2017年03月28日

金庸小説美人番付

2011.3.04作成
2013.3.20一部訂正
2017.3.28一部訂正

 金庸小説や金庸ドラマの紹介はしばらくなさそうなので、金庸小説美人番付を考えてみた。今の時節、あえて番付にするのは相撲を応援しているから。
 横綱は「李秋水の妹」で、すでに引退。 P8222336-1.jpg
 大理国の王子段誉から「仙女さま」と言われる玉像。李秋水の妹であるが名は不明。写真は大理の「天龍八部影視城」にて。
 これを入力しているとき、パンダ「仙女」が到着したというニュース(^_^)。
 もう一人の横綱は陳円円で、陳阿珂の母、呉三桂の妻となってひっそりと暮らしている。
 左が東、右が西は相撲と同じ。( )内はその小説。

横綱 陳円円(鹿鼎記)、     李秋水の妹(天龍八部)
以下は現役
大関 カスリー(書剣恩仇録)、  王語嫣(天龍八部)
関脇 ティギス(倚天屠龍記)、  李秋水(天龍八部)
小結 陳阿珂(鹿鼎記)、     小昭 (倚天屠龍記) 
前頭 ホチントン(書剣恩仇録)、 任盈盈(秘曲笑傲江湖)
前頭 阿九 (碧血剣)、     黄蓉 (射G英雄伝・神G剣侠)
前頭 儀琳 (秘曲笑傲江湖)、  王夫人(天龍八部)
前頭 小龍女(神G剣侠)、    水笙 (連城訣)
前頭 郭芙 (神G剣侠)、    趙敏 (倚天屠龍記)
前頭 藍鳳凰(秘曲笑傲江湖)、
十両 双児 (鹿鼎記)、     何タ守(何鉄手−碧血剣)
十両 李莫愁(神G剣侠)、    夏青青(碧血剣)
十両 凌霜華(連城訣)、     戚芳 (連城訣)
十両 公孫緑萼(神G剣侠)、   阿紫 (天龍八部)
十両 駱冰 (書剣恩仇録)
    
 前頭以下は一応番付にしたが甲乙付けがたい。
  
 次の四系統が上位を占める。
 李秋水・李秋水の妹・王夫人(李秋水の娘)・王語嫣(王夫人の娘)。
 ティギス(金花婆婆)・小昭(ティギスの娘)。
 カスリー(香香公主)・ホチントン(カスリーの姉)。
 陳円円(呉三桂の妻)・陳阿珂(円円の娘、父は李自成)。
 李秋水の妹は話だけで、実際には登場しない過去の人物。ティギス(金花婆婆)は若くはないが若いときは美しかったという。実は今でも美しいが化粧で醜くしている。
 任盈盈は日月神教では聖姑(せいこ)と言われている。信徒から実際以上に美化されている可能性が高い。
 小昭はティギスの娘で母にそっくり。李秋水は88歳だが、若いときは妹そっくり。
 黄蓉は頭の冴えが語られて、美人という記述はほとんどない。
 王語嫣は、段誉が、洞窟の仙女さまにそっくりで驚いたほど。
 現実的にはカスリーと王語嫣が大関。
 ただし美しいのと魅力的とは一致しない。わたしにとって一番魅力的なのは黄蓉だ。次がホチントンかな。だからこの二人は八百長ぎみ。
 女房にしたい女は……、ダントツで駱冰です。

 この中で碁を知っている者は誰か。小説には碁に関する記述はほとんどない。
 記憶にあるのは倚天屠龍記で郭襄の碁が語られているだけ。参考:倚天屠龍記の碁 郭襄はかわいくて賢いが、美人という記述はない。
 碁のシーンはなくても、碁を打てるかどうか推察してみる。
 黄蓉は碁が強いはず。父の黄薬師(東邪)はプロなみのはずで、娘の郭襄(小東邪)はかなりの腕だ。父から教わり娘に教えたと思われる。
 阿九は皇女なので、碁をたしなんでいるだろう。
 微妙なのが、李秋水・李秋水の妹・王夫人・王語嫣の三代4人。
 無崖子が 珍瓏 を作ったのは紹介した。
 李秋水は十代から70年にわたって無崖子を恋い慕っていたので、打てた可能性が高い。大理で無崖子と生活していて娘もいるほどなので、碁を打っていたと思われるが、碁の場面は思い出にもない。死の瞬間に、無崖子が想っていたのは自分ではなく妹だったと知る。
 王夫人は、両親から教わったと思うが、興味はなさそう。
 王語嫣は武術の生き字引でありながら、武術が嫌いで、まったく習得していない不思議な人物。

     bijinbanduke2.jpg
 劉亦菲(Liu2 yi4 fei1)の王語嫣
 初めて会った人の武術の構えを見ただけで、「何派の誰それ、得意技は◯◯、欠点は●●」と指摘できる。構えを見るとき、一瞬このような鋭い目つきになる。
 その知識は、無崖子が無量山の洞窟に残した武術の書物+江湖の情報による。碁に関する書物もあったのではないかと思われるが、その話はない。だから王語嫣は碁を知ってはいるものの、婚約者が碁に興味がないため、興味がない可能性がある。ただし、結婚した段誉(大理国の皇帝)はかなり碁が強いので、興味をもったであろう。打ってみたら案外強かったりして、「棋仙女さま」と言われたりする可能性もある(^。^)。

   …………………………

 八百長について。わたしは実は八百長そのものはあまり気にしていない。
 例えば野球。一点差で迎えた九回の裏、ツーアウトランナー二三塁、バッター「イチロー」。こんな時、日本の監督はイチローを歩かせて、次のバッターで勝負するだろう。しかし、大リーグの監督はイチローと勝負するらしい。打たれて試合は負ける可能性が高くなる。たてまえは「勝つことを目的とする」ゲームで、イチローと勝負するのは八百長ではないか。
 例えばサッカー。W杯予選リーグで二勝し決勝トーナメント進出を決めた強豪チームは、予選三戦目はメンバーを落とし、選手も七八分の力で戦って引き分けたりする。これも八百長ではないか。
 相撲もこのような八百長ならほとんど問題はない。
 勝ち越した力士がほっとして、翌日の相撲では力が抜けてしまうこともあるだろう。必死の相手に気力負けすることもあるだろう。
 しかし、勝ち星を100万で買っただの50万で売っただのというのは許せない。
 これがこの問題に対するわたしの基本的な考え方だ。
posted by たくせん(謫仙) at 08:10| Comment(2) | TrackBack(0) | 武侠の碁 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月01日

還珠姫の碁

 先に 還珠格格の碁 でドラマの碁の話を紹介したが、当然、原作小説(の翻訳版)「還珠姫」にも碁の話がある。

P200
まだ、囲碁が指せるか…」
 乾隆帝と紫薇は立て続けに四局囲碁を指した。
 と、台詞と地の文の両方で「碁を指す」といっている。碁は打つといい、指すとはいわない。
 他でも何回か「碁を指す」が出てくる。ところがP236には乾隆帝が「…また朕と碁を打とう」と、「碁を打つ」が一度だけ出てくるのだ。
 これは訳者が碁を知らずこう訳したのか。それとも原作が使い分けていたのか。
 現代中国語では碁を打つは「下囲棋」、将棋を指すは「下象棋」で、動詞は同じく「下(xia4)」である。他の言い方があるのだろうか。わたしの初級程度の語力ではお手上げ。

 その碁であるが、最初の一局は乾隆帝が勝ったが、わずか半目差の辛勝だった。
 一局目、半目(はんもく)。二局目、1目半(いちもくはん)。三局目、1目。わざと負けるなと言ってから四局目、夏紫薇の1目勝ち。
 ドラマでは、一局目が半子、二局目が一子半でそれ以外は不明。
 ここでは一子を1目で訳していることになる。現在ルールは一子が2目相当。
 さて、当時コミは無かったはず。だから半目はない。そのことから、“半目”の原文は半子で(コメント参照)、1目と訳すか半子のままでもよいとおもう。
   一局目 半子  1目
   二局目 1子半 3目
   三局目 1子  2目
 となる。
 金庸ドラマでは「半」はない。明末の「碧血剣」では、袁承志が木桑道人と碁を打つ話がある。そこではその前に、袁承志が夏青青に『可以贏他三個子』と言う科白(字幕)があって、日本語字幕は『…三目勝てた』となっていた。
hekiketuken-3-2.jpg

 乾隆帝の時代にこのような数え方をしたのだろうか。巷では独特なルールがあったかも知れない。ここでは皇帝と民間のお嬢さんが、何の取り決めもなく碁を打てるような、皇帝が承知している普遍的なルールの話をしている。

 川端康成に「名人」という小説がある。わたしの持っているのは新潮文庫版だ。
 そのP130に、次のような文がある。
小野田六段が、
「五目でございますか」
「ええ五目……。」と、名人はつぶやいて、

とある。この部分を台湾の劉華亭訳では、「五目」と訳している。原文に合わせて五目にしたのか、当時の台湾では五目と数えたのか。
meijin1.jpg

 日本棋院「幽玄の間」では中国サーバーでもダメが空いている時に終局し、3.5目勝ちなどと出ている。中国サーバーでも日本ルールなのかな。それとも日本の「幽玄の間」加入者向けに翻訳しているか。
   …………………………………………
少し事情がわかってきたので、2015年2月8日 一部訂正しました。
詳しくは、中国の碁のルールの変遷 追記 を参照してください。
posted by たくせん(謫仙) at 07:37| Comment(5) | TrackBack(0) | 武侠の碁 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月17日

還珠格格の碁

 格格(ge ge)とはお姫様の意味。満州語である。そのことから判るように清の時代の物語。
 乾隆帝は、庶子である娘を、公にできないので養女として引き取った、という伝説がある。
 還珠格格は、「帰ってきた珠のお姫様」の意味。
 主役の小燕子はヴィッキー・チャオの名で知られた趙薇が演じる。
 1998年から中国と台湾の共同制作で作り始め、大人気となった。韓国ではこの人気に恐れをなし、中国ドラマを禁じたとか。本当かなあ。

 この中に碁の場面がある。
 小燕子が還珠格格となり、夏紫薇(本当は夏紫薇が乾隆帝の娘)と夏紫薇の侍女金鎖を婢として、三人は漱芳斎に住むことになった。
 乾隆帝のところに、漱芳斎では毎日歌曲が流れると注進が入り、乾隆帝は一人で見に行く。そして中に入り、夏紫薇の歌をあらためて聞くことになる。
 乾隆帝は夏紫薇と金鎖の料理に満足し、「紫薇は琴棋書画なんでもできる」と小燕子から聞いていたので、夏紫薇と碁の対局を始める。

huanzhugege2-1.jpg
 横座りで一晩中対局することになる。腰や首が痛くなりそう。一局打ち終わると、金鎖が作って数える。最近では立会人が作るらしいが、当時立会人が作るような習慣があったのか。

huanzhugege2-2.jpg
 乾隆帝の黒番で一局目は乾隆帝の半子(1目)勝ち。信じられないと二局目。
 画面では、はじめに黒の乾隆帝から見て左辺の星あたりに白の夏紫薇が打ち、次に乾隆帝が右辺の星あたりに打った。そして盤面が現れ、石の位置がおかしいが、それはともかく夏紫薇が白4を打つ。してみると黒が先だったのか。

huanzhugege2-3.jpg  
 二局目の布石。始めの4子はともかくとして、そのあと実際にこんなふうに打った例があるのだろうか。それともでたらめ?
 結果は黒一子半(3目)勝ち。結局四局打って、乾隆帝の四連勝。
 夏紫薇は「母から、書は練習すればうまくなるが、碁は天分が必要と言われた」
 しかし、乾隆帝は夏紫薇がわざと負けたことを判っている。
「もう一局、わざと負けるなよ」
 この局は夏紫薇が勝ってしまう。乾隆帝が黒を持つのは良いが、黒先がおかしい。白先になるはず。
 乾隆帝は「ついに朕に勝つ人に会えた」と上機嫌。
 朝になってしまった。朝議に出なければならない。令妃が着替えを持って迎えに来た。

   …………………………

 乾隆帝が小燕子と夏紫薇を伴い出巡に出かける。三ヶ月の予定。乾隆帝はお忍びで旅をしたという伝説がある。水戸黄門のような話だ。ただし宰相や大勢の御前侍衛を連れているので、庶民という形ではない。

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 この旅の途中でも碁を打つ。乾隆帝が黒。盤面ははっきりしない。このままで結果は不明。

huanzhugege2-7.jpg
 夏紫薇は三本の指で摘むように石を持ち、そっと置く。乾隆帝も同じようなもの。

   …………………………

 第二部にも碁の場面が何度かあった。
 小燕子が乾隆帝と碁を打つ。待ったを繰り返す。小燕子はまだ弱い。
 そのあと五阿哥(事実上、小燕子と婚約中。将来の皇帝候補の一人)とケンカして漱芳斎を出て行ってしまう。宮城の門では門番と乱闘して家出だ。
 文字も満足に知らない小燕子に詩を憶えさせようとするのが無理だった。それが辛いと小燕子は宮を出てしまう。もっとも五阿哥にしてみれば、それができないと宮廷では生活しにくいので必死なのだった。これはこの物語の設定。
 小燕子は宮廷を出た足で、碁会所を見つけ碁を打とうとする。全ての対局は賭碁らしい。

huanzhugege2-10.jpg
 席に着くとすでに盤上にはタスキに白黒2子ずつ置いてある。
 小燕子が白を持ってまず一手。ここまでは当時のルール通りである。

huanzhugege2-11.jpg
 向かって、左辺が白黒とも形が不自然だが、全体的には形になっている。左下スミの星には白石があったはず。
 碁会所の老板(主人)と小燕子の対局なので、ここまでくれば、小燕子が下手だと判っているだろう。鴨が葱を背負って飛び込んできたと思ったか。ここで黒番かと思ったら白番だった。石の数が合わない。
 大金をかけて打つが小燕子が勝てるわけがない。熱くなっている間に荷物を盗られてしまう。老板が責任逃れを言うので怒った小燕子は店で大暴れ。なお、盗られた荷物はその碁会所にあった。

 このDVDは横店(http://takusen.seesaa.net/article/164621904.html)で買い求めた物。6枚組20元だったと思う。
 一時間番組、正味45分くらいの長さで第一部が24回、2枚組。第二部は48回で2枚組。第三部は40回で2枚組。ただし第二部・第三部は品質は悪く、日本では商品にはならないだろう。
posted by たくせん(謫仙) at 06:54| Comment(4) | TrackBack(0) | 武侠の碁 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月23日

書剣恩仇録の碁 

09年版(喬振宇版)「書剣恩仇録」の碁
 一部「たくせんの中国世界−09年版 書剣恩仇録1」と重複します。

09shokengo1.jpg 
 乾隆帝と福康安(乾隆帝の庶子)が碁を打っているところ。これを見ると中央志向。
 福康安が得意になっている時に、乾隆帝は、「よく見なさい、お前はここに打ったが…」布石がどうだとか、このスミはお前が入ってくるのを虎視眈々と待っているとか、ひとスミばかりに留まってはいけないとか、兵はこの碁のようなものとか、将は全局を見渡せとか。碁にかこつけて将帥のあるべき立場を説教している。
 福康安は「陛下(皇上)と呼ぶのはやめて師匠(師傅)と呼ぶことにします」と冗談をいう。このシーンは小説にはない。
 ドラマで師傅(shi fu)という言葉は、原作小説では師父(shi fu)だ。発音は同じ(声調も同じで一声・軽声)。
 師傅は、師匠とか技術者などを指す言葉。
 師父は、意味は師傅と同じだが、武侠小説以外にも使うのかな。武侠小説での使い方は、師匠・親方・師匠の下にいる指導者といったところ。
 乾隆帝が白、福康安が黒を持っている。この盤上の様子ではそんな講釈をたれるところまでは進んでいないように思える。ここは乾隆帝が黒を持つべき。それからいつもいうが当時はタスキに置いてからはじめた。
 少ししてまた碁のシーンがあるが、それもかなり中央志向。盤面ははっきりしない。碁を打っているときに、緊急の連絡が入る。その時は碁の話はない。
 前に紹介した02年版(趙文卓版)書剣恩仇録 占か碁か では、乾隆帝が碁の師と打つときは白を持ち、皇后と打つときは黒を持っていた。
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posted by たくせん(謫仙) at 08:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 武侠の碁 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月15日

黄日華版 射G英雄伝の碁(?)

1983年黄日華版 射G英雄伝の碁(?)
 このドラマの話を 中国世界−黄日華版 射G英雄伝 に書いたが、この中に碁らしいものが出てくる。
 小説では碁のシーンはない。張紀中版(李亜鵬版)でもなかった。この黄日華版では、盤石は出てくるのだが、碁とは言っていないようだ。これは碁とは言えそうにないが、では他のゲームかと言えば、五目並べでもなさそう。

shacho83-2.jpg
 包惜弱(楊康の母)が、金の趙王完顔洪烈(ワンヤンこうれつ)に掠われ、王妃として趙王府に住んでいたとき、完顔洪烈と盤石を挟んでいる。
 石の位置が偏っていて、数のバランスから、見えない部分に黒石が多くあるとしか思えない。それでもあり得ない配石だ。検討中か、碁ではない他のゲームか。
   
shacho83-3.jpg
 蒙古のチンギスカンの根拠地で、江南七怪が郭靖に武術を教えているころ、手空きの人が盤石を囲んでいた。そこに郭靖が来た。
 これも石の偏りが見られる。碁に見えないこともない。

shacho83-12.jpg
 これはどの場面だったのだろう。石を置く手つきの不器用なこと。それはともかく、碁ではないが五目並べでもない。碁とは言っていないようなのが救い。

 金庸さんは碁が好きなので、金庸作品に碁が出てきてもおかしくないが、これはなんだろうなあ。
posted by たくせん(謫仙) at 08:58| Comment(4) | TrackBack(0) | 武侠の碁 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月07日

秘曲笑傲江湖の碁

 6月ごろ、インターネット碁「幽玄の間」で、中国の「衢州爛柯杯」という棋戦が中継されていた。今年は第三回。08年から始まったか。
 この衢州爛柯山については前に  笑傲江湖の碁 に書いたことがある。
 その中に碁のシーンが三回あるが、それはドラマでの話。原作小説ではどうかというと、碁のシーンは西湖の梅荘での一回だけだ。内容も少し違う。

 ドラマでは
 向問天は江南四友の興味を引くため、楽譜や棋書などを持参する。
 その棋書に出てくる棋譜は12あると言うが、説明があるのは次の3棋譜。
 ★王質が爛柯山で仙人と会ったときの対局
 ★劉仲甫と仙人の驪山での一局
 ★王積薪のキツネ妖怪との対局

 小説は、秘曲笑傲江湖 第四巻「天魔復活す」のP28〜P29に、
「…
 譬えて言えば、碁を打つときでも、上品な打ち方と言うものは…」
 向問天の言葉に、黒白子は白眼を剥いた。相手の肩を鷲づかみにして、
「あんたも碁をやるのか」
「それがしは大の囲碁好きじゃが、腕が凡庸でのう。そこで全国あまねく旅して、棋譜を探し回った。この三十年来、胸に刻んだ好局なら数知れんわい」
「どのような好局じゃ?」
「例えば、王質が爛柯山で仙人と逢ったときの対局、劉仲甫と仙人の驪山で仙人と相対した一局、王積薪と狐との対局…」
 みなまで言わせず、黒白子はしきりに首を振った。
「そんな神話は信じられるか。どこにそんな棋譜がある?」


 まだ続くが、小説では棋譜を記憶していると言うのであって、棋書を見せるのではない。これが文字の小説と映像のドラマの違いか。
P30には
「本当に劉仲甫と仙人が対局した棋譜を見たことがあるのか? 記述によれば、劉仲甫は当時の国手であったが、驪山のふもとで田舎の婆さんにしたたかに負かされて、その場で数升も血を吐いたと。それでこの棋譜を『嘔血譜』と称したのじゃ。この世に『嘔血譜』なるものが、本当に存在するのか?」

 そこで棋室に行って並べることになる。
じらしたり、意見を聞いたりしながら並べるのだが、それはかなり碁に詳しい人でないと書けない内容。碁好きの金庸老師の面目躍如というところだ。
 まず碁盤の四隅に碁石を置いてから、次々と白石と黒石を並べていった。

 向問天は第六十六手目を置いたのち、しばらく手を休めている。
 この時白石を持っている。

 この物語の時代は明の時代と思われる。そして並べられている碁は宋の時代の碁である。
★タスキに石を置いてから対局を始めた。
★六十七手目は白である。故に白から打ち始めた。
 ということになる。金庸老師が必ずしも史実に忠実というわけではないので、これは参考だが、宋の碁は白から打ち始めた可能性が大きい。
 前に紹介した 倚天屠龍記の碁 でも白から打ち始めている。それは南宋の終わりごろの物語だ。
posted by たくせん(謫仙) at 07:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 武侠の碁 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月07日

天龍八部の珍瓏 の続き

「岡崎由美先生と行く中国の旅」で雲南まで行ってきた。
 主目的は、大理にある「天龍八部影視城」。金庸原作のドラマ天龍八部の撮影所だ。
 ドラマ作成のため、一億元以上かけて撮影所を作ってしまう。そしてそこは観光地となってにぎわう。他にも射G英雄伝では桃花島「射雕英雄伝旅游城」と「桃花塞」。神G侠侶では象山「象山影視城」。
 金庸小説は昔は発行禁止だった。共産党を揶揄しているといわれた。ところが許可されるや一転、中国の看板になってしまった。
 岡崎さんはその金庸小説を訳し紹介した人である。

05.891.jpg
 05年撮影。門の対聯は前に雲松書舎で説明している。
 
 あとで聞いた話だが、門を入ろうとしたとき、ガイドが門の対聯の説明を始めたらしい。岡崎さんが「そんなことはみんな知っています」と遮ったという。時間が惜しい。
 説明なしで対聯の意味が判るオタク的な12名と、岡崎さんと添乗員の団体旅行だった。
 この旅行記は雲南憧憬 に書いている。
 この城に珍瓏を中心とした碁の一画がある。

P8222304.JPG
 ここから右の一画は、碁に関するいろいろがある。と言ってもたいしたことはない。

P8222310.JPG
「大理旅游杯」第一回世界女子プロ棋戦の参加棋士のサインである。この棋戦は一回限り。
小西和子・青木喜久代・祷陽子・万波佳奈・矢代久美子・芮廼偉(ゼイノイ・ゼイダイイ)・謝依旻の名がある。
2006年11月24日

 この石碑の後ろに無崖子の珍瓏棋局図がある。
 前に「天龍八部の珍瓏」という一文を書いたことがある。そこではいろいろ考察したが、一応決定版が判った。

P8222305.JPG
 珍瓏図。糸は切れ図がゆがみ、鉄はさび、あまりにみすぼらしい。
 かなりの打ち手である蘇星河が、30年研究しても解けない。小説では、その珍瓏は、
1.盤上には200以上の石が置かれている。
2.一カ所、20目以上の白石がセキで生きている。それをみずから目をつぶしてセキ崩れで死んでしまう。
3.それが、八方ふさがりの白を救う。


 この図にセキはなく、上の条件を満たしていない。
 この左下は、評判の高い江戸時代の珍瓏に似ている。
 白番である。虚竹(こちく)はでたらめに石を置く。
 見にくいが、少し時間をかければ、多くの棋客が、左下に目がいこう。左下は白番の詰め碁「白先黒死」。手抜きは黒が白を取って活きてしまう。
 虚竹が打ったのは2−十七、一目抜きである。黒は3−十七ウッテガエシ。ここまでは考えるまでもない。判りやすく図にする。

go822305-2.jpg
 この後白が数手を打って終局となる。白は3−十八キリを打って左下の黒を殺したはず。手抜きは黒カケツギで生きてしまう。これだけのことを30年研究して判らないとは。
ドラマの蘇星河の棋力はアマ初段に届かないとみた。

 ドラマでは段誉がここに来たときは次の図であった。

chinlou01.jpg
 7−十七ウチカキが入っている。これでは黒は2−十八カケツギで活きてしまう。7−十七は不要の一手であった。ドラマではここで白番である。黒は7−十七を打たれたとき、どうして活きなかったのか。おそらく、撮影の手違いであろう。
 わたしは、この場面のためにこの珍瓏を作ったことを高く評価している。わたしの知る限りだが、他では碁の図はでたらめばかりだ。
 日本では、「篤姫」の碁の場面を梅沢由香里が監修して、高い評価を得ている。こういうところがでたらめだと、他の場面もでたらめではないかと思ってしまうのだ。
 ただ、せっかくこれだけの珍瓏図を作りながら、ドラマ撮影の扱い方はお粗末。残念だ。

P8222311.JPG
 続いて碁の絵。その前に「珍瓏棋局」の説明。この写真の右には無崖子居。

P8222318.JPG
 無崖子居。ドラマでは妙に生活実感のない家だと思っていた。死んだと思わせ密かに生活していたのだ。家前の碁はドラマとは無関係。さらに右に無崖棋廬が続いている。

P8222326.JPG
 無崖棋廬の中に碁盤があった。碁笥は穴である。使いにくそう。これでも碁笥と言うのかな。
   …………………………

 補足:「天龍八部の珍瓏」に書いた以外に、ドラマの天龍八部ではもう一カ所碁のシーンがある。段皇帝が黄眉和尚に段誉の救出を頼むとき碁を打つ。これは石の持ち方打ち方が自然であり、今回見るまで気がつかなかったほど自然に流れている。黄眉和尚役の俳優は碁を知っている。
posted by たくせん(謫仙) at 08:09| Comment(6) | TrackBack(0) | 武侠の碁 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月28日

ドラマ雪山飛狐の碁(?)

 羊頭狗肉と悪評の高いドラマ「雪山飛狐」だが、この中に碁石と碁盤が出てくる。ただし原作には碁は出てこない。
 初めは田帰農が南蘭に目をつけたころ。

   hikogo-1.jpg
 机から碁盤がはみ出し、盤上には石があり、さらに碁笥も盤上にある。
 どう見ても碁とは思えないし、この形で置いておくのも不可解。琴を弾じるのに邪魔であろうに。
   続きを読む
posted by たくせん(謫仙) at 09:44| Comment(2) | TrackBack(0) | 武侠の碁 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月21日

倚天屠龍記の碁

 神G侠侶(神G剣侠)の続編に倚天屠龍記がある。
 続編といっても、神G侠侶の三年後。冒頭で郭襄が江湖をさすらい少林寺に行き、少年張三豊と出会う。そしてふたりで少林寺を出る。そして一気に年月を飛ばし、太極拳の始祖張三豊の九十歳の誕生日を巡る話になる。張三豊は伝説上の人物で、実在は疑わしい。太極拳はかなり後にできたので、始祖説はもちろん怪しい。

 郭襄が少林寺に行ったとき、崑崙三聖なる人物が少林寺に来るというので少林寺は大騒ぎになる。郭襄がその勝負を見ようともくろみ、少室山(少林寺がある)のまわりをロバに乗ってうろついているとき、山の中で琴の音が聞こえた。その琴の音に小鳥が集まってくる。
 琴を弾じていた男は、琴をやめると、地面に十九路の碁盤を書き、ひとりで碁を打ち出した。この男が崑崙三聖だったのだ。

 碁盤ができあがると、やはり剣先で左上の隅と右下に丸を描き、ついで右上と右下の隅に×印を描いた。すでに碁盤を描いた以上、こんどは布石にかかったらしい。◯は白、×は黒のつもりであろう。続いて左上の隅から三つ目のところに◯を置き、ぞこから二つ下がったところに×を一つ。十九手まで行くと剣を地について首を垂れ、しばし黙考の体である。石を取るか隅を争うか、迷っていると見えた。
(あたしと同じように寂しいのね、誰もいない山で琴を弾き、鳥を友としている。碁を打つ相手もなく、ひとりで打っているんだわ)
 しばらく考えた後、白はそのまま左上の陣地で黒とはげしく戦いはじめた。戦局はめまぐるしく変わり、北から南へと移って、中原の地を争っている。郭襄もしだいに引き込まれ、少しずつ近づいていった。見れば白が最初に一手後れたためか、始終風下に立たされ、九十三手に至って翅鳥(しちょう)に巻き込まれてしまった。白は依然として劣勢にあるのを、何とか支えようとしている。岡目八目というとおり、腕前の平凡な郭襄にも、白が相手に取られないようにしている限り、中原の全滅が免れがたいのは判った。思わず声に出して、
「中原を捨てて、西の陣地を取れば?」
 男はハッとして、盤の西側に大きな空きが残っているのを見た。石を取られる隙に二つばかり布石を置いて、肝心のところを占めてしまえば、中原を捨ててもなお引き分けに持ち込む手が残る。しめたとばかり天を仰いで笑うと、
「いいぞ、いいぞ!」
 言いながら数手打って、やっと人がいるのに気づいたと見える。


「ついで右上と右下の隅に×印を描いた。」の右下は左下の間違いか。
「翅鳥」は初めて見た。普通はカタカナで「シチョウ」と書き、元は「四丁」と説明することが多い。古くは「征」である。
 それにしても、ひとりで碁を打ち、真剣に悩むなどということができるとは。精神構造はどうなっているのだろう(^。^))。それだけでもかなりのレベルであることが判る。それに助言できる郭襄もなかなかのもの。
 これを映画化するとどうなるだろう。

07.3.21go.jpg

 一応判るところはここまでだが、現代の布石感覚からすれば、黒2の手はないだろう。
 またタスキに石を置いてから打ち始めた。故に「右下の黒」は左下の間違いではないかと思うのである。西というのはどちらだろうか。左側から打ち始めたので右側のことかな。となると上が南下が北。天子は南面する。南向きなので、地図も上が南でおかしくない。
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2007年02月27日

笑傲江湖の碁

06.10.18
 金庸の小説に「秘曲笑傲江湖」がある。読んだのはかなり前なので細かい話は忘れてしまったが、2001年に大河ドラマになった。
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天龍八部の珍瓏

06.4.4
 金庸の武侠小説「天龍八部」には碁の場面が2カ所ある。その話は「天龍八部の碁」に書いた。その天龍八部がテレビ映画となって、レンタルビデオで見ることができる。当然碁のシーンは興味がある。

 黄眉和尚と段延慶の対局は画面がはっきりせず、判らなかった。
     Chinro0.jpg
 原作では石の上に内力で線や石を刻むが、ここでは空中に霞み網のような碁盤をつくる。
 もう一カ所、珍瓏のシーンがある。かなりの打ち手、蘇星河が30年研究しても解けない。その珍瓏は
1.盤上には200以上の石が置かれている。
2.一カ所、20目以上の白石がセキで生きている。それをみずから目をつぶしてセキ崩れで死んでしまう。
3.それが、八方ふさがりの白を救う。

 さすがにこの条件を満たす珍瓏は作れなかったとみえて、代わりに写真1があった。
 これは複雑な終盤だ。
     01.jpg
      写真1
 判りにくいので1図に示す。
     go1.jpg
      1図
 蘇星河(聡弁先生)が珍瓏を示し、武林の名手に集まれと宣言。まず、段誉たちが行くと碁盤(断崖)に1の図が示されている。白番である。わたしの棋力では読み切れないが次のようになりそう。
左下は、白キリで黒死。
中央は白先で、イキイキ。
左上は白先でイキ。
右下は白先で劫かセキ。
 段誉が挨拶を済ませ、改めて碁盤を見ると2の図になっている。赤で示した部分が追加されている。
     go2.jpg
      2図
 そこに虚竹(こちく)が来る。
     02.jpg
      写真2
 次に星宿老仙が来て、次に玄難大師が、次に鳩摩智(くまち)が来るまで2の図のまま。
 次に慕容復が来る。挨拶を済ませ碁盤の前に来る。その時は上辺に白石の切りが加わっている(写真3)。それがあれば上辺は白先で黒死だ。ここまでは、まだ誰も何もしていない。
     03.jpg
      写真3
 慕容復が白、鳩摩智が黒を持ちそれぞれ一手を打つが、これがなんと今ある石の上に打つ。それはないぞ。更にもう一手ずつ、これは中央の急所。そこで鳩摩智が左下を指して言う。「右下の白が全滅だ」それが3図。この時は右下に黒石が加わっている。右上は更に手が加わっていた。
     <go3.jpg
      3図

     04.jpg 中国語音声でも右下と言っている。
 四大悪人(段延慶たち)が来る。盤面は2図に戻っている。段延慶が白で蘇星河が黒で2手づつ。それが4図。
     go4.jpg
      4図
 なんと白の2手はダメと地中に打っている。それを並み居る人が「さすがは段氏」と感心しているではないか。この続きを段延慶が打とうとして打てないので、虚竹が打つ。続けてなので前の2手づつはそのままのはずだが、この時は2図に戻ってしまっている。虚竹が打った場所は進行とは異なるが、打ち終わった図は5図である。
     go6.jpg
      5図
 左下がウッテガエシで取られた形であり、図にある赤の┼の部分のウチカキがなく代わりに右上に白石が加わっている。これから虚竹が、数手を打って終局になる。
 これが30年も研究して解けなかった珍瓏であろうか。ああ。
 おそらく何度も撮り直しているうちに、戻し忘れや撮影前後があって気づかず、それをあとで碁を知らない人が編集した、あるいは訂正できなかった結果ではないかと思う。
 結局、原型が判らないが、2図に近いのではなかろうか。
左下を白が一目取り、黒ウッテガエシ、白ウチカキ。そこで手を抜いたのが腑に落ちないが、どこかに打った。その形から右上の一目がないのが1図である。
 小説上では、目を閉じて出鱈目に白石をおいたら、そこが白の目をつぶす手だったという、はなはだ金庸的な解決法(天龍八部−第五巻 草原の王国)。
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占か碁か (一部武侠世界と重複します)

06.3.30
 金庸の小説は武侠小説の雄であるが、恋愛小説としても優れている。惜しむらく日本ではあまり知られていない。
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天龍八部の碁

天龍八部の碁(金庸氏の棋力は? 改題)

2004年10月9日 記
 歌人の馬場あき子さんは、碁の歌を作ったことがある。
それを囲碁誌に発表したとき、「あなたの棋力は何段ですか(棋院などから)」あるいは「ぜひ一局」という問い合わせが多かったそうだ。ところが、本人は碁を打てないらしい。わたしもその数首を読んで、とても知識だけでこの発想は出ないと思ったのだが。
 ある時、テレビ映画で碁を打つ場面があった。盤上いっぱいに白黒の石がある。そこへ緊急事態。盤上を崩して碁石を碁笥に納める。その時の盤面は映されなかったが、手つきは整地された碁を崩す仕草であった。そこで監督や俳優は碁を知らないと推測した。
 さて、本題。
 金庸という稀代のベストセラー作家がいる。金庸の小説はすべて映画化され、何度もリメークされている。この金庸の小説の中に碁を打つところがある。
 「天龍八部」の第2巻、大理国の王子(皇帝の弟の子)段誉が、掠われて閉じこめられる。その扉の外では天下一の大悪人「悪貫満盈」が見張っている。段誉を救うべくおもむいたのが黄眉和尚であった。
「縦横十九道、いくたりの人をか迷わせん。拙僧と一局お手合わせ願えぬか」
  略
 顔中に皺を刻み、眉毛の黄色い老僧が、茶碗ほどの鉄木魚を左手に持ち、黒ずんだ鋼のばちで打ち鳴らしている。南無阿弥陀仏を唱えつつ、ばちで手前の岩をなぞると、石屑が飛び散り、たちまち一条の直線が刻まれた。
  略
 石工が墨壺で引き、鑿で彫りあげたように鮮やかな線を、やすやすと刻みつけるとは、並々ならぬカである。
「金剛指か、みごとだ!」
 くぐもった声音は青袍の怪人、「悪貫満盈」段延慶のものである。右手の鉄杖を突き出し、横線を一本、岩に深く食い入らせた。黄眉和尚の刻んだ線と、寸分の狂いなく交わっている。
「お相手いただけるか、かたじけない!」
 和尚が笑って、ふたたび縦線を引いた。段延慶も負けずに横線を引く。代わる代わるに、内功を凝らし、手元の狂いでおくれを取るまいと、慎重に線を刻んでいった。
 ややあって、縦横十九路の碁盤が完成した。

 対局することになり、まず先手を決めることになる。奇数偶数を当てるのだ。
「拙僧の年は奇数か偶数か」。「それは言い逃れができる」。となって、では、
「七十歳より先、拙僧の足の指は何本か」
 偶数だと段延慶が答えると、和尚は右足の小指を切り落とす。
「拙僧はことし六十九、七十のときには足指は奇数にござる」和尚が笑った。
「たしかに。では先手を打たれよ」
 段延慶は天下一の悪人、小指一本くらいではびくともしないが、相手がわずか一子のために、ここまで手段を選ばぬのを見て、その決意のほどを悟った。もしも負ければ、苛酷な条件を呑まねばなるまい。
 黄眉和尚はばちを取り、碁盤四隅の「星」のうち、対角の二所に、それぞれひとつの円を刻み、白石の代わりとした。段延慶が杖を伸べ、残り二所に、黒石さながらのくぼみをつける。これは「勢子」と称される、囲碁の古い作法であった。先手が白であることも、後世とは相反している。
 ついで和尚が「平」位の六三に置き、段延慶が九三に置く。序盤は迅速に進んだが、和尚は先手の利を保とうと、いささかも気をゆるめない。
 十七、八手置いてからは、一手一手が激しくせめぎ合い、指から内力が流れ出て、長考と運功のため、しだいに着手が鈍っていった。

  略
 二十四手、段延慶が奇襲をかけた。守らねば右下の隅が崩れるが、守れば先手の利は失われる。
 考え込んだ和尚の耳に、突如、石室から声が届いた。
「『去』位を攻めかえせば、先手を守れます」

 その後も、そっと段誉に教えてもらうのだが、
 予想外の一手に、和尚は愕然とした。
(段公子の編みだした策では、七手めで差を二子まで広げられるはずだが、これでは七手めを打つことができぬ。これで終わりか)
 形勢不利と見た段延慶は、「不応の応」の策をとり、べつの陣地を攻めにかかったのである。

 結局、段延慶は内力が乱れて、自分の眼をつぶす手を打ってしまう。
と、まあこんな風に戦うのであるが、付け加えると、
 時代は宋、ところは雲南の大理。
 当時はたすきの星に石を置いてから対局した。また白が先であった。
 平上去入は中国語の発音の四声であるが碁でも使ったのか。盤を四つに分けたその一つ。

 注目したいのは書かれなかったこと。
 当然として書かれないことがあり、それは書かないことで、その人の知識が判る。うっかり書いてしまっては、碁を知らないことをばらすことになる。(テレビ映画の碁石を碁笥に入れる場面のように)
ちょっと思ったが、
もしも負ければ、苛酷な条件を呑まねばなるまい。
 これは天下一の大悪人とは思えない。大悪人なら、負けても約束したわけでもないので、無視してしまうだろう。これは金庸小説の特徴で、善悪の区別がはっきりしない。正義の代表のようなことを言っていて、英雄などと言われている人が、実は一番悪いやつ、なんていうことが多くある。
相手がわずか一子のために、
 先か後かは、確かに一子の差だが、ハンディキャップの数のこと。
七手めで差を二子まで広げられるはずだが、これでは七手めを打つことができぬ。
 一手で二子まで差を広げられる、言葉の意味は通じるが、碁のことを知っていると、こんな手はあり得ないと思う。で、二目の翻訳ミスではないかと思うのだが、原文が判らないので何とも。
    05.10.2追記
 原文が判った。「我已可従一先進而占到両先。」
 王銘琬九段に読んで貰ったが、置石が一から二になるというような意味で、前後の文が判らないと正確な意味は判らない。と言われた。

   …………………………………………
2004年11月3日 追記

 もう一カ所、碁を記述しているところがある。段誉と蘇星河が、盤を挟んでいる。段誉が白だ。それは珍瓏であった。かなりのレベルの蘇星河が三十年来、これを研鑽したが解けないという。そこへいろいろな人が来て加わる。あるいっぱしの名手が、これを解こうとして考えると眼の前が暗くなり、多量の血を吐く。などというのは、この本の設定なので、それはともかく。
@ふつう珍瓏は、十数子から四、五十子、だがこれは二百子あまりもあって、ほとんど終局に近づいている。
A「去」の位の白七九が形の要である(正解ではなかったが)。黒八八、白五六、黒四五、その後20手ほどで、解けないとさとる。
B白は、厚く囲まれた白地に打ち込み、セキを崩してしまい数十目の白を殺してしまった。「みずから駄目を詰め……」(とののしられる)
この自殺に等しい一手が八方ふさがりの白を救う。
その後黒が一手打つ。続いて白「平」位の三九、黒、白「平」位の二八、黒、白「去」位の五六3目抜き、
C打っていくうちに、黒石はどうしても白に取られ、黒に活路が開いていれば、白はそこから逃げてしまう。
「上」の位の七八が決め手となる。

 結果は書いてない。白が生きるのか、黒が死ぬのか、珍形ができるのか。
Bでは目をつぶしたのか、駄目を詰めたのか不明だが、小説なので科白は間違うことがあっても地の文は正しいことが前提である。
Cでは「黒に活路が」は「黒地中に活路が」と思うが、意味不明。
以上の要点は、
1.盤上には200以上の石が置かれている。
2.一カ所、20目以上の白石がセキで生きている。それをみずから目をつぶしてセキ崩れで死んでしまう。
3.それが、八方ふさがりの白を救う。


 この条件を満たす珍瓏が存在する可能性は、有りや否や。もちろん質は問わない。
 わたしは、駄目詰めでセキ崩れとなり、そのあと石の下で取り返すというのを考えたが、目をつぶすならば、黒も目を持っているはずなので、石の下は成り立たない。たとえ石の下が成立しても、「セキで生きていて、なお八方ふさがり」の状態を打開することはなさそう。
 小説上では、目を閉じて出鱈目に白石をおいたら、そこが白の目をつぶす手だったという、はなはだ金庸的な解決法。(天龍八部−第五巻 草原の王国)

 08.3.19 追記
 岡崎由美先生は碁を打てないのであるが、「きくところによれば、金庸さんはプロ並みに強いそうです」と、教えて頂きました。
posted by たくせん(謫仙) at 10:22| Comment(4) | TrackBack(0) | 武侠の碁 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする