2013年06月11日

2013ファンフェスタin箱根

 久しぶりに箱根の囲碁大会「2013ファンフェスタin箱根」(6/7〜9)に参加した。
 前回は2010年だった。
 今回は優勝した。初めてのことだ。今まで三段で何度も優勝同点の準優勝があった。優勝すると段位を上げて参加するのがルールになっている。わたしは優勝はなかったが四段に上げて、これで四回目かな。これまで等外と準優勝と敢闘賞だった。

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 賞状と賞品(名前は変えてあります)
 さらに会場となった富士箱根ランド「スコーレプラザホテル」の二名一泊招待券。

 これで次回からは五段で申告しなければならない。はっきり言って家賃が高すぎる。とても払えそうもない。というのも今回の五勝一敗の内容は次のようだったのだ。
 第一局、残りは一目のヨセ二カ所。負けを覚悟して先手一目のヨセを打った。両当たりがあるのに、相手は最後の一目ヨセを打つ。
「えっ、今どこに打ちました」「ここへ…」「ここ打つと、両当たりですよ」
 第二局、20目以上の差で必勝の局面だと思っていた。相手の勝負手に対応手が見えていたつもりなのに、生かしてしまい投了。
 第三局、勝負手を打ったのに、相手はわたしが生きられないと思ったか手抜き。そこで生きて逆点。
 第四局、わたしの大石が死ぬ寸前、相手の勘違いで繋がった。相手は投了した。検討では、勘違いの手では、このあたりに7手ほど候補があるが、この場所以外はどこでもよかった、ここだけが悪かった、で一致した。
 第五局、最後までリードして(いたと思う)決めた。
 最終局、勝った方が優勝の一局で、相手は10分遅れ。時計を10分進めてはじめる。これはルールにはなかったと思うが、わたしは要求した。
 相手はほとんど時間を使わず打ってくる。押されっぱなしだったが、こういう早打ちは、どこかでミスをする。そこを捉えてなんとか逆転した。
 とても五段の藝ではない。ちなみにわたしは「幽玄の間」では二段か三段である。

 前回参加時にはなかったことだが、指導碁が4局に制限された。これはありがたい。今まで、席の奪い合いになったので、待つことが多かった。今回は待たずに済んだ。

 今回の指導棋士は、孔令文七段・下島陽平七段・瀬戸大樹七段・謝依旻六段(三冠)・大澤健朗二段・清成真央初段・若手女流ふたり。万波佳奈四段も2日目に日帰りで登場した。
 スペシャルゲストに結城聡九段(十段)。   続きを読む
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2013年01月31日

双方の錯覚

双方の錯覚

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「幽玄の間」での一局、わたしの黒番である。
 黒▲を打って終局するはずだった。実際は打つ前に終局宣言をするのが普通。黒▲は空いていても地には数えない。

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 白さんは、白1とダメを詰めた。黒はパス。つまり終局宣言である。
 白3、黒パスで再び終局宣言。白8、黒6(白8ヌキ)、白7、黒8、白9、黒10と進む。
 ここで白11と打ったので、黒はパス。みたびの終局宣言である。白も終局に同意。そうなると白11は1目損の不要の手であったことになる。
 本当は黒は10の下に打たなければならなかった。
 結果はなんと黒の半目勝ち。して見ると白が11を打たなければ白の半目勝ちであった。
わたしが終局宣言をした時点では半目負けていたのだ。
 白11に黒は手を抜いて終局したが、手を抜いてはいけなかった。10の下に白がノビたらどうなるか。検討してみたら、なんと白の花見コウになるようだ。
 結局どう打っても黒の負けだった。お互いが錯覚したために黒の勝ちになったのだ。
 わたしのレベルではこんなことがよくある。

 千寿先生の「詰め碁をやりなさい」という言葉が頭の中に響き渡る。幻聴だろう。幻聴はわたしにはよくあること。
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2013年01月16日

「ころころろ」の碁

ころころろ(しゃばけシリーズ)
畠中 恵   新潮社   2009.7
     korokroro.jpg
 前に紹介したことのある「しゃばけ」のシリーズも巻を重ねて8巻目。
 長崎屋の若だんな一太郎は筋金入りの病人。長崎屋の離れでいつも寝込んでいる。そもそも昼間でも起きている時間より寝ている方が長い。隣の和菓子屋に行くにもことわって行かなければならない。それさえなかなか許して貰えない。薬を飲んだり医者に看て貰ったりで一日が過ぎてしまう。
 無聊を慰めるのは妖(あやかし)たち。普通の人には見えない妖(あやかし)が見えるという特異な能力者。離れに同居するのは、鳴家(やなり)や屏風のぞきなど。またいろいろな妖が訪ねてくる。
 あるとき、一太郎が目が見えなくなってしまった。
 見えなくなって三日目。屏風のぞきが碁を打とうと言い出す。

「でもさ屏風のぞき、わたしはもう碁が打てないよ」
「あん? そりゃまた、どうして?」
「だって、碁盤が見えないんだもの」
「あのさ、側でうろうろしている鳴家(やなり)達に、石を盤上に運ばせたらいいじゃないか」
 打ち慣れた若だんなならば、どこへどう打ったか覚えていられる筈だと、屏風のぞきはさっさと碁盤を用意している。

  中略
 若だんなは試しに、教えた場所に碁石を置くように頼み、鳴家に黒石を持たせて盤上へ乗せた。すると小鬼は一つ二つと目を数えつつ、ぽてぽてと歩いて置きに行く。

 若だんなと屏風のぞきが話をしたりする間に、鳴家が石を蹴ったり動かしたりして、盤上は判らなくなってしまう。

 このような進行なのだが、著者は碁を打てるのだろうか(^。^)。
 この言葉の使い方に不自然なところはない。どうでもいいような文だが、碁を知らないと、こんな短いところでも不自然な言葉づかいをしてしまうものだ。でもそれだけで碁を打てるとは言いきれない。
 1カ所大問題があった。
 ここでは、プロでもできないと思える「目かくし碁」を打とうとしている。将棋ならば、目かくしでも打てる人がいるが(盲人のプロ棋士がいた)、碁では聞いたことがない。武宮九段がアマを相手に打った話があるが、途中で盤上を確認したのではなかったかな。満14〜16歳くらいの少年が、いきなり目が見えなくなって「目かくし碁」が打てるものだろうか。塔谷アキラ(ヒカルの碁)は打てたようだが、プロ棋士でも百手まで打つのは難しいのではないか。
 一太郎は試しに打ってみたが、すぐに終わってしまう。もし鳴家がきちんと石を置くことができたなら、どこまで打てるものだろう。試しとはいえ、一太郎が五十手以上打てると思っていたとしたら、プロ並みに強いことになるのではないか。気になった箇所である。
 著者にも一太郎にも訊いてみたい(^_^)。
 一太郎の場合は妖(あやかし)が見える能力者なので、特別な記憶力があり、見えるのと同じように打てるのかも知れない。しかもそのことが特異な能力であることに気づいていない可能性がある。それなら普通のアマの棋力で納得がいく。
 そこで打ち方だが、なにも鳴家に運ばせなくても、屏風のぞきに言えばよいこと。佐為とヒカルではヒカルが両方の石を打ったように、屏風のぞきが両方の石を打てば鳴家に運ばせるような問題は起こらない。そのうち気がつくかな。
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2012年12月09日

大勝のあと

 いつも負けた話ばかりなので勝った話もしてみます。
 インターネット碁「幽玄の間」での対局、わたしの黒です。
 巨大魚を仕留めました。数えたら160目勝ちでしょう。
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 もちろん相手が足りないので無理をしたからであって、逆の体験もあります。久しぶりでした。痛快ではありますが、それは一瞬のこと。

 その前の別な人との対局でも大勝しました。
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 数えれば90目勝ちでしょう。ここで相手は5分も考えるので「終局にしませんか」と持ちかけたのですが、そのまま3分後に秒を数えて時間切れ勝ち。
 悔しいのは判りますが、常に勝敗のあることなので、一呼吸おいて、気を静めて投了することも大切です。
 こういう勝ち方で連勝すると、このあと「またも負けたか八連敗」になりそう。
 実際2連敗をしたところで、パソコンを切りました。翌日さらに4連敗。
 奈落の底へ落ちるのかと思いましたが、なんとか3日目に踏みとどまって、降級せずに済みました。

12月5日の朝日新聞天声人語で言っていた。
 勝ち負けにも、程度に応じて大中小がある。ワーテルローの戦いでナポレオンを退けた英軍の指揮官によれば、大敗の次に恐るべきは「中敗」ではなく、大勝だという。兵士らは望外の戦果に狂喜、陶酔、慢心し、戦いの目的までを忘れかねない… 
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2012年11月19日

モノトーン

モノトーン
 11月18日の囲碁フォーカスで、高梨聖健・瀬戸大樹・謝依旻の3人による音楽ユニット「モノトーン」が紹介された。
 参考 モノトーンプロモーションビデオ http://www.facebook.com/monotone15
(facebook に加入していないと見られないかな)

 高梨聖健さんが呼びかけたところ瀬戸大樹さんと謝依旻さんが、その場で快諾してくれたという。
 このビデオ、わたしの場合見てる方が照れる。
 高梨聖健さんは千寿会などでおなじみ。千寿会では貴公子といわれ親しまれている。
 瀬戸大樹さんは関西棋院の人たが、箱根で何回も指導を受けたことがある。
 謝依旻さんは指導を受けたことはないが、短い時間ながら中国の筆の持ち方の話をしたことがある。
 3人とも知っている人なのだ。もっとも瀬戸大樹さんと謝依旻さんはわたしを憶えていないだろう。
 歌のタイトルは「i☆Go!」アイゴーと読む。イゴではない。
 テレビでは、石田芳夫「忘れるぜ」と武宮正樹「生きることがすべて」も紹介されていた。いわゆる歌謡曲調だがなかなか上手い。それに対し「i☆Go!」は新しい曲調。わたしは歌の世界に暗いので、正確な紹介はできない。
 聖健さんは「目標は大きく紅白歌合戦です」と言っている。(^_^)。
 依旻さんはそれを聞いて吹き出してしまって、「紅白は目指していないですけど、囲碁を知らない人にも聞いて頂けたら…」

 ぜひ、ビデオをみて下さい。
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2012年10月25日

囲碁フェスティバル

 10月20日と21日は IGO FESTIVAL2012 in Mejiro が開かれた。20日に見に行ってきた。目白駅近くは囲碁ファンで溢れた。
 駅前にテントの案内所があった。「大橋さんのピアノは…」と訊くと、「間もなくですよ」と、案内書を示し道を教えてくれた。
 案内書(地図でもある)をもらい、急いでマックスキャロットにいくと、オトト先生が来ていたではないか。その前の席が空いていたので、そこに座り込み、さっそく十三路盤で手談を交わす。
 潘坤ト(Han Konyu=はん こんゆ)さんのピアノ演奏が始まる。コーヒーを飲みながらピアノを聞きながら碁を打っていると、曲調が急に変わった。見ると演奏者が大橋拓文さんに替わっていた。
 ピアノ演奏が終わると高梨聖健さんと瀬戸大樹さんのモノトーンの話。

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 高梨聖健・瀬戸大樹・謝依旻の3人による音楽ユニットが結成された、モノトーンという。
  囲碁プロ棋士歌手ユニット を参照されたし。
 なお、11月18日「囲碁フォーカス」で、モノトーン特集が放送されます。

 そのあと Gallery鶉 で公開囲碁対局を少し見た。
 大澤四段対大澤初段、その序盤は仰天の趣向。

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 天地明察の影響でしょうか。
 ヨセに入って、記録係が手順を追えなくなったころ、新宿へ向かった。武侠迷大幇会に出るためだ。それは「たくせんの中国世界」に載せる。

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2012年10月07日

囲碁サロン爛柯

京都−囲碁サロン爛柯

 爛柯は碁の別名。 雲外の峰−爛柯 以外にもそのことをあちこちに書いている。
 8月8日は京都美術館へ行ったが、紹介するほどの展示はなかった。

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 平安神宮の大鳥居。この隣に美術館がある。

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 昼食を済ませて、白川沿いに「囲碁サロン爛柯」に向かって歩く。
    
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posted by たくせん(謫仙) at 07:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 囲碁雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月12日

本因坊と寂光寺

 毎日新聞の少し前の記事だが、
 本因坊誕生400年の今年、第67期本因坊決定戦七番勝負(毎日新聞社・日本棋院・関西棋院主催、大和証券グループ協賛)が5月15日、京都市左京区の寂光寺で開幕する
 とある。400年前といえば1612年、本因坊算砂が幕府から扶持を与えられた年である。名人碁所になった年といってもいい。当時名人碁所という称号が確立していたとはいえないが、それでも名人碁所に相当する地位にいたので、そう言っても問題は小さいだろう。
 寂光寺本因坊の僧で法名日海(本姓は加納)が、寂光寺を弟子に譲り、本因坊算砂(ほんにんぼうさんしゃ)と改名した年であった。後に、ほんいんぼうさんさ、と読まれる。つまり本因坊家の誕生だったのだ。本因坊は前からあった。
 本因坊算砂は1559年〜1623年(元和9年5月16日)なので、死去の十一年ほど前のことになる。

 次の☆はウィキの抜粋。 ★は出典はウィキだがわたしが編集。 《》内はわたしの追加。

☆寂光寺(じゃっこうじ)は京都府京都市左京区にある、顕本法華宗の本山。山号は妙泉山。
★1559年 算砂誕生 本姓は加納、幼名は與三郎。
★《1566年?》算砂は8歳の時、叔父である寂光寺開山日淵に弟子入りして出家。法名は日海。
☆1578年(天正6年)日淵は室町出水に久遠院を建立する。
★1578年 日海が信長に名人と言われたという説がある。
★1582年(天正10年)本能寺の変、この時日海が碁を打ったという説がある。
★1588年(天正16年)日海が秀吉の御前で碁を打つ。20石10人扶持を与えられる。
☆1590年(天正18年)豊臣秀吉の命により、寺町二条に移転する。
☆1591年(天正19年)妙泉寺の寺内に移転合併し、寂光寺と改称する。
 《これは間違いと思われる。妙泉寺が久遠院内に移転したようだ。移転した翌年に再移転は考えにくい。正確な根拠が欲しいところ。大川住職も妙泉寺が久遠院内に移転したと言った》
★1612年 日海は江戸に本拠地を移し、幕府から扶持をもらい、本因坊算砂と改名する。本因坊家の誕生。
★1623年 算砂死去。
☆1708年(宝永5年)宝永の大火により焼失する。
☆1708年(宝永5年)現在の地に移転し、再建する。
《移転の時、算砂たちの墓も移転している》

 妙泉寺 には、妙泉寺が久遠院の境内に引っ越したという記述がある。

 さてこのたび、小林千寿師の案内で寂光寺を参拝する機会に恵まれた。8月6日、12時半に寂光寺に集合。
 わたしは一人で久遠院を訪ねた。寺町通りは大型車は通行禁止の狭い道。

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「本因坊」発祥の地 道を隔てて、わたしの立っているところは久遠院前町。

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碁盤があった。
「本因坊旧跡駒札」建立記念 打ち初め式
九段 今村俊也
九段 滝口政孝
平成二十一年一月十日
商店街振興組合 寺町会


駒札の説明。
囲碁「本因坊」発祥の地
 この寺町通の名は、天正十七年(一五八九)頃豊臣秀吉の都市計画により洛中の寺院が集められたことに由来する。
 寂光寺もそのひとつで、別名を久遠院ともいい、通りを挟んだ西側の町名「久遠院前町」にその名残が見られる。
 寂光寺の塔頭「本因坊」に住まいしていた僧侶の日海(一五五九〜一六二三)は、信長・秀吉時代から囲碁の名人として名高く、江戸幕府が開かれると、徳川家康の命によって寺を弟子に譲り、本因坊算砂(さんさ)と改名して幕府の碁所(ごどころ)を任された。
 算砂は江戸に屋敷を拝領した後も、寺町の本因坊を本拠として、春に江戸へ下り、年末に京に戻る暮らしをしていた。
 以降、本因坊の名は世襲で受け継がれたが、二十一世の秀哉は、真の実力者が本因坊を名乗るべきとしてその名跡を日本棋院に譲り渡し、昭和十一年(一九三六)、今なお続く選手権制の「本因坊戦」が誕生した。
 宝永の大火(一七〇八)で罹災した寂光寺は現在、仁王門通東山西入に位置し、算砂愛用の盤石や算砂直筆の囲碁狂歌などの貴重な史料を蔵している。
          京都市


 この久遠院こそ、本因坊発祥の地。
 ここから歩いて寂光寺に向かう。寂光寺の近くで昼食。主と話をしていると、「寂光寺住職の大川さんは女房の同級生です、エー、わたしは碁はさっぱり…」
 ケータイを携帯していないわたしは、約束の時間より少し前に行くことにしている。

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 寂光寺の門前、石標がある。
「碁道名人第一世本因坊算砂之旧跡」と読めた。裏に「大正十二年夏…」と寄進者の名がある。つまり寂光寺が建てたのではないようだ。
横には「本因坊第参百年記念」、「第」の意味が判らないが、1923年なら算砂没後300年になる。
 気になったのは「…算砂之旧跡」、算砂の旧跡は寺町の久遠院のはず。
 「本因坊算砂ゆかりの寺」なら問題ないが、「旧跡」にはとまどう。
 門柱には右に顕本法華宗妙泉山寂光寺、左に碁道本因坊元祖之道場。

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 駒札には、四世道策のとき本因坊は当寺から江戸に移ったとある。本因坊道策は1645年〜1702年であり、この説明によれば、寂光寺が1708年にここに来る前のことになるので、本因坊はここにはなかったことになる。
 この件は気づかなかったので大川住職に問うことはできなかった。おそらく「本因坊家」の根拠地が江戸に移っただけで、塔頭の「本因坊」はここに移転したと思う。
 古図を見つけた。 http://www.nihonnotoba3.sakura.ne.jp/2003toba/zyakkoji41.jpg
 この図が本物なら、1708年以降にも本因坊があったことになる。
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posted by たくせん(謫仙) at 07:15| Comment(4) | TrackBack(0) | 囲碁雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月12日

吉備真備と碁

吉備真備と碁
 囲碁梁山泊の2012青春号に、吉備真備(きびのまきび695−775)が唐に渡り唐の名人と碁を打ったという話が載っている。もちろんフィクションであるが、けっこう有名な話でもある。
 碁を知らない吉備真備は鬼に一晩で教えてもらって、唐の名人と対局した。
 後に碁を日本に伝えたという。

 先日、東京国立博物館で「ボストン美術館−日本美術の至宝」(6/10まで)を見た。その中に「吉備大臣入唐絵巻」という十二世紀後半の国宝的な絵巻が展示されている。
 その絵巻に碁を打つエピソードが書かれているのだ。解説文を読まないと意味が判らないが、現在の文字で別に書いてあるので、絵巻の草書が読めなくても判る。
 持碁とみた吉備真備は相手の石を飲み込んで一目勝ちにした。それを疑った唐の人は下剤を飲ませたりしたが、どうやら出なかったらしい。
 驚いたのは十二世紀の後半(絵巻の書かれたころ)にはすでにこの話ができていたこと。
 吉備真備以前に碁は伝わっていたし、遣唐使は碁を打てる人も伴っていたというし、鬼とは阿倍仲麻呂であるが、阿倍仲麻呂は同時代人で一緒に唐に渡った人。まだ鬼籍には入っていない。
 そんなこんなで、史実ではないことはすぐに判る。

 ところで飲み込んだ石はどこにあった石だろう。当時はいわゆる日本ルールのはず。衆人環視の中で盤上の石を剥がして飲み込んだのではすぐに判ってしまうし、持っているアゲハマでは自分が不利になる。相手の持っているアゲハマまで手を伸ばして取るのは、いくらなんでも不自然。もちろん碁笥の中の石では意味がない。
 つくっているときに取ったのだろうか。名人クラスならつくる前に結果は判っているし、おかしいと思えば並べ直せる。
 わたしには相手の石を飲み込んで得する状況が思い浮かばない。それに善戦でもよかったはず。藤原の佐為とは人格に差がありすぎるな。

2017.8追記
 吉備真備は命がけだったので、それくらいは許してやりたい。
 藤原の佐為の人格に疑問の声もありました。
posted by たくせん(謫仙) at 06:52| Comment(1) | TrackBack(0) | 囲碁雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月24日

芹を摘む −悔しい半目負け−

芹を摘む −悔しい半目負け−
 亜Qさんは半目負けが一番悔しいなどと言ったことがある。まあ本当かどうか怪しいが、場合によってはそんなこともあっただろう。
 わたしは半目負けは悔しいと思った記憶がない。少なくとも千寿会に参加してからはなかった。半目になる前にあっちこっちで間違えて、その結果なので、本来は10目勝つはずであった、あるいは5目勝つはずであった。それがミスによって半目負け。そのミスに気がつくと悔しいと思うこともある。しかし、半目差は手合いが正しかったと思う程度。

 ところが先日のある対局で悔やしい半目負け。いつもなら謫仙楼対局とするのだが、すでに戦いは終わっていて、面白い手段名(例えば貂蝉拝月・昭君出塞・風弟帰和など)を思いつかないのでやめた。
 レベルの低い話だがご笑覧を願う。

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 六目半コミだし。わたしが黒。白▲が194手目。この時点で数えてみると、どうやら盤面で黒4目程度ではないか。残るは半劫。つまり劫に勝っても1目半負け、劫に負けると2目半負け。これは計算が正しければの話。
 結果から考えると、黒が劫に勝つと白は手入れが必要で、黒の半目負けらしい。一目半の劫。そうなると白▲は緩着なのか。
 計算には自信がないし、時間もない。もう投了するタイミングでもないので、とりあえず劫を争う。
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posted by たくせん(謫仙) at 14:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 囲碁雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月24日

「涼宮ハルヒの分裂」の碁

 涼宮ハルヒのシリーズは、まだ全部読んだわけではない。その9巻目(読んだのでは7巻目)に碁がでてくる。
 次の赤字は108頁の引用。この小説は主人公キョンの一人称小説。だから地の文とキョンの台詞の区別がはっきりしないところがある。ここは全て地の文だろう。

 ハードディスクがカリカリと音を立てるのを聞きながら、昨日から置きっぱなしになっている古くさい碁盤の盤面を眺める。やりかけの詰め碁。モザイクのように見える白黒模様の情勢は終局間際だ。てなりで進めて黒の三目半勝ち。俺にも解るくらいだから初心者レベルの問題だな。

 110頁では、古泉がその詰め碁の盤面を見て「もはや打つ手なしですね。投了です」という。そのあとキョンは古泉に4子置かせて対局する。

 せっかく碁を題材にしてくれたのに申し訳ないが、この文は大変な勘違いをしている。著者は碁を知らないか、知っていても初心者であろう。
 問題は「やりかけの詰め碁」。詰め碁とは何かといえば、碁の一部分を取り出し、互いに最強の手段で結果を問うもの。正しい手を問うのではない。さらに無駄な石がないことも求められるが、昔の詰め碁には無駄な石があるものもあったという。
 普通は「黒先白死」とか「白先生き」「黒先劫」とか。つまり結果は、生きるか、死ぬか、劫か。
 本題は結果が「黒の三目半勝ち」。これでは詰め碁ではなくヨセの問題である。
「正しい手を問うのではない」と書いた。例えば「黒先白死」の問題で、白は部分的に最強の手段で応じると結果(白死)のようになるので、実戦では「そうは打たない」のだ。
 どうするのかといえば、部分的には損害を少なくする手を打つであろう。あるいは手抜きして劫材に使うことを考える(捨てるという)。これが正しい手といえる。

 本書で述べているような、終局にいたる、結果が黒の三目半勝ちになる詰め碁は可能か。
 昔のような無駄な石があってもよいならば作れようが、現代の無駄石のない詰め碁では難しそう。それは珍瓏に属するか。珍瓏ならできそうだ。ふつう珍瓏の場合でも最善の手を打つとは限らない。全体における最善の手は問題の部分は捨てて他を打つ手だったりする場合もある。
 盤上に終局近くの局面まで石を置くのは大変な労力を必要とする。だからこのような問題なら問題図を見て頭の中で解こうとする。盤上に石を置いて解きたくなるのに初級者の詰め碁だという。想像もつかぬ。珍瓏なら時間をかけて置いて楽しむ。
「終局に至る無駄石のない詰め碁」を見たことのある方はいますか。そんな詰め碁を作ってみようという有志はおりませぬか(^。^))。
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2011年10月09日

赤いグラスのいい出逢い

牧野昭一   総合企画   1997.11
     akaigurasu.jpg

 9月の21日(水)、台風15号の影響で夕刻には大雨大風が予想されていた。それなのに、東京駅近くの碁会所「いずみ囲碁ジャパン」で碁会があり、この日の昼過ぎに出かけた。
 家を出たときは、風はなく日差しもあるほどの天気であった。
 碁会所は空いていた。この日の会の主賓は欠席。それが当たり前だろう。無理して出て行ったわたしなどは反省せねばならない。
 夕刻になり、案の定台風が東京の西側を通って北へ向かっていた。台風が西側を通るときはさらに風が強くなる。電車は止まり、帰宅不可の状態になり、東京駅地下の商店街は人がいっぱい。
 わたしたち6人は6時ごろそば屋に入り、ちょっといっぱいのつもりでのんで、いつのまにやら10時過ぎ。ようやく台風も通り過ぎ、電車も動き出したので、店を出て帰宅した。
 この二次会はかなり盛り上がった。この日参加者の一人が意外な話を持ち出したのだ。そのひとつ。
 その女性の父親が作曲家の牧野昭一であり、父の書いた本を持ってきたのだ。ありがたく頂戴した。
 それが「赤いグラスのいい出逢い」である。出版社は北海道中標津町の会社であり、売れ残った本を引き取ったのだという。ことわっておくが、商業出版の本である。自費出版ではない。
 
帯に曰く
 私にはいい「出逢い」がいっぱいあった。そして、いろいろの別れがあった。「出逢い」は、虹のような七色に輝いたあと、だれの心にもいい余韻を残して消えていく…。
 この数え切れない「出逢い」の中から、とくに印象の深い人たちとの思い出やエピソードを書き綴ってみた。
 

 わたしも囲碁を通じていくつかの出会いがあった。この本を頂いたことも「いい出会い」のひとつ。その前に彼女の話を聞けたのが「いい出会い」であった。
「出逢い」と書かれると双方が事前に約束していたようだが、この本では「出会い」の意味だ。

 赤いグラスという歌、とっさに判らなかったが、検索して聞いてみた。
   ♪♪いまーもーなをーー
 で思い出した。もともと歌詞を知らなかったが、このフレーズだけは、今もなを覚えている。

 唇寄せれば なぜかしびれる
 赤いグラスよ
 愛しながら別れて 今もなを
 遠くいとしむ あの人の
 涙 涙 涙

 最後の「涙 涙 涙」は「ああ涙」であったのを変えた、という。

 この「赤いグラス」は後に銀座のスナック「赤いグラス」に使ったり、本書の書名に入ったりしている。
 スナック赤いグラスは牧野さんのピアノ伴奏で歌が歌えるという、珍しいところ。もちろん今はない。
 ここに加藤正夫九段が来て、間もなく宇宙流の武宮正樹九段を連れて来た。それがきっかけで牧野家は囲碁一家になっている。千寿会の小林千寿さんも何度も足を運んだので親しくなっている。それが縁でわたしは千寿会で彼女に「出逢う」ことになったのだ。
 彼女は歌手として何曲かレコードを出している。その歌を聴いてみたいが、わたしはカラオケが苦手。いまもなを歌を歌えない。涙 涙 涙。
posted by たくせん(謫仙) at 07:05| Comment(4) | TrackBack(0) | 囲碁雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月19日

木下暢暁さん決勝で敗れる

 いま、日本棋院ネット対局「幽玄の間」に行ったら、木下暢暁(きのしたながとき)さんが2局に出ていた。

 世界アマ日本代表決定戦決勝で、中園清三さんに敗れている。残念。
 もう一局は準決勝で諸留康博さんに勝って決勝に進出した。
 桁違いに強いことは知っていたが、こうしてアマのトップを争うと強さを実感する。

11.9.19.1.jpg 11.9.19.2.jpg 

11.9.19.3.jpg
 180手で投了したが、盤面でも勝てないようだ。

 わたしは木下さんに一局教えて貰ったことがある。ヒカルの碁を読んだ人は判ると思うが指導碁である。本来なら井目(九子)であるが、指導碁なので三子局。
 途中でわたしの大石が死んでしまった。そこで投了しようとしたら、木下さんは手を抜いてアサッテの方に打つ。わたしは大石を活きて続けて打った。
 終局後に訊いてみたら、「ここはこうしてこうして……」と20手以上並べ、「それで活きています。ここに石があると死んでしまいます」と、わたしには手を抜いたように見えた手を指して言う。
 こんなふうに相手が読めないと判っていても、きちんと読んで対応する。これが木下さんの強さなのだ。
 この時は若い女性を相手に三面打ちをしていた。局後は3様に並べて説明する。これだけでもわたしには神業。
 第39回(1999)朝日アマ十傑戦では冠を戴いている。
posted by たくせん(謫仙) at 13:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 囲碁雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月24日

天頂の囲碁2

 囲碁ソフト「天頂の囲碁2」を買った。
 囲碁ソフトも「かなり強くなった、不自然な手が少なくなった」と評判なので、欲しくなったのだ。
 さっそくインストール、これはあっという間であった。本当にインストールできたのが疑ったほど。
 さっそく第一局、長考モードの設定で対局。これがなんと、パソコンが3時間近く考えることになった。待ちきれずお茶を淹れたりする。わたしの方は30分ほど。それはともかく強い。
 二局目以降は思考時間を一手30秒以内に制限して対局。これでも1時間以上かかって終局。
 なかなか勝てない。三連敗したときは、その後に井目置いて圧勝し、佳奈ちゃん(万波佳奈)に「負けました」と言わせて終わりにする(^_^)。

 天頂の囲碁(てんちょうのいご)という。このネーミングにわたしにはちょっと不満。「天頂の碁」にできなかったものか。囲碁というのは特殊な言い方で、普通は「碁を打つ」と言うのだ。「囲碁を打つ」とか「囲碁をする」とは言わない。しかし「囲碁クラブ」と言って、あまり「碁クラブ」とは言わないので、「囲」の字が必要な場合もある。「囲碁ソフトで碁を打つ」ということになる。
 この場合は「天頂の碁」の方がよいと思う。
 2009年9月に毎日コミュニケーションズから「天頂の囲碁」が発売され、2010年8月に「天頂の囲碁2」になった。Windows用らしい。マックでは使えないのかな。
 思考エンジン「Zen」はモンテカルロ法を採用というが、自分で理解できないことの説明はしない。棋譜読み上げなどの声は棋士の万波姉妹。
 棋風は中央志向、まず第一着は星がほとんど。「地合い予測」なる機能がある。天頂の囲碁2の考え方の参考になるかも知れない。
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 攻めは厳しい。死活の読みなどは特に強い。ちょっと欲張ったり、手抜きしたりすると大石を殺されてしまうことが多く、投了することになる。
 棋力三〜四段と言われている。
 対局以外の機能はほとんどない。形に於ける死活の確認なども欲しいところ。
 それから、第一着を白から見て右上に打つ事が多い。白から見て左下、黒から見て右上に限定して欲しい。意味はないが、マナーの問題。マナーを気にしているから日本の棋士は弱いという説もあるとはいえ。
posted by たくせん(謫仙) at 08:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 囲碁雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月27日

棋士による東日本大震災チャリティー碁会

4月6日追記
アミーゴの発表によれば、
参加人数 180名
いただいた義援金は 624,223円
という。
   …………………………
3月27日記
 3月26日(土)12時〜17時
【棋士による東日本大震災チャリティー碁会】が行われた。
 場所は、新橋駅から近い航空会館5階。呼びかけはアミーゴのブログであった。
 
 一週間ほど前に計画して、各棋士に呼びかけ、4日前に決定して会場を確保した。
 参考: 棋士による東日本大震災チャリティー碁会
 参加棋士は山下道吾本因坊を筆頭に棋士15名である。
 山下道吾本因坊(34)、河野臨九段(30)、水間俊文七段(38)、松本武久七段(30)、張豊猷七段(29)、望月研一七段(27)、三谷哲也七段(25)、大橋拓文五段(26)、王唯任四段(33)、安藤和繁四段(27)、万波佳奈四段(27)、中島美絵子二段(32)、万波奈穂二段(25)、奥田あや二段(22)、長島梢恵初段 (26)。
 ついこの間までテレビの囲碁番組の時計係などを務められていた水間七段が最年長という若さ。
 このほか、日本棋院常務理事の信田成仁六段、棋士会長の小川誠子六段、インストラクターの稲葉禄子さん、囲碁将棋チャンネルでトーク番組を司会される佐野眞氏らも特別参加された。
 アミーゴ代表幹事の梅沢由香里五段(本名の「吉原」姓に変わるらしい)は3月中旬に長男を出産されたばかりで欠場された。
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posted by たくせん(謫仙) at 20:50| Comment(2) | TrackBack(0) | 囲碁雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月19日

時間切れ負け制の終局問題 

11年3月19日追記

11年1月4日 記
 わたしは時間切れ負け制の終局ついて、二つの疑問があった。時間が切迫しているとき。
1、時計を止めるのはいつか。
 相手が終局に同意しないときはどうするか。
2、大石を取りあげなればならないときどうするか。
 ローカルな大会では、いつも「石を取りあげてから時計を押してください」と注意されていたのだ。大石を取りあげているうちの時間切れ、を心配してしまう。

 先のアジア大会で、時間切れを狙う組があった。
アジア大会で時間切れを狙うプロ棋士がいた 参照
 審判の裁定で反則負けになったが、その裁定の根拠は「成文化したルール」であったという。棋士も納得した(本当かな)そうだが、どのような文だったのか知りたい。
 この問題は、時間切れ負け制では必然ではないかと思えるのだ。わたしは「幽玄の間」でその棋譜を見ることができたが、肝腎の部分はなかった。
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posted by たくせん(謫仙) at 08:08| Comment(2) | TrackBack(0) | 囲碁雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月17日

稽古総見 

横綱審議委員会−稽古総見 に行きませんか。
   12月23日(木・祝日)
   8時半 両国駅前に集合
 先日、日本棋院の一室で、横審委員長の鶴田さんと手談を交わす機会があった。
 わたしの白で碁は必敗の形勢であった。白の大石が二つに切られそうになった。スミに入ってきた黒石を取れば、辺の白の大石が取られる。白が繋いで活きれば、スミの黒石が活きてしまう。いずれにしても負けであった。わたしは活かすほうを選んだ。
 ところが鶴田さんはさらにいい手を思いついたのだ。スミを活きず、別なところに打った。その攻防に読み間違いがあり、黒は数目持ち込みになってしまった。しかも活きるはずだったスミの黒も死んで、細かいながら白が勝ってしまった。とても勝った気がしない一勝だった。
 そのあと忘年会になり、その席で「稽古総見に来ませんか」とおっしゃる。
 今までは、相撲教習所で行っていたが、「せっかくだから国技館でやり、一般に公開しませんか」と提案したところ採用になり、今年からは国技館で稽古総見することになった。
 それでのお誘いである。(夏場所前の総見は公開されていた)
 12月23日の祝日。朝早くからやっているが、下の力士からなので適当な時間に…となり、一同は当日の朝、8時半に両国駅前に集合して見に行くことになった。だいたい11時ころに終わる。委員長は仕事なので当然別に行く。
 両国の駅は改札口が二つある。秋葉原よりの改札口だ。国技館は目の前にある。
 平服でいいし、女性も歓迎だ。
 稽古総見は、横綱審議委員会委員が本場所前の力士の仕上り具合を見る会。
 おっと、言い忘れるところだった。無料です。
posted by たくせん(謫仙) at 15:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 囲碁雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月22日

アジア大会で時間切れを狙うプロ棋士がいた

11月23日に訂正追記しました。
12月18日 再追記 

 今年の9月27日に書いた記事、 2010ファンフェスタin箱根 の後半で終局問題を提起した。
 時間切れ負け制のときの終局のあり方を訊いたのだった。
 碁は紳士のゲームといっても、そうでない人がいたときどうするか、と言う意味でもある。

   …………………………
 まさかのことにプロ棋士にこのような人がいた。
 アジア大会で碁が採用されたが、この中での異様な光景。ペア戦の中国対韓国で、韓国ペア(朴廷桓八段、李瑟娥初段)が時間切れを狙って無意味な着手をする。十数手以上にわたり無意味な着手が続いたため、審判団が協議。規定により、韓国の反則負けとした。

 毎日新聞のもと記事:http://mainichi.jp/enta/sports/general/asiangames/taiganagarete/news/20101121ddm035050067000c.html
 その規定とはどのようになっているのか興味があるが、ともかく、規定があることが判った。
 世界を代表するような棋士が、トップレベルの大会でそんなことをする。箱根の大会のようなアマの大会では当然起こりえる問題だ。大会の独自規定としても、規定が必要になるのでないか。

 仏教では「人を殺してはいけない」という戒律がない。あまりに当然すぎて、そんなことを戒律にしたら、馬鹿にされてしまう。
 日本の棋士の中には、このような問題に規定を作ったら馬鹿にされてしまう、と考える人がいるかも知れない。
 だが、この問題は昔からあった。やはり万一のため規定は必要と思う。
 この棋譜を見てみたが、わたしのヨミの力では無駄な手とはとても言いきれない。投げ場を求めたと言えなくもない。みた瞬時に無駄な手と判るには相当の棋力が必要。プロなら一瞬で見えるのであろうか。責めきれない気もする。10.11.22-1.jpg

白▲を打ったところ、ここは小さい。上辺の白が活きる(黒5子を殺せる)ならそちらを先にすべきだろう。上辺は黒が先手になり、続きは下図のようになった。

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もし、白▲を打たず白4−一にはねたら、上辺は白が勝っていると思える。それならまだ碁はなんとも言えないだろう。それでは白は足りないのかな。

   ……………………………………………………
追記:ここまでは公式記録で、時間切れ狙いの進行はこの後であった。
ここで残り時間は黒番中国1分、白番韓国4分。切れ負け制の碁で、残り一分にしてしまったのは判断ミス。
裁定の根拠が、「文書化したルール」であったのが救い。ただこの「文書化したルール」がどのような文であったか。その打たれた手はどのような手であったか。
それを観戦者に納得できるように提示して欲しいものだ。

日本のルールでは両者が終局(正しくは停止)に合意するまで続く。その後終局の確認をして、場合によっては再開する。
これだけダメが空いている図では、当然コウなどで時間切れ狙いがありうる。アマの大会ではそれが常識ではないか。わたしのまわりの人たちは、ほとんどの人がその場合備えて、時間を残すようにしていると言う。
実際は自分の地中に打ったという。そうしなくても、小さいヨセがあちこちにある。それでは時間がたいして使えないとして、細かいヨセを残したまま、地中に打ったのか。

   …………………………
わたしの体験談
相手が打つ・こちらはパス。両方がパスしたら停止して、終局を確認する。しかし、相手が打てば、停止にはならない。
相手が打つ・パス・相手が打つ・パス・相手が打つ・パス。
バスなら1秒で打てよう。わたしはネットで30手連続パスをしたことがある。

   ……………………………………………………
再追記
 先日、日本棋院に行く機会があった。一階には碁のニュースが張られている。その中にアジア大会の話もある。
 なんと先の大会には公式記録がない。誰と誰が対局したか。誰が勝ったか。それだけ。これでは次回の韓国大会で碁が不採用になったのも仕方ない。もちろん韓国なら記録を公開するだろうから、巨大化しすぎたので削ったと見るのが正しいだろう。
 スタートと表彰式しか公開しない競技なんてあるのだろうか。それで中国人は面白いのだろうか。たまたま上の記事の対局は「幽玄の間」で公開したので見ることができた。
 わたし自身は、競技形式の碁には賛成できないので、不採用になってもなんとも思わない。
posted by たくせん(謫仙) at 11:10| Comment(2) | TrackBack(0) | 囲碁雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月10日

21世紀の朝鮮通信使の碁

21世紀の朝鮮通信使の碁
日韓トップ棋士対局 〜囲碁で信(まこと)を通わせ合う〜

 武宮正樹九段ど薫鉉(そうくんげん)九段の対局を見に行った。
2010年10月8日(金)16:00〜20:00
主催  :21世紀の朝鮮通信使実行委員会
     特定非営利活動法人暮らしと耐震協議会
共催  :駐日韓国大使館韓国文化院
大盤解説:大竹英雄名誉碁聖
聞き手 :小川誠子六段と小林千寿五段

 対局のあと、千寿さん司会によるトークショーと、「木谷正道&心の歌バンド」によるコンサート。木谷正道さんはこの会の実行委員長。故木谷實九段の三男である。

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 挨拶をする木谷正道さん
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posted by たくせん(謫仙) at 11:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 囲碁雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月27日

2010ファンフェスタin箱根

 9月24日から26日まで三日間箱根にいた。二回目になる「2010ファンフェスタin箱根」に参加した。この会は「ふれあい囲碁大会」の続きとして計画されたもの。
 参加者は130名ほど。
 指導プロ棋士は孔令文六段・倉橋正行九段・下島陽平七段・瀬戸大樹七段・万波佳奈四段・謝依旻五段。
 瀬戸大樹七段は好調で本因坊リーグ入りが決まった。
 謝依旻(Xie yimin)五段は初参加。ここ数年は女流のトップを走っている。
 万波さんは最近調子を上げており、第4回大和証券杯に優勝している。
閉会の挨拶で、万波さんがにこにこしながら「最近好調の強い人との対局が決まりました」と言えば、続いて謝さんがにこりともせず「(挑戦を)待ってます」と宣言。満場が沸き返った。勝ち上がって挑戦してこいの意味だったか。
 今回はカメラを持っていかなかったのだが、写真を貰うことができた。

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 左 謝依旻さん   右 万波佳奈さん
   
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 謝依旻さんは対局中は碁に集中している。万波佳奈さんは子供相手にきゃーきゃー言ったりしながらの対局。

 さて、私の成績だが、黒星が先行して、一日目は1敗1勝、二日目の午前中も1敗1勝。ところが午後は連勝して、トータル4勝2敗。三日目は手空き。
 優勝者は5勝1敗で、4勝2敗が4人。私は外されて二位三位は他の人がなった(直接対局や年齢で決定)。わたしは優勝者に土を付けたのが評価されたのか、敢闘賞を貰った。

   …………………………
 実は、申込書をFAXするとき、次の文をつけて送った。

質問 時計を止めるタイミングはいつですか。

 こちらが終局を宣言し相手が同意しないとき、つまりこちらがパスしたときに、相手不同意のまま止めてよいか。
 別な見方をすれば、ダメ詰めは、時計を動かしたまますべきか、時計を止めてやってよいのか(相手が終局に同意しなかった場合の話です)。
 もうひとつ、打ったら時計を押すか。取った石を全て取りあげてから時計を押すか。これは劫のときなどに、大石の自殺手を打った場合などの話です。

 これらは終局はいつかという質問にも通じます。ダメが空いているときに終局を宣言し、相手が同意しないときは、終局ではないと考えるべきか。
 前回実戦で、終局に同意しない相手がダメを打つ、こちらはパスをする、を五回ほど繰り返したあげく、相手に「パスはルール違反だ」と言われました。倉橋さんが裁定しましたが、こんなとき時計はどうすべきか。もちろん終局に同意してくれれば、ダメ詰めをします。


 開会式の時に司会者が、「終局の質問なども来ていますが、疑問に思ったことは先生に訊いてください。きちんと説明しますから」と言っていた。
 それから、一局目を終わって、孔令文さんに指導碁を打って貰うとき、孔さんが「時間を見つけて質問の終局問題を説明しましょう」と言ってくれたが、そのままになってしまった。
 こうした判り切っていることを、はっきりルール化するのは、どうもやりにくいようだ。これは紳士のゲームといっても、そうでない人がいたときどうするか、と言う意味でもある。
 この場ではないが、多くの人は「一生に何度もあることではないので、運が悪かったと思って、終わりにする」。わたしはそれができず、それならそれで張り合ってしまうのだ。
posted by たくせん(謫仙) at 11:43| Comment(2) | TrackBack(0) | 囲碁雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする