほどの真っ黒なナメクジ。小さくとも、その色のおぞましさにぞっとした。写真に撮っておけばよかったが、そのことに気がついたときは、すでにいなくなっていた。
 ふと見ると、目の前の南岳が雲に隠れてしまっていた。天気は下り坂である。
 昼食後、そこから左に折れて、槍沢に下る。途中には多くの花が咲いていた。一目で判るのは鳥兜くらい。

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 このころ雨が降り出した。
 槍沢を下っていると途中にキャンプ場がある。このあたりは糞尿の臭いが漂う。一カ所あるトイレの周辺はもろに臭う。そこからしばらく路の両側は糞があちこちにある。これらの糞が融けて槍沢に流れ出し、沢は梓川と名を変え、観光地大正池に至ることになる。
 六時近くなって、槍沢ロッヂに到着した。

 五日目、午前中に上高地に下りた。

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 この橋はどこだろう。もう記憶もない。

 夢枕獏さんは若いときこのあたりの山小屋でアルバイトをしていたことがある。その時ゴミなどを夜に梓川に流したそうである。それに耐えられず、ある時山小屋の主にゴミを埋めることを申し出た。そしてゴミを埋めようとしてあちこちに穴を掘ったのであるが、どこを掘っても昔埋めたゴミが出てくる。それが不気味な色をしていた。結局、梓川に流さざるを得なかったそうだ。

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 カッパ橋のあたりは、けっこう人がいて川遊びをしている。雲に隠れてしまったが、穂高の高峰が連なる。
 この時期は、一般車両は進入禁止なので、皆バスを利用する。新島々往きの三台目のバスを予約した。予約しないと乗れないほど混んでいるのだ。

  ★空冷えてこの手の記憶新しき 小さな峰を雲外に見る  謫仙
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2016年04月19日

槍ヶ岳4 槍ヶ岳頂上

槍ヶ岳4 槍ヶ岳頂上
 1998年8月  
 四日目の朝、槍ヶ岳山荘に荷物を置いて、槍の頂上をめざす。

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 子槍。
 子槍の山頂には鳥居があった。路はなく、わたしには登る技術はない。

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 槍ヶ岳をよじ登る。
「右の岩に右足をかけて、左手はその上の石を…」などという声が聞こえる。
 特に下りるときは下が見えないため、前後の声に耳を傾けながら、慎重に足をかける。

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 槍ヶ岳頂上に立つ。一生一代の晴れ姿(?)だ。

  よじ登り槍の頂踏みしめる バンザイ三唱天下に響け  謫仙

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 槍ヶ岳山荘
 槍ヶ岳山荘はかなり大きい。この赤い屋根は遠くからでも目立つ。

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 大喰岳
 これから大喰岳と中岳をえて大正池へ向かう。あちこちに雪が残っていた。
 槍ヶ岳山頂よりの眺めである。岩ばかりのようであるが、ところどころに草があり花も咲いている。

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 穂高連峰 手前は中岳

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 遠くは御嶽山・乗鞍岳 茶色の山は焼岳 
 手前は穂高連峰 一番近くが大喰岳

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     南アルプス    中央アルプス
 遠くかすむのは南アルプス。手前の鋸の歯のような稜線は、前穂高岳の稜線と思われる。

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 東は常念岳のシルエットが見える。第一日目はその左側の鞍部にある常念小屋に入った。
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2016年04月16日

槍ヶ岳3 西岳をえて槍ヶ岳へ

槍ヶ岳3 西岳をえて槍ヶ岳へ

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大天井岳ヒュッテ付近より西岳方向を望む

 喜作新道を西岳に向かう。

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 お花畑があった。
 神G侠侶で、裸の二人がお花畑で向き合うというシーンがある。花によって相手が見えないという設定だが、この写真を思い出し、ちょっと無理だなと思ってしまう。(^_^)

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 稜線に乗ると視界が開けた。

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槍ヶ岳の右に小さな出っ張りがある。子槍という。

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 槍ヶ岳の左、大喰岳(3101m)と中岳(3084m)。

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 地図と写真を見比べているのだが、記憶がなく、正確な山名は判らない。左が双六岳、右が三俣蓮華岳と思われる。

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 白山風露(ハクサンフウロ)であろう。一面に咲いていた。一面に咲いているといっても、平地の感覚では、小さな花がまばらに咲いていると思ってよい。
 花の写真は難しい。弱い風の時でも花はいつも震えている。稜線上では風が止むときはない。

 ヒュッテ西岳から西側へは崖を下りるような急斜面を下りた。それからは槍ヶ岳は正面になる。
 昼食後、雲行きが怪しくなり、合羽をザックの上部に入れなおす。槍ヶ岳山荘の手前30分ほどのところで雨になった。左手下は槍沢の上流である。槍ヶ岳山荘に着いたが、雨模様であり登るのは明日に持ち越しである。
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2016年04月13日

槍ヶ岳2 大天井岳(おてんしょうだけ)へ

槍ヶ岳2 大天井岳(おてんしょうだけ)へ

 二日目は快晴だった。

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 日の出を迎える

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 朝日の槍ヶ岳
 日の出の時間に後ろを見ると、槍が岳が美しい。特徴のある山容は登山者の心を引きつける。左に大キレットをえて、穂高連峰連なる。

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 大キレット

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 朝日を背にして、常念小屋に別れの挨拶。
 蝶ヶ岳から燕岳への路は、俗に表銀座といわれる。ここから大天井岳への路はその中心である。

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 靴を履くザックは満ちた見上げれば山燃えあがり歩き始める  謫仙
 
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 遠景は穂高連峰
 横通岳へ少し登ると穂高の連峰が見えた。ここから大天井岳への路は上下を繰り返すが、険しくはない。
 お花畑がある。高山植物は短い夏にほとんど一度に咲く。
 いろいろ説明してくれた人がいた。

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稚児車(チングルマ)
 これはチングルマの花が飛び散ったあとである。もう2週間早く来れば花が見られただろう。

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 途中で振り返ると稜線がはっきり見える。のこぎりの歯のようだ。この稜線を歩いてきた。

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 大天井岳(おてんしょうだけ)が見えた。
 小さく小屋が見える。大天荘である。山頂付近は異様なほどハイマツが少ない。
 花を見ながら、ゆっくり歩いても、午前中に大天井岳に着いてしまった。
 大天井ヒュッテは左の方へ一時間近く下る。

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大天井岳 山頂
 大天荘の前で昼食にする。周りには高齢の方も多い。登りなれているようだ。
 となりでは、小学生とおぼしき男の子が指図して、お父さんと食事を作っている。そのお父さんの靴を見ると、歴戦の勇者であった。

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這松
 ハイマツはたくましい。何万年の時をかけ、山を登っていく。この木のお陰で、山が崩れても、緑が回復する。太い幹は直径5センチを越える。
 大天井岳ヒュッテには一時過ぎに着いた。
 次のヒュッテ西岳まで3時間コース。遅くなってしまうので、ここで泊まることにする。

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2016年04月10日

槍ヶ岳1 ヒエ平登山口から常念乗越へ

槍ヶ岳1 ヒエ平登山口から常念乗越へ

転載にあたり、写真を大きくしてさらに追加し、文も加筆しました。

1997年8月
 八月の下旬であった。ようやく夏休みになり、一人で槍ヶ岳に挑む。

一日目
ヒエ平登山口(1300m)−常念乗越(常念小屋)(2466m)
二日目
常念小屋−横通岳(2767m)東大天井岳(2814m)−大天井岳(2922m)−大天井ヒュッテ
三日目
大天井ヒュッテ−赤岩岳−西岳(2758m)−槍ヶ岳山荘
四日目
槍ヶ岳山荘−槍ヶ岳(3180m)−大喰岳(3101m)−中岳(3084m)−槍沢ロッヂ
五日目
槍沢ロッヂ−上高地
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 このコースは時間さえあれば、難しい山ではない。小屋の数が多く、その間は半日コース程度である。そのつもりでゆっくりした計画を立てることだ。
 夜行の電車でまだ暗いうちに「穂高」につく。ここからタクシーに乗り、ヒエ平の登山口に向かう。タクシー代は4500円ほど。

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 ヒエ平の登山口
左 登山者カード提出所 右 常念口一ノ沢山岳補導所

 ここで登山予定を書いてポストに入れておく。万一のときは、その予定に沿って救助隊が動くことになる。
 登り口に水場があった。

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 写真はないが、この辺りにトリカブトの群生地があった。

  幾千の常念にらむ鳥兜 我は一人で今挑むなり  謫仙

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 一ノ沢に沿って常念岳をめざす。かなりの水量があるが、この水は飲むことはできない。雪渓の雪解け水はかなり汚れているうえ、多くの登山者が通りさらに汚れる。

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 ここで一ノ沢と別れる。この近くに水場があるのでそこで水を補給する。
 一ノ沢と別れると峠は近い。

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 常念乗越
 峠の向こう側に常念小屋がある。
 余力のある人は、ここに荷物を預け常念岳に登るが、わたしは少し登ってやめた。

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 背の高い木は強風のため傾いて生長する。
 明日登る路は、横通岳(よことおしだけ)を経由する。ちょうど半分が雲に覆われていた。緑はほとんど這松である。腕くらいの太さで100年をはるかに超える樹齢である。

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 この少し先が横通岳(よことおしだけ)

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 常念小屋に入る。

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 二つの谷を隔てた向こうに槍ヶ岳が見える。
 明日はまず右手の方へいき、明後日はこの目の前の尾根を通り向こう側へ少し下り、槍ヶ岳に行く予定である。

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 常念岳は途中まで登った。
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2016年03月26日

日光 神橋の若葉

日光 神橋の若葉

翁の句に
    あらたふと青葉若葉の日の光
がある。
芭蕉は衣替えの頃(元禄二年四月一日、1689.5.19)、日光東照宮に参拝した。

下の写真は2005年5月3日。

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修復された神橋が若葉に映える。若葉のもっとも美しい頃だ。

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新緑は花や紅葉のように美しい。
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2016年03月08日

奥日光周辺の山

奥日光5 奥日光周辺の山
2007年5月16日

 細尾峠から古峰原にいたる登山コースがある。
 細尾峠には山道を茶ノ木平から行くコースと明智平から行くコースがあるが、自動車道にバスの便はなかった。
 中禅寺湖からは茶ノ木平がよさそうだ。なお古い地図には茶ノ木平にはケーブルがあるが、今はないので1時間半ほど歩いて登ることになる。

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 5月16日の朝、登りはじめる前に中禅寺湖に出て白根山(2577)を撮影。朝早いとこんなにスッキリ写る。
 前日の午後は雷雨の後に快晴でも男体山がぼやけていた。
 
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 中央に出ているのが白根山、手前の白い横線は外輪山。一度白根山にも登ったことがある。五色沼ちかくの避難小屋に一泊した。

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 中禅寺湖畔(1269)からは比較的急な道が続く。このような歩きやすい道なのでゆっくり登ればよい。健脚ならば1時間もかからないだろう。

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 茶ノ木平(1625)。数年前になくなったケーブルの上の駅の跡地。
 高低差350メートルを1時間半歩く。
 男体山(2225)は、かなり下まで雪がある。一昨日はほとんど雪がなかったのだ。

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 中禅寺湖が一望できる。
 日光白根の山々は全体的に白い。

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 中央の高みは女峰山(2483)。登ったことはない。普通の山小屋がないので、もう登る機会はないだろう。手前は男体山の裾である。

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 見通しはよいので迷うことはない。
 細尾峠に向かう。

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 ここから急に下がる。
 急な下り道を下りようとしたとき、自転車を担いで登ってきたふたりの男に会う。訊かれた。
「あちこちにあるピンクの花はなんですか」
「ヤシオです。ヤシオツツジ。赤いのはアカヤシオ。シロヤシオもあるんですが、まだ咲いていないでしょう」
 あとで考えるとこの説明はおかしい。間違いとはいえないにしても。
 細尾峠11時。薬師岳12時。夕日岳への分岐三ツ目で2時半。ハガタテ平で3時半。ここから古峰まで地図上では1時間10分だが、前回2時間ほどかかった記憶がある。わたしは相当無理して速く歩いたが、それでも古峰の停留所についたのは5時20分ころ。最終バスは5時15分のはず。バスは出発しようとして、動いているのが見える。だが遠くにわたしの姿が見えたらしく待っていてくれた。
 途中で会ったふたり組の女性が、運転手にわたしのことを話して少し待ってもらったのだった。それでも待ちきれず出発しようとして、わたしが見えたという。感謝感謝である。
 絶対に間に合わないと判っているのに、休まず歩いたのがよかった(^。^))。
 定期バスなのだ、あまり待てはしない。古峰ではお客は三人だけだった。新鹿沼には予定通り6時過ぎに着いた。
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2016年03月03日

中禅寺湖畔

奥日光4 中禅寺湖畔
転載にあたり大幅に加筆し写真も入れ替えた。
2007年5月15日

 まだ早春の小田代ヶ原を歩いた翌日は中禅寺湖畔(1269)を歩いた。
 天気予報では所により昼ごろ雷雨有り。中禅寺湖一週はやめて社山登山に変更。万一の時は戻れるからだ。
 湖の東岸を歩く。中禅寺をえて、阿世潟(あせがた)まで二時間。
 ちょうど桜が咲いていた。

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 葉も美しい。山桜だろうか。
 車道が終わると、あちこちにアカヤシオが見られる。

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 アカヤシオ(赤八汐)は穏やかな色合いの優しい花だ。
 同じような花にシロヤシオ(五葉躑躅とも)がある。土地の人の話では咲くのは6月になるという。シロヤシオは愛子様のお印として有名。

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 鹿の食害、こうして木は枯れていく。
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 元気な木は、みどり葉がはえる。

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 中禅寺湖の向こう側は男体山。
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 中禅寺湖のたった一つの島。

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 シジュウカラは何度も顔を見せた。3日目はシジュウカラでがっかりしたり。シジュウカラ君ゴメンm(__)m。
 新緑の最も美しい時である。この新緑を見ただけでも来たかいがあったな。

 阿世潟から登山になる。40分ほどかかったか。阿世潟峠(1410)の直前で雷が鳴った。まだ10時前だ。予報より2時間ほど早い。社山(1826)まではここから2時間近くかかりそう。とりあえず峠に出て様子をうかがう。しばらくすると続いて鳴り出した。音は遠いが近づいてくる様子。間違いなく雨になる。
 峠から引き返した。阿世潟あたりで雨になった。

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 雨の小径も乙なものと、強がりを言っているうちに大雨になってきた。雪が交じる。それが霰に変わる。小さいので当たっても痛みはない。このころ半月山の上では吹雪のような状態だったという。
 雨の中を歩いているとキビタキが動き回っている。

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 キビタキ
 飛んで行かなかったので、小雨の中を動き回っていても何度か撮せた。
 間もなく旧イタリア大使館別荘に着く。ここは一応無料だが、100円ほど寄付してくださいと書いてある。雨宿りも兼ね、お茶もいただいたので、200円入れてきた。
 雷雨は三時間ほど続いた。

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2016年02月28日

湯ノ湖から小田代ヶ原

奥日光3 湯ノ湖から小田代ヶ原
転載にあたり大幅に加筆し写真も入れ替えた。
2007.5.14

 北千住発6時30分の快速に乗る。もう何十年も変わらない定時の快速である。
   浅草発6:20  東武日光着8:24
 日光の駅から湯元行きのバスに乗るが、途中の中禅寺湖で下りた。実は酔ってしまった。
 1時間ほど休んで、次のバスで湯元に行く。11時ごろの到着となった。

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 目の前に日光白根山近辺の山々が白い。ただし湯本からは白根山は見えない。

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 湯ノ湖 多くの釣り客がボートで出ている。正面は男体山。
 この湖の西側の道を歩いて湯滝に向かう。
途中細い脇道を上がると、白黒の大型の鳥が飛び立った。カササギ(鵲)のようだ。日光に鵲がいるのか。一瞬にして見えなくなった。
 上には鹿よけの金網があった。どこまで囲っているのだろう。今回は鹿は一度も見なかった。

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 湯滝、平凡ながらこの写真を載せないわけにはいかない(^_^)。
 湯ノ湖から落下した水は中禅寺湖へ向かう。この湯川沿いがハイキングコースだ。

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 トキソウ(鴇草)
 湯滝の茶屋で鮎の塩焼きを食べる。1尾500円。その時テーブルの上で咲いていた。
辞典では、
 ラン科の多年草。山中の湿原に自生。茎は高さ約20センチメートルで、中央付近に長楕円形の葉が一個つく。六、七月、茎頂に淡紅色の不整形花を単生する。花の色が鴇の色に似るのでこの名がある。
 葉が一枚とは。
 戦場ヶ原に出たところで、小田代ヶ原に向かう。また緑の少ない世界だ。

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 小田代ヶ原を囲む鹿よけの柵。鹿の食害がひどく、かなり大きく囲い込んでいる。

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 小田代ヶ原はまだ早春。雪こそないが、緑は少ない。藪はホサキシモツケ(穂咲下野)の群生。人の手は入っていないはず。土壌の違いで植生が変わっているのかな。

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 小田代ヶ原の中心地。管理員の悩みの種の白樺。昔この木を撮って賞を取った写真があり、その真似のためにカメラマンが押しかける。マナーが悪く湿原を荒らす。いまわたしの近くにいる人は、親子連れ二組5人だけ。夏になるとカメラマンが犇めいた。(追記 現在でもそうなのかな)

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 大真名子山(おおまなこさん、2379)

 小田代ヶ原を一周してまた戦場ヶ原に戻った。

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 落葉松の芽吹き。かなり伸びている。
 ときどき目の前を横切るのはシジュウカラ(四十雀)のようだ。鶯の声が絶えず聞こえる。湯ノ湖で最初に聞いた声は ホーホケキ、最後の「ョ」がない不思議な鳴き方だった(^。^)。
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2016年02月20日

千手ヶ浜〜西ノ湖

奥日光2 千手ヶ浜(せんじゅがはま)〜西ノ湖(さいのこ) 05.5.3
転載にあたり大幅に加筆し写真も入れ替えた。

 二日目
 早めに朝食を済ませ、7時半には、もう宿を出た。バスで竜頭の滝まで行く。歩いては1時間半ほどの距離だが、時間と体力を惜しむ。中禅寺湖の南岸を歩こうと思っていた。
 竜頭の滝から歩き出す。千手ヶ浜まで約二時間。

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 湖岸の道なので高低差は少ない。

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 赤岩あたり、躑躅が鮮やか。アカヤシオ(赤八汐)と思われる。
 説明版にはトウゴクミツバツツジ(東国三葉躑躅)の多いところとあるが、背丈が高いので低木であるトウゴクミツバツツジではなさそう。

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 この花は、密集しないようだ。

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 千手ヶ浜から男体山を望む。千手ヶ浜には赤沼からバスの便がある。以前は車が入れたが、今は乗り入れ禁止で、このバスを使わなければならない。もちろんわたしのように歩くこともできます(^_^)。
 いよいよ南岸のコースに入ろうとしたら、立ち入り禁止の立て札がある。

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 ここからは阿世潟まで、一本道。中禅寺湖の街までは夕方になる。万一、途中に通れないところがあれば、ここまで引き返さねばならない。
 後に夏に行ったときもこの看板はあった。一年中おいてあるのだった。

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 千手ヶ浜から南岸を見ると、アカヤシオらしき花が美しい。白い部分は積雪らしい。
 予定を変えて、ここから西ノ湖に行く。

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 千手ヶ原
 こんな歩きやすい道が続く。このあたりは保護林であり、火気厳禁である。当然だが、たばこは禁止である。

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 西ノ湖に来た。左の方に杭が並んでいる。前回来たときは、その杭が水没していた。しかも草も茂っていた。そのため、左右に歩くことができず、ちらっと見ただけであった。その時とは、まるで様相が異なる。

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 南岸は雪が白い。このあたりで昼食。

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 穏やかな早春風景だ。

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 窪地には積雪がつづいている。

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 あちこちにこうして鹿の食害を防いでいる。柵の向こう側は草が茂っている。皮をはがされ枯れた大木もある。
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 日当たりのよいところに花も、こんなところにも上の戦場ヶ原と下の中禅寺湖の気温の差を思わせる。

 ここからアザミ橋まで歩く。そこからは赤沼までバスの便がある。一律300円である。なお、途中(バス停留所でないところ)からでも乗れるようだ。赤沼からは自動車は入ることができない。乗り物はこのバスだけだ。わたしは途中で降りて、竜頭の滝まで歩き、そこから日光行きの定期バスに乗った。

 バスで日光市街に戻る。途中いろは坂から、向こうの明智平の下あたりの赤ヤシオが見事であった。栃木の県花である。バスもそれを見せるため、一時停車した。カメラをザックの中に入れてしまっていたのが残念。
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2016年02月17日

戦場ヶ原

奥日光1 戦場ヶ原 05.5.2
転載にあたり大幅に加筆し写真も入れ替えた。

 ここは湿原であって山ではないが、広くて格好のハイキングコースである。歩道は整備されているので、運動靴でも差し支えないが、少し脇道にそれたりすると、軽登山靴が欲しくなるだろう。
 戦場ヶ原だけではないが、出会った小鳥たち

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      アカハラ

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      キビタキ♂

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      キビタキ♀ と思われる

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      カケス
 デジカメ12倍〜36倍ズーム手持ち。

 常に聞こえてきたのは鶯の声、囀りと地鳴きと。カラ類が2ないし3種、これは区別できない。
 見ることのできたのは、キセキレイ・キビタキ・マガモ・ハシボソガラス・シジュウカラほか。

 1日目
 6時20分浅草発快速で日光まで、そこからバスで湯滝入口まで、いつものごとく、ここから歩き始める。歩き始めたのは10時ごろ。今回は湯川沿いの道ではなく、林の中の道を歩く。

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 林はまだ春が浅い。所々雪が残り、まだ樹々の芽吹きは感じられない。地表は新芽が見られた。湯川沿いの道に合流する。

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 湯川に沿った木道、補修が新しい。今回は釣り人が目立った。この川は清流とは言いがたい。湯の湖そばに温泉街があり、そこの排水が流れ込む。昔は洗剤の泡が浮かんでいたこともあった。今はかなりきれいになった。

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 途中水が湧き出ているところがある。このあたりで最初の休憩。

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 遠くを見れば鴨がいる。この鴨は人慣れしていて、えさを求めて足下まで寄ってくる。
 「野鳥なのでえさを与えないでください」という趣旨の注意書きもある。
 今回はわたし一人なので、鴨に無視されてしまった。

 小田代原を一周する。

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 林の中は笹が繁茂していた。まだ背は低い。

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 戦場ヶ原に戻る。まだ一面枯れ草である。

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 男体山が大きく見える。近年崩壊に悩まされている。向こう側いろは坂の方から見ると、大きく崩れているのが判る。

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 谷地坊主
 寒冷地では、スゲの株が腐らず残っている。年々大きくなる。数十年、場合によっては百年を超えるとか。そんなときは一メートルを超える。
 湯川沿いの谷地坊主は小さいながらあちこちにある。

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 竜頭の滝の上からは中禅寺湖が見える。ここから見ると滝というより急流に近い。

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 滝沿いの道。旧道である。ここをバスが通った。

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 おまけ、竜頭の滝の滝口、迫力のない滝であることよ。
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2016年02月14日

鳴虫山

日光 鳴虫山
2006年5月31日
転載にあたり大幅に加筆し写真も入れ替えた。

 鳴虫山は日光の駅からバスを使わず直接登れる山だ。山の高さは1103メートル、約六百メートル登ることになる。途中かなりアップダウンがあるので、合計八百メートルほど上り下りした勘定になるか。
 けっこうきつい。
 登りはじめてしばらくするとこんな木がある。
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 いじめに耐えて

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 この登山道は右側が造林された檜、左側が雑木とはっきり分かれている。

 体力の衰えを感じる。一時間に三百メートルは登れるつもりでいたが、今ではあやしい。特に下りでは足がふらつく。これにはびっくりした。

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 曇っていたが、ときどき陽がさす。その瞬間の若葉の輝きが美しく、思わず立ち止まって、あたりを見渡してしまう。
 下では鶯と郭公の声がよく聞こえていたが、上に行くと、カラ類の声が数種。これはシジュウカラか。

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 日光の表連山が見える。女峰山(2483)が主峰で、この連山は登ったことがない。

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 頂上付近には、まだ躑躅の花が残っていた。
 ツツジも種類を決めようとすると難しい。山ツツジですまそうとしても、山ツツジも特定の種であって、これとは違うようだ。赤ヤシオといいたいが、どうも形が違う。五葉なので五葉ツツジといいたいが、それは白い花で別名白ヤシオ。

 下りはじめるころにかなり暗くなった。雨の予報はなかったが、低山でも山の上では例外になることが多い。
 雨が多かったためか、下り道は滑りやすい。疲れてきたときに踏ん張りがきかず転ぶ。転んだときに右手をかなりすりむいた。水筒の水で洗ったら、出血はほとんどなく五カ所ほど皮がすりむけていた。水を残しておいてよかった。
 今のわたしの足ではこのくらいの山がちょうどかな。

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 含満淵に下る。この向かい側は日光植物園。

 名を知らぬ花を載せる。

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 白山風露(ハクサンフウロ)系の花だと思うが‥

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 九輪草(クリンソウ)だけ判る。
 このコースはアプローチに迷う人が多い。この日も何人も迷っていた。「川を渡った先にお墓がある。その脇から登った」とわたしが言って、見渡すとお墓が見える。そこが登り口だ。
 下りもわかりにくい。

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2016年01月19日

奥高尾縦走

奥高尾縦走  高尾山のつづき

 高尾山頂から西側へ向かうと奥高尾と言われる山脈がある。
 高尾山−城山−景信山−陣馬山と続く。景信山の次に堂所山があるが、巻いてしまう。高尾山から城山までは1時間の距離。
 高尾山から城山へ向かうと長い階段状の下りがある。これもかなり長い。

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 晴れているとみどり葉が輝く。
  
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 足元には名を知らぬ花。(のちにフタリシズカと教わった)

 高尾山と城山の半分をすぎて間もないあたりに一丁平という平坦なところがある。ここで昼食。昼食と言ってもメロンパン一個とバナナ2本。今回は炊事道具は一切持って行かなかった。飲み物も水筒の水だけ。

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 一丁平の展望台から丹沢の大山がはっきり見えた。大山は高尾山の真南にある。蛭ヶ岳などは相変わらず雲の中。
 間もなく小仏城山につく。城山の茶店はけっこう人がいた。ここからの下山路もあるが、下に下りてから相模湖駅までかなり歩く。バスが通っているはず。
 城山から小仏峠に向かうと人の声が途絶える。

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 相模湖が見えた。
 余談ながらわたしは相模湖を見ると、ジュディオングを思う(^_^)。エッと思うかも知れない。
 三太物語という相模湖を舞台にした小説がある。相模湖ができて間もないころの物語。そのテレビドラマのヒロイン花子役がジュディオングであったのだ。当時、ジュディオングは小学生。本名が翁(Weng)倩玉なので、オングではなくウォンとすべきだが、芸名はオングになっている。
「おらあ三太だ。この間のことだ。学校から帰ってくると花子が……」三太は渡辺篤史、おじいちゃんは左卜全だった。
 閑話休題

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小仏峠の相模湖側
 小仏峠は旧甲州街道の峠だ。こんな細い道が主街道だった。これは東海道でも同じこと。箱根の旧街道を歩くと、狭いことに驚く。
 小仏峠から景信山(かげのぶやま)までは急な登り道。高低差は二百メートル弱だが、ここまで三時間以上歩いて少し疲れた足には、このコースの一番きついところになる。

P5283093.jpg サムネイル、横800ピクセル。
 東京湾方面が霞んで見えた。中央左が新宿のビル群であろう。

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 手前の木は下の枯枝を払ってないのが気にかかる。このままでは節の多い二等材になってしまう。それはともかく、このような分厚い緑の層が山の上にある。人の手によって植えられた杉や檜だ。

 景信山の茶店は閉まっていた。週末はやっているはず。
 景信山から陣馬山までは、なだらかな上下が続く。途中の高みは巻道を通る。五回ほど巻道を通ったか。巻道と書いてないこともあり、知らない人は高みに行きそうだ。

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 このあたりの相模湖側は杉と檜の林、反対側は自然林ということが多い。一部は前回の陣馬山登山でも紹介した。

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いくぶん日差しが弱まったか。

 陣馬山に着いたのは五時過ぎだった。ここで最後の休息だ。すでに茶店は閉まっていて、誰もいなかった。

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 躑躅が満開だった。かなり大きい。空は曇っていた。日差しがなく、花も輝かない。

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 カラスが1羽。彫像のように動かなかった。しばらくして一瞬目をそらすと、もういなかった。
 バス停まで1時間はかかる。なんとか歩けそうなので、歩いて藤野まで降りることにした。
 栃谷尾根を下る。下の部落に近づくころ林の中は暗くなってきた。今の時期ならまだ日没前のはず。林を抜けて茶畑の中に出るとやはり明るい。まだ七時前だ。ここからが長い。1時間以上かけて藤野駅に着いたのは八時であった。
 予定より1時間以上遅れた。体力の衰えを感じる。仕方ないか(^_^)。

 藤野駅前ではざっと見たところ食べるところがなさそう。帰ってから食べることにした。帰ったのは十時。これも久しぶりに焼き肉屋に入った。二年ぶりかな。前回まではビールと言えばスーパードライだった。今回はモルツに変わっていた。

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2016年01月16日

高尾山

高尾山
2010年06月04日 記

 5月28日。久しぶりに高尾山に登った。
 どのくらい久しぶりかというと、三十数年ぶりである。
 わたしは日帰りハイクをしていたころ、よく奥多摩や奥武蔵の山に出かけた。その初期に府中に住んでいた一年間がある。この時、高尾山に30回近く行ったことがある。
 京王線の高尾山口の駅を降りれば、すぐに登山コースに入る。
 高尾山には1号から6号までの番号のついた道があるが、1号と6号が登山道、それ以外は山を巡る道だ。番号ではない道もある。
 だからこの登山口あたりの景色は、目をつぶっていても判ると思っていた。ところがかなり記憶と違う。
 8時ごろ高尾山口の駅に着く。駅は記憶通り、変わっていない。歩き始める。登山口まで目と鼻の先。

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 右の道は1号の薬王院表参道。自動車も通れるコンクリートの道だが一般車は通行禁止。この道を上りに使ったことはない。
 左に見える建物が高尾山ケーブルカーの駅。ケーブルカーに乗って登ったことが一度ある。その時は一人ではなかった。ケーブルカーの隣にリフトもある。
 駅前の広場の左よりは車道になっていた。

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 ケーブルカーの駅の脇に稲荷山コースの入り口がある。いつも使っていた道だ。今回はこの道に入らず、6号のコースを歩くことにした。清滝コースあるいは琵琶滝コースともいう小川沿いの好みのコースだ。
   
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 少し歩くと道は左右に分かれる。左が6号。右は抜け道であまり登山者や観光客は通らなかった。記憶では農家と農地があったはずだが、いまでは大きな病院となっている。そのため自動車の通りが多くなり、ケーブル駅前の一部を車道としたのか。
 ここから山道に入る。少し歩くと琵琶滝の修行道場があるはずと思っていたが、なかなかつかない。しかも山道は本格的。疑問に思いながらも歩いていると、岩屋大師なるものがある。
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 記憶にないが、昔からあったのか。

 そこを通り過ぎてかなり歩き、ようやく琵琶滝についた。登山道の滝側はトタン板でふさがれて、滝を見ることができなくなっている。滝に打たれる修行場なので人目を避けるためか。
 滝と言っても、記憶では小川の水を樋に集め、わずかな水が流れて落ちているのみ。現状は確認しなかった。
 それにしてもこんなに奥だったのか。記憶ではここから本格的な登山道が始まるはずだった。
 琵琶滝をすぎると、違和感がなくなった。道の両側は崖で、シャガが一面に植えられている。

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 長くしっかりと根を張るので、崖の土の保存のために植えられた。ちょうど花の時期だった。アヤメを小さくしたような花だ。うつぎの花も多い。

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 所々に簡単なベンチがある。そこで双眼鏡で上を見ている人たちがいる。

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 高い樹の上に一部白くなっているところがある。遠くて形もはっきりしないが、セッコク(石斛)という蘭が寄生しているのだった。
 中国の石斛は近似種でセッコクとは同一ではない。「高尾山のセッコク」でインターネットで見ることができる。

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 シダもこう見るときれいなものだ。

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 岩を抱える樹の根。左が登山道。このコースは整備されていて、難路の部分もこの程度なので、つい油断して転びそうになる。

 途中稲荷山コースに通じる道がある。そこまで来ると頂上は近いが道は急になる。
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 分岐点を振り返る。左から登ってきて、小さな橋を渡ると稲荷山コースへ。そこから小さな沢道を手前に上るのが6号。ここで沢とは別れ、道は急になり頂上は近い。
 休み休み写真を撮りながらとはいえ、頂上まで2時間かかった。

P5283064.jpg サムネイルにした。横800ピクセル
 区部の方向。

 頂上には茶店があった。展望台にはフェンスまである。

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 ビジターセンターは靴を脱いで見学するようになっている。靴を脱ぐのが面倒なので入らなかった。

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 山頂から南西を見る。遠くは曇っていて、富士山は見えなかった。丹沢山塊は上部に雲がかかっている。正面は蛭ヶ岳だが上部は一度も見えなかった。

 奥高尾縦走につづく。   続きを読む
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2016年01月09日

陣馬山

陣馬山(陣場山)
 2009年7月8日記

 久しぶりに山歩きをしてきた。
 6月28〜29日に陣谷温泉で、水間師主催の碁会があった。碁会は午後1時半に現地集合。それに参加するため朝早く発って陣馬山に登り、そこから陣谷温泉に行くことにした。
 相模湖駅に八時前に着いた。駅では多くの燕が飛んでいる。歩き始めて間もなく與瀬神社の鳥居。

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 ここからハイキングが始まる。突き当たりは急な階段。
 
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脇には坂道もあるがこの階段を登る。

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 與瀬神社。ここを左に行くと山道になる。このコースはいつも下りに使っていたので、逆コースだとまごつく。

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 いよいよ山道。ここを見て、ようやく何度も通った與瀬神社を思い出した。下るときはいつも神社の境内を横切っていたのだ。
 いきなり急坂が四十分ほど続く。ここを過ぎると急に穏やかな道となる。

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 こんな山道なら平地と変わらない(^。^))。
 鶯とカッコウの声がよく聞こえた。ときにはホトトギス。その他の鳴き声も混じる。

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 蛍袋はよく見かけた。低山歩きにはおなじみの花だ。

 ショウノ塚に大平小屋があるが、今でも使っているのかどうか。この小屋のそばで相模湖から来るもう一本の登山道と合流する。ここまで一時間三十分。ほぼ登山地図通りの時間だった。
 間もなく藤野から来る登山道と合流し明王峠に向かうが、途中に自動車のならんだ林道を横切る。そこからしばらく急坂となり、明王峠にいたる。

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 十時過ぎに明王峠に着いた。ここには茶屋があり、頼めば温かいうどんも食べられるが、水筒の水と持ってきたフランスパンで腹を満たす。今回は炊事道具一切は持ってこなかった。持ってきた食料はフランスパン一切れだけ。ここで食べてしまう。
 十時二十分にここを発つ。ここから陣馬山までは起伏の少ない道が続く。

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 尾根の南側は檜林、北側は雑木林。近辺の山にはこのようなところが多い。檜は陽当たりを好む。
 この檜は、下の方に枯れた小さな枝がびっしりと着いている。この枝は早くとらないと 節の多い材木になってしまうのだが…。手入れが行き届かないのか、間もなく切り払うのか。

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 栃谷の陣谷温泉に向かう道。ここから下らねばならなかった。

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  陣馬山といえば、この馬の像が有名だが、本来は陣場山で馬ではなかったようだ。ガスっていてまわりはほとんど見えない。
 陣馬山へ着いたのは十一時十分ころ。ここでうどんを食べ、コーヒーを飲み、一時間ほど過ごす。

 山頂から南に向かい、栃谷尾根を陣谷温泉に向かって下るはずだった。ところが、道を間違え、一ノ尾根を下りてしまった。かなり下りて和田への分岐が出てきて、ようやく間違いに気が付いた。もはや戻っても時間がかかるばかり。仕方なく陣馬登山口まで下りて、陣谷温泉に向かう。さらに二十分の登り道だ。陣馬山から50分のはずが100分かかって着いた。十分以上の遅刻だ。玄関を入ると、水間先生と孔令文先生が迎えてくれた。さっそく檜風呂に入って着替えをした。
 下りの道を、休まず急ぎ足で下りたため、足が痛くなってしまった。三日ほどたってようやく痛みが引いた。
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