2008年02月15日

山下敬吾王座就位式

 12日は帝国ホテルで山下王座の就位式を見てきた。
 王座戦は持ち時間三時間で、国際棋戦に合わせた持ち時間になっている。日程も一日おいてすぐに打ったりして、国際棋戦に近い。山下さんは完全に復調したようだ。
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2008年01月05日

ヨセが強い人は碁も強いか

 ヨセに強い人は碁も強い。よく聞く言葉だし、間違いとは言いにくいのだが、よく考えると少しずれを感じる。
 プロはともかくアマの場合、強いといってもたかが知れている。
 初段のころでは、ヨセだけ見ると三段ぐらいに思える人がいる。そうヨセに強い人だ。
 もし布石や中盤の戦いが、ヨセにふさわしく強ければ、三段になっているはず。それがなっていない。なぜかと言えば、どこか弱いところがあって、平均して初段なのだ。
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2007年06月26日

封じ手予想に当選

 日本棋院ホームページに「幽玄の間」というインターネット囲碁がある。
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2007年06月21日

第11回ふれあい囲碁大会

 遅くなりましたが、第11回ふれあい囲碁大会の報告です。
 掲示板に書いたのですが、やはりここにも書いて記録に残しておこうかと。
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2007年06月06日

手筋一閃


kenshouuchi1.jpg 
 前に紹介した「懸賞打ち」での旗謙介と鮫島の対局である。
 白が謙介、黒が鮫島。
 盤の右側だけしか出ていないが、10目近く黒がリードしているという。
 今黒が右下▲と出たところ。これでワタリと読んだ。
 これを見た瞬間、謙介の頬が紅潮した。そして逆転の手筋を放ったのだ。プロの修業をした人は一瞬で読むという。
 わたしの棋力ではとても読めないが、これを実戦でも正しく読める人はどれくらいの棋力の持ち主だろうか。問題として提出されれば、アマでも高段者なら読めそうな気がする。

碁盤を表示する。
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2007年05月28日

手談を交わす

 手談とは碁のこと。だから碁を打つことを手談を交わすという。
 昨日27日は明友会の碁会が1時からあり、日本棋院に出かけた。
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2007年03月22日

最短手数

 先日の幽玄の間の対戦である。わたしの対局では最短手数を記録した。
 相手が定石を間違えたのだ。幽玄の間では20手以内は公式記録にはならない。これは21手で終局。公式の最短である。
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2007年03月05日

杉の宿合宿

06.9.2記
   
 報告が遅くなったが、9月の17・18日は湯河原の杉の宿でいつもの如く囲碁合宿。
 8月8日に紹介したAさんも参加してくれた。
 碁を覚えてまだ数年のB君がまた成長していた。前回は二子を置かせて打ち分けていたのに、今回はわたしの白で、おさえられない。もうわたしより上かも知れない。
いつもは絶対に勝てないC・D・Eには二子局ながら一局ずつ勝てて満足(^。^))。名前を出すと今度の千寿会でいじめられるので大奥○秘。
 この三人はAさんと同格だが、わたしはAさんには三子で歯が立たなかった。「基本がしっかりできていないから…」。そうなんだよな、わたしは誰かの型を覚えているわけではない。わたしの碁は、かたなしなんだ。

 そのあと、わたしが5目も置かせている級位者に、Aさんが教えているのをそばで見ていたが、
 星から桂馬に開いているときは、こう打ちなさい。
 大桂馬に開いているときは、こう。
と、盤上に一例を示し、そのあとの数手も打って、基本的な型を示していた。
 わたしは見ていて、「なるほど、なるほど」。わたしはそんなことも知らなかったんだな。
 わたしはよく5子・6子置かせている相手から教わることがある。相手は教えているとは微塵も思っていないだろうが、わたしの思いつかない打ち方をされたときが、わたしが黙って教わる時だ。
 本格的に教わっている人には、たとえ6子置かせても侮れない。

 この時は台風が日本海を通り、湯河原でも大雨がふっていた。風がないときの雨は心を落ち着かせる。わたしたちは安全な部屋の中で囲碁三昧。

 湯河原の温泉宿では廃業した人が多いとか。帰りのタクシーの運転手(女性)の話だ。
 温泉宿は一般に高いし、ひとりでは泊めてくれないしで、わたしは使用しない(できない)。もしかするとこのイメージは古いかも知れないが、バブルの夢を追いかけていては廃業も無理はない。
 杉の宿は温泉ではない。にもかかわらず続けていられるのは、碁や将棋のお客が中心という、新しい営業形態を習得したからだろう。他の旅館にこのような吸引力はないだろうな。続きを読む
posted by たくせん(謫仙) at 13:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 囲碁雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

試合にはルールがある

06.8.06記
   
 先日、ボクシングで亀田が勝って、世界チャンピオンになった。
 わたしが結果を知ったのは次の日の新聞である。初回にダウンを奪われ散々なできだったらしい。それでも勝った。
 それに対して放送局などに非難の嵐が来たという。「負けである」「八百長では」などという意見だ。これだけで負けと思う人の方が多いとはいえない。勝ったと思っている人は黙っているからだ。
 それらの記事を読んで思った。これは「ルールのある試合」であることを忘れちゃいませんか。
 ボクシングは採点制である。ダウンは2点、優勢は1点。これを10や12ラウンドなど重ねて合計点で競う。途中経過が示されないので、採点の不正も考えられるが、それはともかく、ダウンしてもマイナス2点なのだ。
 昔、ノックアウトを狙うボクサーに「ダウンを奪っても2点、優勢を2回取れば2点、だからKOを狙うな」という指導者がいた。
 ダメージを受けようがダウンしようが点が多ければ勝ち。それがボクシング。

 アマの碁でも似た話があり得る。
 劫になったりして時間が長引く、どう打っても20目程度の負けである。残りは半劫一つになった。まだ多少の時間があるので大石のセキを劫立てにする。
相手がその劫立てを受けると、こちらの100目負けが確定する。
ところが相手が40目の石を取りあげているうちに時間切れになりそう。かといって劫立てを受けなければ、逆転する。
 半劫をネタに時間繋ぎをあちこちで打つ、それさえなくなれば自殺手を連発する。時間切れ狙いである。碁では負けていてもルールによりゲームは勝ち。もちろんわたしはやったことはないし、やられたこともない。
 インターネット碁では、石の取りあげはサーバーがしてくれるし、秒読み制が普通なので、そんなことはできないだろう。
 ネット碁に慣れている人が、時間切れ制、秒読みなしで対戦すると起こりそうな気がする。

 千寿さんが欧州でこどもたちを指導するとき、ネットで育ったこどもたちは、作ることができないという。ネットでは作らず計算してくれる。つまり作るということを知らないのだ。そこで、死に石を取りあげ碁をつくることを教えねばならない(^_^)。
 状況の変化は信じられないような事態を引き起こす。
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秀策

06.7.06記
   
 昨日の「その時歴史は動いた」で本因坊秀策を取りあげていた。
 ヒカルの碁でおなじみの虎次郎である。
 お城碁では空前絶後の19連勝無敗。その偉業の背景や意味を詳しく解説していた。ただし、現在とではシステムが違うことを説明して欲しかった。当時は段によるハンディ戦。黒を持つことの多い秀策は勝ちやすかった。
(10年追記: 昨年鬼籍に入った安倍吉輝九段は、このレベルでコミ無しで白が勝つのは無理と言っていた。
参考:本妙寺−本因坊家の墓 )

 先人の道策は白番であることを思えば、空前という言葉の意味もニュアンスが変わる。
 名高い「耳赤の一手」も名手と解説していた。しかし、坂田さんは、「現代の棋士なら誰でもそこに目がいく」と名手説に疑問を出している。
 なかなかの力作だったと思う。ただ碁を打つ手つきが問題だ。うまい人もいたが、それでもプロの打ち方ではない。特に下手な人は碁石の持ち方を教わったばかりという感じだった。ある人は肘をあげていたが、それもおかしい。ヒカルの碁ではそのように描いているので、それを見て錯覚したのかも知れない。念のためいうと、ヒカルの碁を描いている人は碁を知らない。
 この問題では、前にも小林光一さんが苦情を述べていた。そこの所だけ手だけでも本物らしくして欲しいと。たとえば字を書くシーンなどは、字のうまい人が手の代役をする。同じように碁を打つ手を代役にできないものか。
 今わたしは武侠ドラマ「神G侠侶」を見ているが、武侠ドラマはよく楽器を奏でるシーンがある。流れる音と手の動きがバラバラ。これは仕方ないか。
 全体的には碁を知らない人にもわかりやすく解説していた。白番黒番とかコミとか言わなかったのは、そこを細かく追求しては碁を知らない人には面白くないからだろう。
 なお、お城碁の場面では、将軍の前で二人きりで対局し、大勢の武士が(旗本や大名か)見ていた。実際には碁所を除く、家元三人と跡目と七段以上の棋士がそろって対局し碁所が差配していたはず。判っていてやったと思うが、映像では不自然さが目立つ。
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切り違い一方を伸びるな

06.6.13記
   
 第9回ふれあい囲碁大会の笠井六段の講座から二題取りあげる。
 二題とも、プロの常識であるという。特に切り違い一方を伸びるな、はプロの常識であるにもかかわらず、それを書いた本は存在しない。
    kasai2.jpg
 この場合は1の割り込み、これ以外の手は考えられない。
 これはわたしもよく使う手である。しかし、目的は黒3を1の2路上に打ち、白を分断するためである。それをこうして黒3を打つのは、打ったことがない。高段者諸兄には常識なのであろうか。白は断点が二カ所あり、黒は有力な手である。

    kasai1.jpg
 切り違いは単独で存在することはなく、必ずまわりに配石がある。たとえばこのように切り違う。従来は一方をノビよ、といわれた。そういう例外もあるが、常識はこのように自分の方に引き寄せる。一方をノビるプロはいない。しかし、どの本にも一方をノビよという。
 早い話、黒3がすでにあって、黒1と抱えたとき、白が2と逃げた状態であり初級者でもそんな手は打たない。そう考えてみれば、一方をノビルよりはるかに勝る。
 
 二題ともわたしは目から鱗が落ちた。
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第9回ふれあい囲碁大会

06.6.12記

 6月9〜11日、第9回ふれあい囲碁大会に参加した。
 今回の参加者160名、前回来たプロ棋士は全て来てくれた。
 指導棋士
 小林覚九段・笠井六段・下島陽平七段・瀬戸大樹六段・万波佳奈三段・孔令文五段・倉橋正行九段・武宮陽光五段、インストラクターの伊勢さん・木下さん。

 孔令文五段は昇段したばかり。木下さんは現在NHKの囲碁講座で石田九段の相手役を務めている。
 今回の特筆は明友会のTとKの二人であろう。ともに新たに三段と二段で登録したばかり。それがともに全勝優勝。あっぱれである。二人ともよく読む。手拍子でうっかり打ってしまったということがない。実力は紙一重、そのうっかりが敗着になる。
 わたしはそのうっかりで二敗、相手のうっかりで一勝。成績は三勝三敗に一不戦勝。
 特に酷かったのが二局目。かなりリードしていると思っていたが、二カ所の大石が危ない状態、それに気がつかず、更に別なところを深入りしたのだから、我ながらおめでたい。その十数目が持ち込みになりそうになり、あわてて凌いだが、そのための数手で、二カ所の大石が切れてしまった。そうなってはじめて気がつくとは。片方はなんとかイキを見つけたが、ついに一カ所が頓死してしまった。
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画壇碁会

06.5.18記
   
 4月23日は新宿天元で画壇囲碁会。
 わたしは画家でもなんでもないが、濱野さんに誘われて、参加した。
 もう鬼籍に入ったが、好きな作家の江崎誠致さんは、文壇碁では碁と筆で活躍している。
 わたしは江崎さんの筆で、そのような世界があることを知ったのだった。その中に「濱野は小林千寿三段の指導で腕を上げている…」なんていう文もある。
 江崎さんには賭碁を書いた本「目碁の館」がある。館(碁のできる酒場)の女主人はロシアの亡命貴族の子孫だそうで、その貴族の名は「イヤン・カケノビッチ・メゴスキー」
 それはともかく、濱野さんはその文壇碁で活躍し、文壇名人を2回獲得している。家には盤石が二組そろっているそうだ。文壇碁会はなくなってしまったが、本職の画壇の碁会があった。ここももちろん強弱入り乱れる。
 点数では下は100から上は300を越える人まで。ちなみにわたしは235前後である。
 わたしはコミをもらう碁からいきなり6子をを置く碁など。
 過去2回は打ち分けたが、今回は4勝1敗で賞を頂いた。その後番外を2局打ったが、両方負けた。5子局と6子局。
 強い人はとてつもなく強い。それでもアマのトップレベルには隔たりがある。更にその上にプロ。
 二次会も参加しました。
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悔いの残る碁

06.1.23記
   
 おとといは明友会の碁会があった。もちろん雪が降ろうが槍が降ろうが出席します(^_^)。
 指導碁には二種ある。黒の置き石を少なくさせて黒に合わせて打つのと、実力相応に置かせて勝負碁として打つのと。わたしは後者のほうがいいと思うが、普通は前者のやり方で打つ。
 さて、ある一局、わたしが白、相手黒は井目を置いた。これは勝負碁である。黒はなかなかに鋭い。数十手打ったころ、こちら白は小さく後手活きの形。しかし死んで打つことにして他へ手を転じた。このあたりまで黒は井目の力ではない。つまりこちらが押されっぱなしであった。五子くらいではないか。
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2007年03月04日

第8回ふれあい囲碁大会

05.12.1記
    
 11月25日から27日まで、箱根の第8回ふれあい囲碁大会に参加しました。参加者は前回から更に増えて150人。今まで300人が参加しているが、一度だけしか来なかった人は72名という。残りの約230名はリピーターということだ。公式広告はしておらず、参加者の口コミだけでこれだけ広がったのも珍しい。しかも主催者は碁を知らず、当初は飲酒まで許した。もちろん現在は禁酒禁煙である。
 大会は7回戦制に変更されたが、都合上一部は8回戦となったクラスもある。今回、小林覚先生は土曜日に名古屋で、NEC杯準々決勝を張栩(ちょうう)名人と戦うため、金曜日は欠席、土曜の夜の宴会の時に登場した。名人戦は3勝4敗で敗れたが、それに続く今回は勝ちましたと報告。みんな一斉に拍手して大喜びしたものである。
 宴会後、若手棋士を聞き役にして、自ら名人戦7局目を解説。内容はわたしには理解不能なので省くが、そんな風に考えるのかとびっくり。奥が深い。
 ある場面で、「ここはこう打てば数目の勝ちが確定したが、更にいい手を思いついて、それを打ってしまった。それが敗着になった。後は真っ白」
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第10回 湘南ひらつか囲碁まつり

05.10.9記
   
 平塚は(囲碁ファンには)言わずと知れた木谷道場のあったところ。一時、木谷実さんの弟子たちが囲碁界を席巻し、相撲番付で言うなら、幕内の過半数を占め、取り組みができないような状態(碁は同門でも対局する)が長く続いた。特に三役は独占状態であった。例外は林海峰さんと秀行さんくらいだったか。そのこともあって、市をあげての囲碁まつりである。もちろん木谷門下会が後援。
 雨模様の中、わたしたちが会場に着いたときは、12時21分ころ。やけに細かいことを言うが、中心になる1000面打ちの申し込みが12時20分で締め切り。わたしと濱野先生は参加できなかったのだ。他の人は事前に申し込んだり、早く来たので打てた。しからば囲碁講座を聴こうとしたら雨で中止。わー、見学しかないではないか(涙)。
 会場に棋士72名(?)が入場した。先頭は高尾紳路(たかおしんじ)本因坊。
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本妙寺−本因坊家の墓

 アベチャンこと、安倍吉輝九段が巣鴨の本妙寺を案内してくださるという。一緒に行きませんかという誘いに、二つ返事で「行きます、行きます」
 本妙寺は法華宗で、徳栄山総持院本妙寺という。本因坊家の菩提寺で、碁を愛する人には聖地のようなところ。
     06.jpg
        右から二人目が安倍吉輝九段
 巣鴨の駅に3時半集合。集まった人はわたし(謫仙)・亜Qさん・スイスのD君・千寿会のCさん。
 安倍先生はお子さんがスイスに行ったおり、現地の方にお世話になったとかで、D君のために特別時間を割いてくれたのであった。挨拶してすぐに歩き始めたのであるが、初対面のわたしは、会話の初めにぶしつけながら、
「いかにももっともらしい話ですが、北海道の牧場で…」
言い終わらないうちに、「本当の話です」
 ウワー (^_^)。
 ある時、北海道の牧場で馬を見ていた安倍さんが言った。
「馬はかわいそうだなあ」
「どうして?」
「馬は碁を打てないじゃないか」
 この話を読んで、いっぺんに安倍さんに親しみを感じたのである。その安倍さんがご案内して下さるというので、喜んでお供したのであった。
 巣鴨からとげぬき地蔵の方へ十分ほど。豊島区中央卸売市場に沿って歩くと山門には大きな字で「徳栄山」、目立たない小さな字で「本妙寺」。「徳栄」とは、徳川氏が栄えるの意味である。この寺はいわゆる観光寺院ではない。山門を入って正面に本堂があるが、その手前で右に折れる。墓所である。その中に本因坊家の墓があった。
     09.jpg
 本因坊家は三世の道悦までは没後京都の寂光寺に葬ったが、四世の道策から二十一世の秀哉までの歴代本因坊はここに葬られている。本因坊秀哉の墓を中心にして、道策・道知・跡目道的・察元・元丈・丈和・跡目秀策などなど。小岸荘二も眠っている。各墓にそれぞれ白と黒の碁石が置かれていた。
 秀和の墓の前では、
「コミのない時代に、(井上)幻庵因碩は白番で本因坊家の若き秀才を抑えようとした。無理ですよ」
 十九歳の秀和は、跡目とはいえ、すでに師を凌いでいたという。低段ならともかく、半目を争うトップレベルである。コミなし白番で勝つことは難しい。(秀和の黒番四目勝ち)
「古典の碁もいろいろ調べますが、秀栄など好きですね」(秀栄は明治時代の強豪で、プロの評価は高い)
 こんな話をひとしきりして、その他の墓も見る。
 明暦の大火の供養塔がある。明暦の大火(1657)、俗に言う振袖火事である。わたしなど天和2年(1682)の八百屋お七の話と混同してしまう。そちらは、
  ♪♪ お寺さんは駒込の吉祥寺
と、からくりに唄われた八百屋お七が、火付け犯人といわれたが、その原因には諸説ある。芝居のお七はもちろん後の作り話である。明暦の大火は、本妙寺の失火が原因といわれる。死者は十万人を越えた。だが、本来なら追放されるところ、お咎めなく、それどころか優遇されている。その当時のお隣、老中阿部家からは、なんと大正12年の関東大震災まで、供養料が奉納されていた。(供養しているのは回向院であるのに)ここからいろいろ推測されるようだが、ここでは省く。
 その他は、
北町奉行  遠山金四郎景元
将棋の棋聖 実力十三段と称された 天野宗歩
幕末の剣聖 千葉周作
など。
 本堂にお参りして、隣の墓所へ。ここに富永一朗の墓がある(寿陵)。
 漫歩院富楽一夢大居士
     俗名富永一朗
 奥様も並んで刻まれているが、こちらは没年入りです。
 帰路は裏道を通ったが、墓所が並んでいて、一本道といえど迷いそう。巣鴨の駅の近くで、ちょっと一杯。安倍先生はこれから別なところに用事で回られるため、わずかの時間で、先に出られた。
 その時D君に、
「22日の木曜日に○○へ来なさい」
 亜QさんとD君は行くつもりのようだった。わたしはびっくりして言った。
「22日は湯河原ですよ」
 残念だが事情を話して、今回は見送りにさせて頂いた。D君は、もちろん日本の歴史には詳しくないが、わたしもけっこう疎いなあと、明暦の大火を調べての実感。

10年:安倍先生は09年に鬼籍に入りました。
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第7回ふれあい囲碁大会

  05.6.10記
       
 今回も、箱根の山上で行われた囲碁大会に参加しました。
 今回は先生方の写真を載せることにしました。
開会の挨拶をするプロ棋士
sannin.jpg
左  下島七段、左手指の大怪我で、厚く包帯を巻いて登場。
真中 瀬戸六段、女性参加者のあこがれの的、20歳だったか。
右  万波三段、テレビでおなじみ、拍手の多さは他を圧倒。
futari.jpg
左  孔四段、奥様は小林九段のお嬢さん。
右  小林九段・その左は笠井六段。
ほかに、写真はないが、
関西の倉橋九段
インストラクターの伊勢さん・木下さん。
 現在、小林覚九段は絶好調で、今年に入ってからの連勝はついに途切れたものの、名人挑戦にもっとも近い所にいる。千寿会の小林千寿先生の末弟。名人になったら、みんなでお祝いしたい。孔令文四段は、日本棋院の級位者の会「ハッピーマンデー」の指導者。今回ハッピーマンデーから多数参加した。好成績の人が多く、次々と表彰台へ。孔令文先生もうれしそうだった。
 個人的な話題だが、令文さんは最近お子さんが誕生した。奥様も赤ちゃんを抱いて登場。男の子なので名前が、孔○□。この○の部分は昔から決まっていて(年代によって違う)、□の部分だけが変わる。もし弟が誕生したら、孔○△という名になる。
 孔子(論語の孔子である)の子孫で孔令?という人がいれば令文さんと同世代、孔○?とあればお子さんと同世代である。なんかすごい(^_^)。
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田中三七一 七段

05.5.29記
    
 田中七段は宇宙流武宮九段の師にあたる方である。
 わたしが初めて見たのは学芸大学駅前(後ろ?)の 碁会所であった。わたしがまだ1級くらいだったか。
 学芸大学駅近くに友人がいて、その友人を訪ねたとき、二人でそこに碁を打ちに行った。友人はようやく碁を覚えたばかり、わたしに井目であった。その後、友人は碁はやめてしまったが、わたしは碁を打つために学芸大学駅まで足をはこんだ。そこの指導員として何度か田中七段か来ていたのだった。
 脇で見ていて、初めてプロの強さというものを実感した。実際にあったかとどうか判らないが、記憶では、わたしなら三手くらい続けて打たなければ生きないような狭いところで、当然のように生きたり、こんなに薄くていいのかと思うような模様を作ったりする。

 その田中七段は院生師範をしていた。その指導方法は、次のようであったという。
 序盤に趣向を凝らして、考えている院生に、
「何を考えているんだ。早く打て!」
 そのため仕方なく打ち進めると、
「なぜ、そこで考えない!」
 矛盾しているようだが、意味があった。序盤はいつでも研究できる。だか、こうして同じような状況の相手と打つ機会は少ない。打ち進めるうちに、一局の勝敗を決める場面にぶつかる。その時はとことん考えろ。院生時代は、その一局を決める重大場面を、出来るだけ多く体験する必要がある。序盤で時間をとってしまっては、その機会が少なくなる。だから「早く打て」なのだった。
 プロを目指す人とアマのわたしでは、勉強の仕方が違うと思うが、どこか参考になりそう。わたしの場合は、序盤や終盤の細かいところをもっと丁寧に打つ必要があるのだが、それはともかく。
 田中七段は、武宮少年の成長の勝負所に当たってとことん考え、木谷門に入門させた。その手は勝着となり、武宮の大成を見ることになったのだ。
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画壇囲碁会

05.4.28記
    
 画壇囲碁会という会がある。わたしも初めて誘われたのだが、名前だけは知っていた。濱野先生の紹介で、千寿会から3名、明友会から4名が出席。
 4月24日、11時から。
 場所は新宿駅近くの「天元」。
 年4回開かれる。(天元で3回、旅行1回)
 濱野さんをはじめ、その方面で名を知られた人ばかり、近々展覧会を開く予定の方もいる。年配の男性ばかりだ。そこへ弱いとはいえ若い女性が三人入った。大変な盛り上がりようだった(^_^)。
 この碁会所は点数制である。わたしは濱野さんと同点として申告した。3勝2敗だったので、順当であろう。この点に合わせて、かささぎさんと亜Qさんの点数を決めた。
 一番強い人にはわたしが6子おいた。これは強い。かささぎさんもこの人には4子おく。プロ以外でかささぎさんが4子おくのは初めて見た。6段に4子を置かせれば10段ではないか。まさにプロ並み。わたしは勝ったのだが、本当かな。確かに相手が見落としたのだが、本当に見落としたのか。わたしに勝ちを譲るため、見落としたようなフリをしただけではなかろうか。
 近くで二次会を行う。つまり飲み会ですね。二次会では、ある人がプロなみのマジックを披露した。画壇では有名らしいのだが、わたしたちは初めてなのでびっくり。本職は一流で隠し芸でも一流の芸の持ち主でした。   続きを読む
posted by たくせん(謫仙) at 10:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 囲碁雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする