1月21日は今年初めての千寿会。
指導棋士は久しぶりに高梨聖健八段。
もちろん千寿先生もいて、iPadの話に花が咲く。
先生のiPadが壊れて交換して貰ったが、データーが消滅してしまった。iPadはデーターを保存できない欠点がある、とか。
先生は先日京都に行って舞妓さんと碁の話をした。その写真をiPadで見せて貰った。手つきが様になっている。
我「このお姐さん、碁を打てるの」
師「いいえ、そこでわたしが石の持ち方などを教えただけで、碁は打てない方ですよ『こうどすかー』なんて言いながら…」
我「いい手つきしているねえ、打てないとは思えない」
師「きっと、このお姐さんは踊りも上手じゃないかと思うの」
我「なるほど。大きな声じゃ言えないけど、◯◯さんよりいい手つきだねえ」
師「大きな声で言っているじゃない」
本人には聞こえなかっただろうな(^_^)。
わたしもガラスの碁石では上手く持てないことが多くなった。千寿会のハマグリと那智黒の碁石なら普通に打つことができる。
高梨聖健八段には指導碁を打っていただく。千寿会では“貴公子”といわれている、なじみの深い棋士だ。去年の12月4日に結婚したばかり。新婦は元関西総本部の井澤秋乃四段。すでに東京の本院に移籍している。
自由対局や指導碁が終わって講義。先日の棋聖戦の解説だった。その前に千寿先生からちょっとした情報。
今年は碁関係の映画が三本も出る。
天地明察 と
碁を打つ女 と 「初到東京/東京に来たばかり」 だったかな、前の二本はわたしの書庫で原作を紹介している。
ぜひ見てみたい。楽しみにしている。
話を戻して、井澤さんは前に箱根でお会いしたことがある。
参考
第11回ふれあい囲碁大会 高梨八段は2009年に阿含・桐山杯で勝ち進み決勝に進出した。相手はトップ棋士の張栩(チョウ・ウ zhang1 xu3)名人。わたしたちは京都まで応援に行ったものである。
参考
阿含・桐山杯 またわたしたちアマの合宿にも来て、指導してくれたこともある。
碁会のあとで新年会を開いた。人数が二十人ちかくで話の輪もいくつかに別れ勝ち。向こうではどんな話をしているのか判らない。わたしは高梨八段と上のような思い出話をした。
あんなアマの指導碁を1日に二十局も打つのにどうして棋譜を憶えられるのか。高段のプロ棋士の頭の中は想像もつかぬ。
「すべて順調に打たれるのは憶えにくい。むしろ大きな間違いをしたとか、その人にしてはハッとするようないい手を打ったとかすると、憶えやすいですよ」
そうこうしているうちに井澤さんが登場。この日はペア碁の棋戦があり、2勝して三回戦に勝ち進んでいた。三回戦で負けてしまったが、その後の打ち上げ会に出るので遅くなるとの連絡が来ていたのだ。そちらは仕事なので優先である。
井澤さんが登場すると話の中心は井澤さんになってしまう。
わたしは、井澤さんがブログに書いていたことを思いだした。
我「『カレーを作ったが美味しくない。原因はタマネギを炒めるのが足りなかったので…』などと書いていたので…」
井澤「わたしが書いたンですか? 自分の書いたのを憶えていないンです」だって。で、続きを言い損ねるうちに、何を言おうとしたのか忘れてしまった。
そんなこんなで楽しく過ごしたが、帰宅してまもなく、わたしは地獄の苦しみに遭遇した。
この日の料理はほとんどが油もの。それを普通に食べてしまったのだ。腹が痛むのは不注意で仕方ないとしても、この痛みは尋常でない。20年も前だが、痛みに耐えかねて、救急車を呼んだことがある。しかし、今回は電話のところに行くこともできない。
用心していたので、ここ数年は多少の油ものを食べても大丈夫だった。この日は油断して、油を断たなかったことが原因だ。三メートルほどのトイレまで這って行ったが、布団に戻ることもできないほど。朝に近い三時頃になって、ようやくまともに布団に入ることができた。
posted by たくせん(謫仙) at 08:09|
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