2015年12月28日

蔵王

蔵王

2004年 山形の旅 8.26〜8.31
 山形駅でバスの時刻表を確かめると、山上まで行くバスは、9時20分発と、13時発の2便しかない。

 バス  山形 ― 蔵王温泉 ― 刈田峠 ― 蔵王山頂

 9時20分発11時到着のバスで上まで行った。山登りには遅すぎる。
 コースにもよるが、もっと早い時刻(始発7:00)の蔵王温泉行きのバスに乗り、ケーブルで上ったほうがよかった。
 今回の行程は決めていたわけではない。
 蔵王山頂―熊野岳―蔵王ロープウェイ山頂駅―高原散策路―ドッコ沼―ブナ平(不動ノ滝)―宝沢(ほうざわ)
歩行時間11:00〜19:00 (正味6時間)

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 蔵王山頂バス停からお釜の縁までは目と鼻の先。しかし、ごらんのように曇って見られず。

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 霧の中を歩き出す。この柱がコースを示す。
  
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 この上が熊野岳、あたりには高い木は見当たらない。ほとんど草原となっている。なお蔵王という山はなく一帯の山塊をいう。熊野岳が中心といえる。

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 晴れてきて山上からの眺めはよかった。ここで食事にした。目の前に広がる山は、左地蔵山、右三宝荒神山。

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 鞍部におりて熊野岳を振り返る。

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 真っすぐ行くと地蔵山、右は巻道。

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 地蔵山の巻道を通ると、下り道でケーブルの駅まで木道が続いていた。

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 ケーブル駅前
 ここに地蔵を祀ってから、近くの山を地蔵山というようになった。

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 いま来た道を振り返る。

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 間もなく晴れた、地蔵山がくっきり。
(三宝荒神山より)

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 遠くの山は熊野岳
 ケーブルの駅の前から下り始める。

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 あたりにはアキノキリンソウが多い。

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 うつぼ沼
 高原散策をたどると小さな沼があった。中央の円形は直径2メートル弱と思える。
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ウメバチソウ
 湿原の日当たりのよい場所を好む。うつぼ沼の近くである。
 まもなくドッコ沼。そこから宝沢(ほうざわ)へ向かうことにした。この山道には入るともう逃げ道はない。
 不動ノ滝で、予備の食料インスタント焼きそばを食べる。滝を過ぎてから車道に出るまでが迷いやすく危険。このあたりで右足の甲が痛くなった。
 何とか明るいうちに車道にたどり着く。すでに日が沈み、そこから宝沢までの車道歩きは暗闇の中である。道はかすかに白く道であることが判る。表示などがあるたびにライトで照らして確認。
 途中、遠くにテントが見えた。ライトの光が動いている。
 宝沢は民家ばかりでコンビニなどなかった。仕方なく民家を訪ねて、老婆にタクシーを呼んでいただく。
 待っている間に暖かい牛乳と肉じゃがをごちそうになった。感謝感激。(^。^)。

 山形のホテルに帰って右足を見ると真っ赤にはれている。翌日にはおさまったが、少し内出血している。もう何度も履いた軽登山靴なのだが。一週間過ぎても、まだむくみが残っていた。

2011年後記
 この登山靴は底がすり減り処分した。山の専門店に行っても、適当な軽登山靴がなく困っている。昨年の高尾縦走さえ本格的な山靴で行った。
 考えてみると、若いころは合わない靴で登山をして足を痛めていた。柔らかい靴で爪を剥がされたことが二度。これは治るまで七ヶ月かかった。本格的な山靴も出来合いでは足にあわなかった。足にあわせて作ってもらい、それ以後足のトラブルはなくなったが、これはかなり重い。低山歩きには大げさだし、街を歩けない。旅行には不向きだ。それで軽登山靴を求め、この旅も軽登山靴で行った。そうやっていつも履いていると傷むのも早い。 さて、代わりというと適当なものが見つからない。足指は開き気味の扇の形をしている。台形の広い方が足先だ。しかし靴は楕円形が多い。「小指かなければぴったりだが」「親指が細ければいいのだが」というのか、だぶついてしまうのかどちらかだ。
 今はヨネックスのウォーキングシューズを履いている。しかし登山道は無理だろうな。
posted by たくせん(謫仙) at 09:03| Comment(2) | TrackBack(0) | 登山・ハイキング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月19日

甲武信岳

甲武信岳(甲武信ヶ岳)  転載にあたり写真を入れ替えた。

 1993年5月の連休に、探花登山会会長と二人で甲武信岳に登った。
 もう詳しいことはほとんど忘れてしまったし、写真もどこでどう撮ったのかもうろ覚え。 
 そんなわけで、詳しいコメントは抜きにします。

 5月1日の朝早く新宿を発つ。塩山からバスで一時間ほど、広瀬湖の脇の広瀬で降りたのかな。
 当時、雁坂トンネルは工事中であった。
 九渡沢沿いの道を登る。
広瀬湖の標高は約1100メートル、雁坂小屋(1950)まで約850メートル登ることになる。
 はじめ暖かかったが、標高が上がるにつれて寒くなる。残り300メートルくらいで雪になり、雨具を着る。さらに登ると吹雪に変わった。風が強い。とてもカメラなど出す気になれない。
 時間はそれほど遅いわけではないが、かなり暗くなっている。雪はかなり深かった。
 雁坂小屋はこの日に開いたばかり、連休が過ぎるとまた閉める。
 夕食はボンカレーであった。なぜ判ったか。ボンカレーと書かれた袋で渡され、自分で封を切った。それでも食料があるとありがたい。わたしなど何日分も食料を持つことはとてもできない。

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 翌日朝の雁坂小屋
 
 二日目は晴れた。雁坂峠(かりさかとうげ)に向かう。

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 雲海を下に見る。

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 雁坂峠(2082)は埼玉県秩父市と山梨県山梨市の境にある峠。
 針ノ木峠・三伏峠と並び、「日本三大峠」だとか。何を基準にしているか。
 雪は吹き飛ばされて、ほとんどない。

 ここから甲武信岳(2475)までは雪道の上下を繰り返す。

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国師岳か

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真南に富士山が見えた。

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 登り口の広瀬湖が見える。ダム湖である。

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 道は歩きやすい。

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 甲武信岳、最近の写真とはかなり様子が違う。
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 正面が国師岳、右手奥が朝日岳・金峰山あたり。国師岳と朝日岳の間の峠の道がはっきり見える。

 甲武信小屋に着く、この小屋はかなり大きい。
 夕食後は小屋の主によるスライドの映写会。

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翌日の朝

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 八ヶ岳連峰が近くに見える。
 左から編笠山・権現岳、少しへこんで主峰の赤岳・横岳

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 中央が朝日岳、その右に頭だけ白いのが金峰山。
 国師岳と朝日岳の間の峠道の向こうに薄く白く見えるのは八ヶ岳

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 甲武信岳かな。ネットで見ると木賊山方向から見た写真ばかり。

 甲武信岳(2475)は古くは拳岳だったとか。それが甲州武州信州の境なので甲武信岳と書かれるようになった。ただし俗説の可能性もある。
 千曲川・荒川・笛吹川の水源の地で有名だが、この地域での最高地は隣の三宝山(2483)である。

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 下山道は十文字峠から川上郷に下ったか。

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 時は五月、端午の節句の前である。
 下に降りてから、川上郷のバス停までが長かった。足の裏が痛くなってくる。足を下ろしたときに叩かれたような痛み。長い間舗装道を歩いていると起こる現象だ。

 1914年追記  現在川上村は高原野菜で有名。一戸の平均収入が2千5百万円を超すという。当時も見事な畑だなと思っていた。先日この村がベトナムに野菜栽培の技術援助をしているテレビ放送があった。技術技能の蓄積があったのだ。   続きを読む
posted by たくせん(謫仙) at 16:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 登山・ハイキング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月10日

尾瀬4 至仏山

尾瀬4 至仏山
転載にあたり大幅に加筆し、写真も追加し入れ替えた。

 三日目
 天気がよい。荷物の一部を宿に預け、至仏山に登ることにする。初めは長い緩やかな登り道であった。

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 尾根を巻くような感じで登る。

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 至仏山は“花の百名山”である。花が多かった。

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 途中の岩山。至仏山の岩は崩れやすい。当時、尾瀬ヶ原からの直登は禁じられていて、地図には道がない。今はどうなのだろう。

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 山容が見えてきた。

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 山頂が近づく。
 至仏山山域に入ると道も当然急になるが、同時にあちこちに高山の花を見掛ける。翠微(頂きに近い中腹)になると、石が多く、草も疎らになる。このあたりに、この山独特の高山植物が多い。

 桔梗三種、名を同定できない。
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 一番上は、わたしは「チシマギキョウ」に近いかなと思いました。
 「イワギキョウ」にも似ています。わたしの図鑑では「イワギキョウは少し上向きに咲く…」とあって、槍ヶ岳で見たときはそれでイワギキョウと判定したのですが、これは下向きなので?でした。
 花としては「ホウオウシャジン」のようなのですが、葉の形が違います。
 二番目は、「ヒメシャジン」や「ミヤマシャジン」や「イワシャジン」に似ているような気がします。
しかし、断定するにはどこか違う。しかもイワシャジンは葉の形が違います。
 南アルプスに鳳凰三山といわれる山があります。「ホウオウシャジン」はそのあたりの固有種のようです。「イワシャジン」も同じく、そのあたりの固有種でしょう。だからといって至仏山にはないと断定できません。
 花弁に毛がないのがイワギキョウとありますが、山で見るときは、毛があるかないかなんて見ていませんし、写真では判らず、図鑑に書いてあっても後の祭り。
 その他にも、そのような説明がよくあって、ウーンとうなってしまいます。植物学者はそのようなことを丹念に調べるのでしょう。わたしなどは専ら綺麗な花や珍しい花を楽しむだけなので、知っている人がいて説明してくれると助かります。
 図鑑で見たら「ツリガネニンジン」も桔梗の仲間でした。そういえば沢桔梗も、他の桔梗とは似ても似つかぬ形をしています。
 とにかく山の植物は変種が多く、なかなか同定できません。それが楽しみといえばいえるのですが。
 図鑑にはこんなことも書いてあります。「チシマギキョウ」は先が開くのですが、「八ヶ岳のチシマは花が開かない」
 色違いの「ホタルブクロ」のようです。
 こんな風に例外が多いので、違っているようで、当たっているかも。
 参考(日本の高山植物−山と渓谷社)


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 頂上付近。見るからに崩れやすそう。

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 ようやく頂上だ。
 頂上では尾瀬ヶ原全体を見渡せる。かなり霞んでいた。

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尾瀬ヶ原全景に近い。

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 燧ヶ岳もかすんでいる。

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 高嶺撫子(タカネナデシコ)
(2015.12)追記 先日、某所で「なでしこジャパン」のなでしこを知らない人が多い、という話が出た。言われてみればわたしも見た記憶がない。大和撫子なら少し知っている(?)。撫子とはふつう河原撫子(カワラナデシコ)を指す。この高嶺撫子によく似ている。

 下るころ、空模様がおかしくなってきた。登りはじめの緩やかな坂道にかかるころ、雷が鳴り始める。あっという間に暗くなり雷の音が近づく。間違いなく雨になる。必死で急いでいると、そこで休んでいる人がいた。
「雨になりますよ」
「雨具を持ってますから」
 そんな会話も雷の音に追われて、一瞬に終える。
 ようやく駐車場に着くと、ポツリと雨が来た。休憩所に飛び込むと同時に豪雨となる。ザックを下ろし、やれやれと振り向くと、トタン屋根の軒先は、裏見の瀧のようになっていた。トタン屋根を打つ雨音は、三条の瀧を思わせるほど。数秒の差で濡れ鼠にならずに済んだ。さっきの人はカッパを着ることができたのだろうか。間に合ったからいいようなものの、わたしも雨具を出すべきだった。
雨がひとしきり降って止むと、日ざしが強い。
 帰りのバスはマイクロバスで戸倉まで。東武バスに乗り換えて沼田まで。
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2015年12月06日

尾瀬3 湿原

尾瀬3 湿原
転載にあたり大幅に加筆し、写真も追加し入れ替えた。

 長蔵小屋近くにビジターセンターがある。このあたりを集合場所にして、ボランティアの案内人が、コースに別れて説明をしてくれる。わたしは「湿原の植物」のコースに行った。
 場所は限定できないがこのあたりで撮った花を紹介。

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 鳥兜(トリカブト)にもいろいろある。細かい分類はできない。

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 湿原の植物のコースで、かなり霧が濃い。

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 二日目、曇り空の下を歩き出す。
 尾瀬沼の北岸はあちこちに湿原があり、煩わしいほどである。

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 沼尻平で一休み。

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 沼尻から見た燧ヶ岳方向。
「沼尻そばや」の前を通り山中の道を尾瀬ヶ原を目指す。
二時間以上かかって、十字路に着いた。このあたりは山小屋が集中している。ここで喫茶店に入った。モカコーヒーを頼む。登山というより、観光地に来たようだ。ここからは木道歩きだ。あちこちに高山植物が咲いている。

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 沢桔梗(サワギキョウ)
 花の後ろに蛇が頭をもたげたように見えるのが雄しべ

  早乙女の唇集め紫に 染めて開いて田代のひかり  謫仙

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 巴塩竈(トモエシオガマ)
 
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 元湯山荘まで行き、そこで昼食。午後は三条の瀧まで。
 遠く見えるのは至仏山。

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 滝の下まで下りられるようになっている。水量も少ない。前に来たときは、途中までしか下りられず、大変な水量だったので、日本一の瀧というイメージだったが、今回は普通の瀧に思えた。

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 三条の瀧

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 ヨッピ橋を通って、山ノ鼻を目指す。尾瀬の代名詞といえる木道があちこちに伸びている。

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 羊草、小さな花である。

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 高層湿原
 枯れた草が、寒さのため腐らずに積み重なる湿原である。この高さは数メートルも盛り上がるほど。そして草のないところは池塘となるが、逆に数メートルの深さということになる。

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 尾瀬河骨(オゼコウホネ)か羊草か、葉が水面に浮かんでいる。時期が時期なので水芭蕉は見たことがない。

 山ノ鼻は尾瀬ヶ原の突き当たりである。そこからは、緩やかな坂道を鳩待峠に登っていく。鳩待山荘は空いていた。ここには広い駐車場がある。ただし、シーズンには交通規制があるので注意。

つづく
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2015年11月29日

尾瀬2 燧ヶ岳

尾瀬2 燧ヶ岳
転載にあたり大幅に加筆し、写真も追加し入れ替えた。

1995年8月、二度目の尾瀬である。

北千住―会津高原―(バス1時間40分)―御池
一日目 御池(1530)―燧ヶ岳(2356)―尾瀬沼・長蔵小屋(1660)

二日目 尾瀬沼(1660)―十字路(1420)―三条の瀧(1300)―山ノ鼻(1420)―鳩待峠(1591)

三日目  鳩待峠(1591)―至仏山(2228)―鳩待峠
鳩待峠―(バス約2時間、途中乗り換え)―沼田

 東京方向から尾瀬に向かうには、電車で沼田まで行きバスに乗り換えるか、浅草発の東武線直通の野岩鉄道の会津高原駅まで行き、バスに乗り換えるのが便利である。車では入山制限があるので、確認する必要がある。
 2度目の尾瀬行きは、会津高原からバスで御池に行くコースであった。
 北千住で尾瀬夜行に乗る。まだ暗いうちに会津高原に着き、闇の中をバスに乗り換える。夜明けと共に御池につく。

  三夜三日遥かな夢の始まりは北千住発零時零分  謫仙 

 バスはさらに沼山峠まで行くが、わたしはここで下りて、燧ヶ岳へ登りはじめる。約一時間で広沢田代(湿原)だ。小さな湿原だが、金光花(キンコウカ)が一面に咲いていて美しい。ここで朝食とする。

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 尾瀬らしい景色の始まり。

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 池塘も尾瀬であることを知らせる。

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  漣の寄せては返す金光花 風輝きてわれに名を告ぐ  謫仙

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 広沢田代はここで終わり、少し登る。

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 熊沢田代
 なだらかな高みを越えると、熊沢田代が広がる。二つの池(池塘)に挟まれて木道が伸びている。このコースの最も美しいところである。

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 この池塘は深そう。

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 振り返る。
 ここを過ぎると、燧ヶ岳への本格的な登り道となる。道も急になり歩きにくい。

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 頂上が近づく。
 燧ヶ岳は五つの峰を持つ。俎ー(まないたぐら、2346)・芝安ー(しばやすぐら、2356)が中心で、赤ナグレ岳・ミノブチ岳・御池岳は低い。着いたのは俎ーで、隣を見ると目の前に柴安ーが立つ。そこまでは行かなかったが、歩いて15分、すぐそこだ。

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 山頂に着くと眼下に尾瀬沼が広がる。その先は日光の山々が連なる。

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 尾瀬沼の中心地、長蔵小屋などが集中している。

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 沼尻
 小沼もある。こちらにも下山道があるが、左の方へ燧新道を下りる。

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 尾瀬ヶ原と至仏山

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 ミノブチ岳あたりから見た山頂。
 俎ーでゆっくり休んで、少し下ると、ミノブチ岳だが、意識する間もなく通り過ぎる。岳というより肩のイメージ。展望はよい。
 ここから燧新道(別名長英新道)を尾瀬沼まで下る。湿原が現れると、尾瀬沼は近い。

 この日は長蔵小屋に泊まる。尾瀬といえば長蔵と名が出るほど有名で、シンボル的存在であった。小屋には水洗トイレに風呂まであった。普通山小屋には風呂はない。ここから沼山峠(バスの終点)の下まで大江湿原が広がる。
 大勢の登山者のため、沼や湿原が富栄養化して、植物相が変化しているという。
 なお、2005年にこの長蔵小屋が、廃物を不法処理して埋めてしまい、問題となった。いまでは小屋というより旅館に近くなったか。

つづく
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2015年11月25日

尾瀬1 尾瀬ヶ原

尾瀬1 尾瀬ヶ原

 転載にあたり大幅に加筆し、写真も追加し入れ替えた。

1989年9月
 平日にバイクで鳩待峠に行き尾瀬ヶ原を散策した。駐車場には数台の車だけだった。しかし、帰る日は土曜日で駐車場に車が満杯。さらに道路にも延々と車の列があった。
 9月、すでに秋の気配があった。
 鳩待峠から山の鼻に下りる。そこで一泊した。二日目に木道歩きを開始。

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 両側から山が迫っているあたりは牛首、正面は燧ヶ岳。
 牛首の先の中田代三叉路までは長い一本道。

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 草の色は秋の始まり

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 池塘、この時は水量が多かった。

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 このような池塘があちこちにある。

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 尾瀬秋色。早い木はすでに紅葉していたが、まだ少ない。

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 孔雀蝶、大きな目玉で睨まれているようだ。最初は蛾かと思った。
 直接見たときはあまりきれいには思えなかった。

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 三条の瀧
 このときは圧倒的に水量が多かった。池塘の水も多かった。

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 尾瀬沼
 尾瀬沼は尾瀬ヶ原より標高が240メートルほど高い。

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 鳩待峠へ戻る途中。振り返って燧ヶ岳をみる。建物が並んでいるところは下田代十字路。

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 池塘は面積は小さいが意外に深い。

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 木道も長い間には歩きにくくなる。この補修も大変な作業になる。
 
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 現代の強力
 山小屋の荷はヘリコプターで一気に運ぶことが多くなったが、こうして人の手で荷を運ぶこともある。この時は5人ほどで、女の人もいた。荷を下ろしてしまうと、もう持ち上げられないと、言っていた。山登りをする人にとっては、憧れ尊敬の対象だ。

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 帰り道、沼田市方向を望む。日本の田園景色だ。

つづく
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2015年11月15日

茶臼岳・朝日岳

転載にあたり大幅に加筆修正した。
写真も大きくして新たに数枚加えた。

那須 茶臼岳 1988年11月20日

 那須登山は吹雪に遭った。
 探花登山会は六人でパーティを組み、三斗小屋温泉を目指した。初めての冬山であった。
 このコースは距離は長くても、難しいことはほとんどない。まあ、峰の茶屋の峠を越えるのが、ちょっと大変ではある。
 リーダーが初めての冬山にこのコースを選んだのは間違いではなかった。しかしどんなにやさしいコースでも、吹雪になると話は別である。
 峰の茶屋の峠は風が強い所で有名である。なお、この峠には地図上では名前がない。峰の茶屋があるので、わたしがそう呼んでいるだけだ。

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 空中ケーブルでも行ける茶臼岳(1915)。

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 朝日岳(1896)は鋭角的。

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 目指す峠は、朝日岳と茶臼岳の鞍部にある。

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 遠く峰の茶屋が見える。そこから右に朝日岳、左に茶臼岳への登りとなる。峰の茶屋はもちろん営業していない。

 一日目は吹雪のために道を見失い、五六歩歩いては強風のため立ち止まって風の弱まるのを待ち、また七八歩歩いては立ち止まった。
 ドンという爆発音がして、わたしのリュックに挟んでおいた銀マットが吹き飛ばされた。
 折り畳んだ中に風が入ったのだ。それは頭上高く舞い上がり、数秒で見えなくなった。
 やむをえず引き返し、ふもとの民宿に泊まることになった。そのとき他にも同じようなグループがあった。
 この後、登山会では会合のたびに話題となった。
「もう少しで、無謀登山で六人遭難と新聞に出るところだったな」
「なにしろ、完全に冬山の用意をしていた者が、一人もいなかったからな」
 こんなとき誰かが「反省!」と叫ぶと、上げていたオダが下がることになる。この「反省!」は猿の次郎より先である。山男はやはり毛が三本足りないようだ。
 もっとも口で言うほど深刻ではなかった。リーダーは慎重派である。無理と判るとさっさと引き上げを決めた。
 翌日吹雪が止んで、問題の峰の茶屋の峠を通り茶臼岳に登ったが、まるで散歩のような楽な登山であった。
 三斗小屋温泉は遠く行けないので、茶臼岳登山に切り替えたのだ。
 
 この写真はすべて二日目のものである。

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 道は茶臼岳の中腹を巻くようについているため、朝日岳がよく見えたが、茶臼岳は全く見えない。

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 峠が近づく。

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 三斗小屋温泉の方向。ここから先が長い。

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 峠の標高 1725メートル。茶臼岳へはここから190メートル登ることになる。

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 峠は風で積雪がない。

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 茶臼岳は活火山である。今でも噴煙を吹き上げている。岩肌には季節風によって、氷が横に風上に向かって伸長する。噴煙の水蒸気であろう。「蝦のしっぽ」といわれる。

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 茶臼岳より朝日岳を望む。

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 雪が張り付く。氷かもしれない。

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 茶臼岳の噴煙。活火山なのだ。

 ケーブルで下山した。下の駅で昼食。自分たちで作っていると、売店のおばさんたちが見に来た。私たちは三斗小屋温泉を目指していたので、食料が余っていた。
「最近は作る人は本当に珍しい」
 そばに食堂があるのだ。冬場は人が少ないとはいえ、観光地なのだった。
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2015年11月05日

八甲田山

 2003年8月20日、旅行の途中であった。

 八甲田山は連山であり、北と南に別れる。南は険しく本格的な登山コースになる。北は今回のコースだが、易しいとはいえ、全く準備なしで行くのは避けねばならない。途中で歩けなくなっても、逃げ道はない。
 また、火山なので今でも致死性のガスが吹き出すことがある。2010年には死者が出て、一時立ち入り禁止にしたほど。ガスのたまりやすいような窪地や、植物のない白い荒れ地には行かないなど、注意が必要だ。

 十和田湖からバスに乗り、八甲田山ローフウェイの駅前で下りる。「山小屋八甲田山荘」に宿泊、二食付き1万円。
 20日は山小屋でおむすびを作ってもらい、九時始発の空中ケーブルで一気に標高1300メートルを超える山頂公園駅にいく。主峰の大岳は1558メートルなので残りは250メートルほど。もちろんアップダウンがあるので、250メートルでは済まない。

  今回のコース
 ロープウェー山頂公園駅 −田茂萢湿原 −宮様コース分岐 −赤倉岳 −井戸岳 −大岳鞍部避難小屋 −上毛無岱 −下毛無岱 −酸ヶ湯温泉

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 山頂駅から少し歩くと田茂萢(たもやち)湿原。1分前には手前の草しか見えなかった。
  
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 田茂萢から少し下る。

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 まず、赤倉岳1548メートルへの登り。山頂は雲の中だが、間もなく晴れた。

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 振り返って、一番高いあたりの少し左にケーブルの駅。

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 しばらくすると雲に覆われた。

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 歩く右手遠くに広く、毛無岱(けなしたい)の湿原が見える。二段になっているのが判る。

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 赤倉岳の肩あたり、両側が断崖になっている。

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 赤倉岳から井戸岳1550メートルへ

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 井戸岳は噴火口の縁。

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 井戸岳の西側は擂鉢状の噴火口のあと。

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 噴火口の縁を歩くと、大岳鞍部避難小屋につく。

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 立派な避難小屋である。この前で昼食。
 大岳は一度だけ見えたが、あとは雲の中なので、大岳には登らず避難小屋から毛無岱に行くコースに入った。
 毛無岱(けなしたい)の湿原は二段になっていて結構広い。

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 上毛無岱(けなしたい)湿原、ここでは薄い霧の中を歩く。花はキンコウカであろうか。

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 下の湿原がはっきり見えた。そこには長い階段を下る。

03-8-4-23.jpg 横800ピクセル

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 すでに紅葉が始まっている。
(このフィルムは赤が強すぎる。久しぶりに使ってみたが、特徴はそのままだった)

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 北国の高原はすでに秋の気配がする。遠くは雲の中。
 酸ヶ湯(すかゆ)温泉に下りたのは二時ごろ。この日は一日中雲が多かったが、低いところは雲がなかったので、満足できた登山だった。
 バスで山小屋まで行き、荷物を受けとって、またバスで青森まで。

 追記
 この山小屋であるが、ホテルのように部屋は整備されていて、その意味で満足であった。
 問題は夕食である。主菜は肉や野菜などかなりあり、それを小さなコンロで炙るのであるが、固形燃料の炎はロウソク大きくした程度。コンロの上の網に、その炎から1〜2センチ程度離して肉や野菜を置いたが、燃料が燃え尽きるまで生のまま。暖まった様子もない。結局漬け物などの副菜だけで夕食を済ます。
 二日目は主菜には一切手をつけず、つまりコンロの網には何もおかず、燃料は燃えるに任せ、副菜と手持ちの食料で夕食を済ました。
 不思議な体験であった。
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2015年10月31日

南八ヶ岳5

南八ヶ岳5 1991年8月

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 富士山も頭だけ。

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 暗いので西側か。

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 頂上小屋の前で。

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 前日歩いたコース、左権現岳、右ギボシ、少し離れた穏やかな山が編笠山。
 遠くの山は左から北岳・甲斐駒ヶ岳・仙丈ヶ岳。

三日目は少し昨日の道を戻り、阿弥陀岳にむかって長い鎖場を下る。

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 阿弥陀岳
 中岳のピークを越え、阿弥陀岳の登りにかかる辺りから上を見ると、まるで壁を登るような感じであった。
「やっぱりオレは降りることにする」
黒潮がこう言ったので、二手に別れ、美濃戸口で落ち合うことになった。バスの時刻の問題もあり、落ち合えなければ待たないで帰ることになった。長老と黒潮は、そこから行者小屋に下りた。わたしと甲斐と妙高の三人は阿弥陀岳に挑んだ。

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 横岳の険しさがわかる。

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 北岳、手前は中岳。

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 これは?
阿弥陀の登りも大変であったが、その下りにとんでもない難所にぶつかった。二メートル以上ある垂直な岩場を降りるのであった。手がかりはあるので危険ではない。
「あの二人はちょっと無理だろうな」
「無理して登らなくてよかったよ」

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 黄釣船(キツリフネ)

  花ならば花の形をしてみせよ 面従腹背する黄釣船   謫仙

赤い色をした似た花がある。それは釣船草という。紅ではなく紫がかっているのでムラサキツリフネ(紫釣船)とも。黄釣船は花の数が少ない。水辺の花である。
途中、不動清水で水筒をいっばいにし、黄釣船の写真を撮ったりしながら、美濃戸口に着いたのは、午後早々であった。
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2015年10月30日

南八ヶ岳4

南八ヶ岳4 三日目

赤岳頂上小屋の朝、わたしは日の出を見ようと早めに起き、カメラを持って外に出た。もっとも山の朝は早い。大勢が外に出ていた。
見事な雲海が広がり、足元まで雲が手を伸ばしていた。東の空はかなり雲が厚く、とても朝日は見えそうもなかった。

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 足元から鳥が飛び立った。雷鳥であろうか。今では八ヶ岳で絶滅したといわれているが、当時はいたかも知れない。

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 朝焼けが見えた。日の出よりもこの方がきれいだ。

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 朝日は見えなかったが、雲海がきれいだった。

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 横岳がはっきり見えた。けっこう険しい山である。

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 今日の予定コースの阿弥陀岳。

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 遠く北アルプスが見える。中央少し右に尖っているのが槍ヶ岳。中央にへこんでいるのが大キレット、その左が穂高連峰。

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 左 甲斐駒ヶ岳、右 仙丈ヶ岳

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 御嶽山は遠い

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 天狗岳(2645)
 二つの峰があり、左 西天狗、右 東天狗、西天狗が主峰(2645)
 手前斜めの稜線は、右へ硫黄岳にいたる。

つづく   続きを読む
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2015年10月29日

南八ヶ岳3

南八ヶ岳3 1991年8月

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 阿弥陀岳は赤岳以上に急峻

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赤岳の斜面をしばらく登ると、急斜面の広いガレ場になった。どこが正しい道ともいえない。
わたしは道を探しながら慎重に登る。しばらくすると、妙高が黒潮に道を教えている声が聞こえた。ガレ場を登っているときは道が見えなくなってしまうのだ。妙高はいつもながら余裕がある。
 わたしもときどき足元の石が流れることがある。下には誰もいないことが判っていてもドキリとする。
ガレ場を過ぎると、切り立った尾根の上である。左右にある登山道は鎖場であった。急なため、鎖を伝わって登り降りするのである。

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 まだハイマツ登山が届かない。何千年かかるか。

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 火山の噴火は何度もあったであろう。

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 道が見える。一歩踏み外すと奈落の底へ落ちそう。

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 切り立った尾根を歩く。

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 頂上が見えた。まだ距離はある。
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 頂上小屋が見えた。

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 続く登山者は一息ついている様子。道を捜しているのか。

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 下には行者小屋が見える。

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ようやく頂上小屋にたどりついた。見たところ黒潮の消耗が激しい。わたしは甲斐と顔を見合わせた。
黒潮はリーダーの甲斐よりよほど強いのだ。ゲンジ梯子以来、危険な所が続き、緊張のあまり消耗したらしい。

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 もし縦走路を先に進むと、この肩の小屋に降りる。その先は横岳になる。

つづく   続きを読む
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2015年10月28日

南八ヶ岳2

南八ヶ岳2 1991年8月
2日目
2日目は、まず青年小屋(2400)から権現岳(2715)へ。いつものようにわたしが先頭を歩く。

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 これはどこだろう。
(追記: 山頂の見えない山は主峰の赤岳、手前左手のピークがツルネ、手前右手が旭岳の稜線)

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 権現岳には山頂に人が立っていた。道があるのかな。

 山には雲が多く、見通しが利かない。
このコースは意外に険しい。特に崩れやすい岩場や掴まることのできない斜めの岩盤を通るときは細心の注意を要する。
 権現岳から間もなく、旭岳(2672)がある。その手前にゲンジ梯子がある。

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南八ケ岳名物の長いゲンジ梯子を上から覗くと、真ん中あたりから下は雲がかかってはっきりとは見えない。
 わたしからひとりずつ降りることになる。

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 当たり前だが、下から見ると上は霞んでいる。降りてくるのは黒潮。妙高と一二を争う体力の持ち主だが、高いところが苦手。降りてくるにもリズム感がない。

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 花は金梅(キンバイ)だろう。ミヤマキンバイかシナノキンバイか。

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 阿弥陀岳(2805)は縦走路から外れる。

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 向こうに主峰の赤岳(2899)が雲に隠れている。手前はキレット(2450)といわれる落ち込み。

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 コマクサが群生していた。

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キレット小屋の前で昼食にした。ここからは主峰の赤岳が目の前に聳える。

つづく   続きを読む
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2015年10月27日

南八ヶ岳1

南八ヶ岳1
1991年8月 探花登山会
 当時、探花登山会という名はなかった。後でわたしが勝手に付けた名である。探花の意味は中国の科挙の第三位合格者のこと。人の名は、この記事のためにわたしが付けたハンドルネームである。
 写真が多いので五回に分けます。

編笠山から権現岳をえて赤岳まで行き、そこから阿弥陀岳をえて下山する、二泊三日のコースであった。参加者は五人である。
 八ヶ岳は南北三十キロ以上の山脈の名前で、一座で八ヶ岳という山はない。全体が火山である。
 大きく南北に分けられ、北は樹林帯が広がり、南は鋭い地形の岩峰群である。日本百名山の八ヶ岳はこの南八ヶ岳を指すという。知らなかった。北八ヶ岳の蓼科山も百名山に入る。
 南八ヶ岳でも編笠山は例外的に穏やかな山容をしている。

一日目
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 編笠山
 まず編笠山(2524)まで、どう登ったのか覚えていない。観音平(1570)からと思うが、1994年の地図ではバス路線はない。
 新宿から夜行列車で小淵沢まで行き、小淵沢駅から歩くには遠すぎるので、観音平までタクシーを使ったか。

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 頂上はこのような大石が多いが、周辺は樹木が茂る。

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 編笠山は、こうしてハイマツなどが覆う。

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 山頂から青年小屋(2400)へは30分ほど。その手前に氷河のような大きな岩塊が横たわる。先ほどまで雲がかかっていた小屋がはっきり見えた。身の丈を越える巨大な石の群れを横切る。

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 リーダーの甲斐はこのような道が苦手。

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 思えばわたしも若かった。女の子と間違えられるほど髪も長かった(^。^)。
 青年小屋は2食付きで泊まる。我々だけで二階の一部屋を与えられ、ゆっくりできた。
 廊下はアイゼンの爪の跡が目立つ。冬山を登った人が無人の小屋にアイゼンのまま入ったのだろう。
甲斐と妙高がウィスキーを持ってきていたので、夜はそれを飲みながらの宴会となる。近くの「乙女の水」を汲んできて割った。水だけでもうまい。
「謫仙さん、いったいどうしたんだ。今日はついていくのがやっとだった」
甲斐の言葉に長老が続けた。
「息が切れたな。何か良いことあったのか」
 もちろんお世辞である。一番弱いわたしがトップを歩き、他のメンバーはわたしの脚にあわせて歩くのが、いつもの形であった。
黒潮は隠し持っていた、自分で作った梅酒を出した。わたしはウィスキーをやめて梅酒にする。
 山小屋は朝が早い。すぐに布団に潜り込んだ。
 翌朝、天気はよさそうだが雲は多い。

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 雲のかかる岩壁。どちらの方向だったのだろう。

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 朝露に濡れた撫子、ナデシコにも種類があるが、細かい分類は判らない。

 つづく
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2015年09月30日

草津白根山スキー

草津白根山スキー

 1985年3月、草津の春スキーを楽しむ。
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 草津スキー場の最上部に行き、向こう側に下りる。もちろんスキー場の外である。
 向かいの山は草津白根山である。

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 白根山の山頂には火山湖があり、立ち入り禁止であった。その看板なども雪に埋もれ、気付かずに入る。
 この数年前に、ここから毒ガスが吹き出した。当時は大ニュースであった。それは落ち着いたものの、まだ安全宣言とはいかなかったのだ。

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 わたしたちが湖の近くに降りて写真をとっていると、ここは立ち入り禁止ですと注意された。まだ毒ガスの危険があるという。わたしたちはすぐに上まで戻ったが、注意した人はゴムボートに乗った。

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 湖の左下の点は観測のゴムボート。水の色はいわれてみれば火山湖だと思う。

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 白根山より草津スキー場方向を望む。
 頂上の向こう側がスキー場である。歩いて頂上まで登らねばならない。
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2015年09月27日

野沢温泉スキー

野沢温泉スキー

 1985年1月 ちょっと古い記録である。
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 気温は低く、枝に触れた雪はそのまま凍り付く。こうして日が射せば五分ほどで枝の雪は落ちてしまう。

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 全山まるで桜の花のように雪が張り付いた。
 この上の方の雪は、日が射してもなかなか落ちないようだ。
 
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 滑り降りたときは枝の雪はなくなっていた。

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 続いて下りてくる友人たち。
 このときのスキー靴は、ある時、粉々に砕けていた。プラスチックの靴がそうなることは知識として知っていたが、現実になった。滑っている最中に砕けなくて良かった。
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2015年09月19日

燕岳

 燕岳(2763)  1994.5.2〜5.3
(雲上世界から記事を移動しました。写真を入れ直し、文も加筆修正しています)

 夜行列車で穂高まで行き、5月1日の早朝、駅からタクシーに乗った。そして登山口(1450)の中房温泉まで行ったが、大雨になった。やむを得ず、中房温泉で休憩する。そのまま降り止まず、その日はそこで泊まることになった。

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 雲に煙る中房温泉
 登山予定は三日間で、燕岳で一泊し、大天井岳をえて常念岳まで行き、下山する予定であったが、雨で一日がつぶれ、予定を変更し燕岳の往復とする。
 合戦尾根を登る。樹林帯でもけっこう雪が深い。膝が埋もれるほどだが、踏み固められており、歩くのは問題ない。

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 樹林帯を抜けて合戦小屋を過ぎたあたりか。燕山荘(えんざんそう、2712)が見えた。

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 風雪に耐え

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 燕山荘が近づく。念のため、山の名前は燕岳「つばくろだけ」である。

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 このあたりは晴れているが、左手方向は曇っていて、槍ヶ岳は見えなかった。

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 大天井岳か
 登ってくるとき谷の向こう側にちらっと見えた山である。

   アイゼンの爪の跡消え風白し 思い出せない山のいくつか
   俵万智さんの歌を擬製


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 這松は、高山の緑の中心。千年万年かけて登ってくる。

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 無事、燕山荘に到着した。宿泊の手続きを済ませ、荷物を小屋に置いて、燕岳山頂まで行く。

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 小屋のすく近くにキャンプ場がある。わたしなら一晩で凍死しそうだ。

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 燕岳への途中から振り返る。こちら側はほとんど雪がない。

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 燕岳(2763)

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 山頂が近づく。

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 山頂付近より
 小屋の右手奥は大天井岳である。なお、この右手には槍ヶ岳があるのだが、雪が降っていて見えなかった。翌日は燕山荘でも雪が降ったが、その中でかすかに槍ヶ岳見えた。

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 到着の記念撮影。
 まだアイゼンをつけている。

 夕食後、食堂に登山客は集まり、小屋の主のアルプスホルンを聞く。

   雪深き燕山荘の五月の夜 アルプスホルンとストーブの声
    俵万智さんの歌を擬製


 同時に登山の注意を。
 深いところでは膝まで雪があるというのに、運動靴で登ってくる人がいる。(この時もいた)
 あるいは荷物が重すぎて、途中でへばる人。小屋では食事が用意されている。そういう人は非常食以外は小屋に頼り、荷物を減らしなさい。
(この注意は「場合の注意」である。他でも同じというわけにはいかない。小屋によっては、食事を出さないこともある。事前に山の雑誌やガイドブックなど確認する必要がある)
 あるいは、梅雨時は登山客が少なく、いつも従業員の方が多い。だから楽に泊まれますとか。そんなときは、雷鳥がすぐ近くまで来るとか。スイスまでホルンを吹きに行ったとか。
 ホルンの音に比べて話が長すぎましたけど…。
 この複雑な山脈を創造した神に、

   秋津島に生命の粒を撒きながら 泥遊びする神のてのひら
   俵万智さんの歌を擬製


   さりげない万智ちゃんの歌擬製して あらためて知る「転」の鋭さ

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 下山時にかすかに槍ヶ岳が見えた。
posted by たくせん(謫仙) at 11:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 登山・ハイキング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月15日

編笠山

編笠山
 1995年5月。
(雲上世界から記事を移動しました。写真を入れ直し、文も加筆修正しています)

 編笠山は八ヶ岳連峰の一番南にある。
 いつもは夏休みに八ヶ岳登山をしていたが、この年は五月の連休に編笠山(2524m)を目指した。

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 登山会会長と二人で、富士見からタクシーで立場川キャンプ場の近くまで行く。

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 ウグイスの囀りに送られて、まずは西岳(2398m)を目指す。
 登山途中はまだ雪が深く、特に西岳から青年小屋まで(源治新道)は、道を踏み外すと、膝まで雪に埋まる。

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 稜線を歩くと、右手に甲斐駒ヶ岳などが見える。

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 編笠山
 形の整った穏やかな山だ。南八ヶ岳連峰は荒々しい山ばかりだが、この山だけが例外。左の方に小さく青年小屋が見える。この小屋に泊まり、翌日編笠山に登って、南側の観音平におりた。

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 遠くに富士山も見える。

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 北側に ギボシ
 右に権現岳、頂上に岩の塊が見える。

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 赤岳

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 阿弥陀岳 縦走路から外れる。
 夕刻が近づいていたが、「乙女の水」までくると一安心。雪の中で凍りついているかと思ったが、滾々と湧いていた。小屋は近い。

 青年小屋の入り口には鐘がある。来客はこれをチリンチリンと鳴らす。この夜はここに泊まる。この小屋は季節営業なので、冬季は営業していない。このシーズンの開業二日目であった。登山客は少なかった。
 夕食後、酒を飲みながら、若い主はギターを弾き、自作の歌を歌っていた。

  雪深し青年小屋の鐘鳴らす フォークギターと暖かき飯   謫仙

 翌朝、編笠山に向かう。

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 この大石の群れが川のように横たわる。横切らねばならない。

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 今日も富士山がはっきり見える。

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 少し登って、青年小屋を見下ろす。その手前が横切った石の群。

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 編笠山山頂についた。

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 左 蓼科山 八ヶ岳連峰の一番北の山である。

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 左 阿弥陀岳、右 赤岳、間に遠く見えるのは横岳
 いずれも険しい山ばかり。

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 阿弥陀岳
 この山は別なときに、北岳方向から登った。まるで崖を登るような登りになる。

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 北岳
 こちらも崖のような登りであるが、鎖場もあり、阿弥陀に比べると恐怖感は小さい。

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 ギボシ 権現岳 横   1000ピクセル

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 さて、南側を見てみると、雲外の峰が連なる。

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 左から北岳・甲斐駒ヶ岳・仙丈ヶ岳

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 仙丈ヶ岳は北岳登山の時、間近に見えた。

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 北岳は富士に次ぐ日本第二の高峰、白峰山(しらねさん)と書いてあることもある。
 このブログ「雲外の峰」の名のもとになつた写真。

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 遠く中央アルプスの山々が見えた。右に少し離れて白く見えるのが御嶽山である。

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 中央アルプスは山の名を知らない。一番高い山が木曽駒ヶ岳か。

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 木曽の御嶽山は去年火山爆発したことでご存じあろう。

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 金峰山のあたり
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 防火帯の下山路を振り返る。観音平に向かう。

 このあと、「かいこいずみ」の駅まで歩いた。観音平から2時間ほど。足の裏が痛くなった。路肩の舗装してないところを歩くと何ともないが、舗装路を歩くと、とたんに痛くて歩けないほど。この回の登山はここが一番つらかったな。
posted by たくせん(謫仙) at 07:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 登山・ハイキング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月08日

北岳(白峰三山)

北岳1992年
(雲上世界から記事を移動しました。写真を入れ直し、文も加筆修正しています) 

 雨続きの夏であった。
 八月半ば、雨の切れ目を狙ったように、一日目と二日目は晴れた。
 わたしは探花登山会の会長と二人で、白峰三山(しらねさんざん)縦走を計画した。北岳(3193)・中白根岳(3055)・間ノ岳(3189あいのだけ)、西農鳥岳(3051)・農鳥岳(3026)である。
 なお、三山は北岳・間ノ岳・農鳥岳を指す。

 一日目
 夜中の二時過ぎ、電車は甲府駅につく。そこからバスに乗り広河原まで行く。まだ暗い。
 そこで朝食を摂り、日の出を待つ。明るくなって登山道を歩き出す。

   広河原 夜明け待つ人声満ちて三々五々に北岳を見る  謫仙

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 北岳を目指し歩き出す。8月半ば、雪渓の下から雪解け水の流れる音がする。

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 雪渓を上る

 二俣までは、沢沿いの緩やかな道である。二俣から上は雪が解けきらず、雪渓であった。雪渓を登る人も多い。

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 ここから雪渓と分かれて右に行く。道は急になる。
 わたしたちはここから稜線の道を登る。小太郎尾根の分岐まで急な登り道が続く。この途中あちこちに花が咲いている。

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 雪渓を見下ろす。雪渓を上る人もいる。

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     問う。野に咲く花は幸福か。

 登り切ると、目の前に、仙丈岳の雄大な景色が広がる。

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 仙丈岳
 右手には下の写真の、頂上付近が白い甲斐駒ヶ岳が見える。

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 甲斐駒ヶ岳
 ここから肩の小屋まではゆっくりした登りである。

   あの白く険しい山が甲斐駒と指さす人のザックは重し 謫仙


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 甲斐駒への道、甲斐駒は頂上近くに小屋があるが、そこから先は下まで小屋がない。
 体力に自信のない人はこちらに引き返すことになる。

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 花の名は不明
     再び問う。野に咲く花は幸せか。

   ほの白く北岳草の開くとき 花摘む乙女場所をたがえる 謫仙
 
 
 二日目
 朝、外に出ると晴れていた。間もなく日の出を迎えた。
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 雲海より上る朝日
 
 ここから北岳への登り道は、いきなり急斜面である。大事なことは、歩き始めるときは、ゆっくり登ることである。一日目は沢沿いの緩やかな登りが、その役目を果たした。ここでは自分でコントロールせねばならない。

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 肩の小屋の朝

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 頂上は近い
 頂上には人が満ちている。写真を撮るのに順番待ちである。

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 北岳頂上 3192.4m

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 南方に目をやると、延々と山が重なっていて見飽きない。
 馬蘭山歌を思い出す。
  馬蘭山歌
永遠的青山無際 一重又一重
健美的馬蘭姑娘 蓮歩軽如風
……


 ここから間ノ岳までの道は、この度の登山で、もっとも楽しいときであった。
 北岳・間ノ岳・農鳥岳を白峰三山ともいう。いずれも三千メートルを超える。

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 間ノ岳への途中から、北岳を振り返る。

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 岩桔梗か。桔梗でさえ種類は多くわたしには同定はとうてい無理。
     さらに問う。野に咲く花は幸せか。

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 中央は北岳、左に甲斐駒ヶ岳、右に鳳凰三山の一部が見える。
 赤く見えるのは北岳山荘。皇太子殿下がお泊りになったとき、トイレを水洗にしたという。

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 記憶が曖昧だが、右が間ノ岳と思われる。

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 間の岳より北岳を見る。あちこちに雪が残っている。

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 三峰岳(みぶだけ)
 間ノ岳で昼食にした。目の前に西農鳥岳が見える。時間的に余裕があるので、遠回りをして、三峰岳を通って農鳥小屋に向かう。

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 間ノ岳から西農鳥岳への稜線。ここに見える道を登って、農鳥小屋に向かう。 
 四時過ぎに着いたが、そこにいる登山客は、もう夕食が済んだという。
 小屋にはいると「遅い」と小屋の主に叱られてしまった。主旨は判らなくはないが、四時前に夕食は、早過ぎやしないか。
 このときの主は台湾人であった。各所に台湾の登山隊の記録がある。

 三日目
 朝から雨模様であった。農鳥岳の頂上を過ぎて、間もなく大門沢の道を下りはじめる。沢は滝のような急流で、大量の泥水が轟音を響かせ、足が震えた。
 あるときは、道が崩れ落ちないかと、ひやひやしながら歩いた。
 奈良田温泉まで下りたころ、ようやく雨が上がった。
 そこからバスで身延に向かう。

   岸削る大門沢の咆吼に山も震える「道はまだある」  謫仙

 「野に咲く花は幸せか」これは書庫の夢枕獏 上弦の月を喰べる獅子 を参考にしてください。
posted by たくせん(謫仙) at 16:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 登山・ハイキング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする