2009年11月01日

両師の指導碁

02.11.22記

 前に三師三様を書いた。その続きである。
千寿先生
 ウナギのように捕まえどころのない、難解な指導碁を打つ。焦点がぼけて、どこを目標にしたらよいのか、判りにくいのだ。ひとによっては、「千寿さんには勝ちやすい」という。この方には、目標が見えるのであろう。
 局後の解説は判りやすい。特に下手の心裏を穿った説明は特筆ものだ。自分でも気がつかなかったことまで、説明してくれる。
「この手はあなたのレベルが相手なら、いい手のように見えますけど、こういう反撃があって悪い手です」
 わたしはその手を読んでいて、その上でいい手だと思っていたのであった。

ハンス先生
 先日、ハンスさんの三十目近い石を殺したことがある。おそらく、わたしが取りかけに行ったので、最後まで正しく打てるか見てくれたのであろう。
 その後の打ち方が生意気だったため(反省)、なんとこの碁を負けてしまった。これは一例だが、ハンスさんは判りやすい指導碁を打つ。今どこを攻めるべきか、守るべきか、目標がはっきりしやすい。わたしは手段では迷うことが多いが、目標で迷うことはほとんどない。ところが、局後の解説は、「ここはどうでしたか」と、こちらから迷ったところを積極的に問わないと、手段の解説だけになりがちだ。
 この、ここに何かありそうだと、ハンスさんの話を促すのが、もう一つの勝負になってくる。
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大盤解説の聞き手

02.9.29記

 9月21日、前に書いた元高校選手権者のMさんが来ていた。前回と異なり、碁の勝負以外の緊張感が取れて、ときどき笑顔をみせたりで、ずいぶん落ち着いていた。
 わたしが院生の時のことを訊いた時、「一組だった」と言う。
「ABCじゃないの」
「今はそうだけど、制度はよく変わるから」
 テレビで碁を放送するときは、解説者と聞き手がいて、コンビで大盤に並べて説明しているのを放送する。
 Mさんは、その練習をさせられた。ハンスさんを解説者にして、その「聞き手」になる。
 Mさんがプロになれたとして、トーナメントプロになるのは難しい。レッスンプロにならざるをえない。特に低段のときは、聞き手は重要な仕事なのだ。
 千寿さんが聞き手をやっていたころの体験談を交えながら、指導していた。
「自分が判ってもだめで、見ている人が判るようにしないと聞き手は務まらない」
「判らなくても、テレビの場合は黙ってしまってはダメ、「先生どうするのですか」と解説者に話を振ってしまいなさい」
「解説者が口にする前に、必要な参考手順をタイミングよく並べないと、見ている人はいらいらしてしまいますよ」
「高段になると聞き手はやりにくい。見ているほうも聞き手が知っていることを知っている。聞きにくくなるんです」

 指導碁である。千寿さんの声が聞こえる。
「死ぬのは白と黒が協力しないと難しい。白だけではなかなか死なない」
 笑い声が立つ。覗き込むと説明していた。
「ここで黒を殺すことができた。でもわたしはこちらに打って、好きなように生きなさいというのに、生きないものだから、死んでしまった。……」
 ひとごとではなかった。わたしを指導していたとき、
「ここに打つと死んでしまうけど、どうするつもり」と言いながら別なところに打ったことが何度かある。
 わたしにはそこまで口にしないといけないわけで、これが指導される者のレベルの差である。それが一局で二度あると、今日は勝たして頂けないなあ、と思う。

 久しぶりに二次会に出席した。
 千寿さんの碁の話が出たのだが、アマ高段者でも、わたしの「三師三様」と同じ感想をしたのがおかしかった。この指導の仕方は、どうやらわたしの時だけではなかったのだ。
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三師三様

02.8.20記

 私も一通り三師の指導を受けた。もちろん三師が本気になれば、井目でも歯が立たないが、一応五子で指導をお願いしている。
 以下は、現在の棋力から感じたことである。もう少し強ければ、師も違う教え方をされ、違った感想になるだろう。

千寿先生
 千寿さんの手は柔らかい。一手一手は難しい手とは思えない。この場面ならば、おそらく私でもそう打つだろうと思う手を打つ。それならば互角のはずなのに、五子の碁が百手超えるころに碁になってしまっている。
 どの手が悪かったのか、師に指摘されないと気がつかない。こちらがこの一手と思い込んでいても、方向が違う、手筋から外れていると、指摘される。
「相手が2線を這って逃げたら、逃がしたと思わず、謝ってきたと、喜びなさい」

健二先生
 一区切りがついて、さて次の展開は、というとき、よく予想外の手を打つ。打たれてみると、私が考えていたより一段上の手である。一段上の手であって、理解できないほど難しい手を打つわけではない。私が動揺して、思わず反発してしまうと、
「全体を見渡して黒が圧倒的なのだから、こんなとき、わざわざ紛れる手を打つ必要はないでしょう。反発したため、こことここが弱くなってしまった。反発することが、いつも悪いわけでありませんが」

ハンス先生
 いつも、もう少しだ、おしい、と思わせる。
「あそこでうち欠いておけば、1手勝ちだったのに」
 もしそうしたならば、そこでハンスさんは手を変えて、決してこちらの考えたようになるはずがないのに、そう思わせて、ゲームを楽しませる。大石を取りあげ、
「マイッタですか、あっはっは」
 まるで互先を打っているような感覚にさせられる。だから、私が勝ったとき、千寿さんや健二さんには、「勝たしていただいた」と思うのに、ハンスさんには「勝った」と思う。
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2009年10月31日

千寿さんの帰国

02.5.18記
 健二先生の指導を受けたが持碁(引き分け)だった。
「まさか、数えていたのでは?」
「いえいえ偶然ですよ、三面打ちの指導碁では、とてもそこまではできません」
 信じておくことにしよう。
 今日はBSの取材があったが、中心は15歳の少年オンドラ君である。日本語で堂々と受け答えしていた。
 さて、師はフランス各地を回ったが、ここで子供たちの全国大会が開かれ、小学生・中学生・高校生の各優勝者を日本に招待することになった。
 来年はこのメンバーでツアーを組んでフランスに行きませんか、なんていう話の後で、こう言った。
「フランスでは碁の話ばかりしていてはダメです。それでは立派な大人とは認めてもらえません。少なくとも自国の文化を説明できなくては」
 山道を自動車で上っているとき、スリップしてバックし、車の尻が崖の上に突き出て、あわやという時があったという。
 一瞬、新聞の死亡記事が頭に浮かんだと、笑いながら言っていたが、聞いているわたしも思わずヒヤリとする。いろんなことがあるものです。

 そもそも日本の文化とは何だろうか。
 碁や将棋以外では、歌舞伎・茶道・和楽器・舞踏・日本画。
 これらは、わたしにはすべて知らないことばかりである。
 だが潘陽の日本総領事館の不手際は説明できる。野球それから酒の話なら少しはできるかも知れない。

 陰の声があり −その前に言語はどうするんだ。−
 これが最大の問題だった。
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高校選手権者の迫力

02.4.21記
 4月20日の千寿会に、Mさんという女の子が来ていた。わたしの知らない人である。わたしが風太郎さんと打っている隣で、オンドラ君に黒を持たせて対局していた。その厳しい目と面構えは、プロを思わせた。千寿さんの指導を受けたとき、尋ねてみた。
「元院生で、今は大学一年生。高校選手権を取った人ですよ。どうでした」
「オンドラ君に黒を持たせているので、びっくりしました」
 わたしは指導碁を終え、Mさん対ハンスピーチ四段の2子局を覗き込んだ。盤面全体で戦っているのに、2線には数個しか石がない。しかもハンス四段がたじたじとなっている。しばらくしてMさんは、コウの対応を誤り、敗局となった。
 講座で皆に紹介された。院生5年になる。千寿さんは笑いながら言った。
「そんな人が高校生の大会に出るんではない」
 昔は院生をやめてすぐにアマの大会に出るのは、御法度であった。現在は、厳しいことは言わないらしい。その後千寿さんは、Mさんに先ほどの対局を大盤にならばせ、解説した。
 このときはあの迫力が消えて、普通の女の子に戻ってしまった。顔は同じなのに別人のように思えた。
 千寿さんは、その碁を評して、まだまだ強くなる可能性を秘めていると、院生復帰を勧め、さらに各プロ棋士の勉強会への参加を勧めていたが、これ以上はわたしの理解の外である。
 今日、千寿さんの指導を受けたときは、5子であった。となりの人に言った。
「5子で格好が付いているが、でも千寿さんが本気で打つと9子でも勝てないんだけどね」
 千寿さんはフフフと笑っているばかり。
 充実した1日でした。
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2009年10月30日

教えること・教わること

02.7.14記

 この日、わたしは初級の女子学生と打ったのであるが、稽古碁より緊張した。はじめ、初級者は上手の真似をする。
 おかしな手、手のない手など、真似をされては困る。そう思うと、まず手のない所には打つことはできない。そのための懸命なヨミがいる。わたしが手本を示すという、いつもとは逆の立場になったのである。
 このあたりのことは、人によって考え方がちがうだろう。
「その人が勉強する気があれば、そんな配慮に関係なく、強くなっていくさ」
 そこまでになれるかどうかが勝負でもある。
 わたしと千寿さんは井目(9子)の差がある。だが、稽古碁は5子でお願いする。
 ある人が、やはり5子で教わっていた。わたしでも5子を置かせて碁になる。だが、ここまでになると、上記の配慮はあまり考えない。
「先生と打つより、みんなと打つ方がよほどきつい」
 話は戻して。
 その後、ゲタでの取り方や切り違いの対処の仕方など説明し、実際にやらせてみた。
「こういう具体的な技術をクラブで教わらなかった?」
「自分で本を読んで習いました」
 それを実戦で気がつくようになるには、自分の手でなんども石を並べて再現すべきなのだが、勉学に忙しい身では、機会も少ないようだ。
 ひとのことは言えない。わたしも勉強する時間はここしかない。
 この日はハンスさんに快勝し、いい気持ちで帰りました( ^.^)。次回は置き石を減らそうかな。(^。^))
 最期に呉清源さんの言葉。
「指導碁で先生に勝てたのは、本当に勝ったのではない。それを気付いているかどうかが、勝負になっている。本当に勝ったと思うのは迷信である」  
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西洋と日本と

02.3.30記
 一月。
 千寿会も新年度に切り替わる。わたしは正式にこの会に参加することにした。
 不思議なことに急に仕事が忙しくなったのである。休日出勤なんて毎年一二回であるが、今年はすでに三回も経験した。それが全て千寿会の日なのである。午前中仕事をし、午後は千寿会に顔を出した。
 正月の第一回目は、ハンス・ピーチ四段が来た。ドイツ人のプロ棋士で、オンドラ君の先輩である。なおオンドラ君はいつも来ている。ハンス・ピーチ四段は、いかなる理由か頭を丸めていた。もちろん日本語を完璧にこなす。
 話は飛ぶが、三月にルーマニアの青年が来た。元院生で、東北の大学に留学のための再来日である。名前を自分の言葉で言ってくれたが、初めから終わりまで全く聞き取れない。千寿さんも笑いながら「もう一度言ってみて」
 やはりまるっきり聞き取れない。
 院生修行をしていたことから判るように、アマとしては飛び抜けた力を持つ。故国にいる間、ほとんど碁を打つ機会がなく、棋力はかなり落ちて、留学先の大学の代表(三人)になることも難しいらしい。
   
 さて、正月の話は、西洋と日本の女性特に母親に対する世間の態度についてであった。
 千寿さんにはお子さんがいる。フランスで、
「こどもが待っているので早く帰りたい」
などと言うと、こどもに振り回される自立していない女と、非難の視線が集まる。ところが日本ではお母さんになってしまい、一人で出歩くと、こどもを放っているお母さんと非難される。空港のゲートを通る瞬間に、態度を切り替えなければならない。
 千寿さんは態度を切り替えることができるが、一般の人にはなかなかできないことである。幼稚園などに行くと、小林千寿さんから、ケンちゃんのお母さんに変わる。
 わっ、ケンジ先生、ゴメンナサイ… m(_ _)m 
 適当な名前が思いつかなくて…
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コンケイさんと目碁

02.3.30記
 二月はコンケイさんこと近藤啓太郎さんが亡くなり、氏の思い出を話した。
 コンケイさんが碁が好きだったことは、江崎誠致さんの本で知っていたが、千寿さんの話は、ある人と目碁(めご)を打った話である。目碁とはある種の賭碁のことである。
 コンケイさんは脇で見ている千寿さんの目の動きをみて、手段の模索をした。そのためコンケイさんからは見えないように新聞で目を隠して、碁を見ていたとか。

 この日は、碁なし酒ありの二次会をした。このときのAさんの話を紹介しよう。Aさんはアマの高段者である。ある日奥様が碁を習いたいと言うので、自分は忙しいので、ある先生のところに習いに行かせた。一通りのルールを教わると、後は実戦形式で教わることになる。
 ある日奥様が、先生は意地が悪いの冷たいのと、プンプン怒っていた。どうしたのか問うと、
「先生に叱られた」
と言う。
「Aさん、誰も見ていないからといって、二カ所に打ってはいけませんよ」
 この話に一同腹を抱えて笑ったが、更に続けた。
 一局終わると、それを並べ直して、先生は、
この手はここがおかしい。あの手はこう打つべきだ。ここはうまく打った。
などと、説明してくれる。奥様の先生も、
「Aさん、どう打ったので負けたのか、判りますか?」
 奥様はある白石を指して曰く、
「先生がここに打ったので負けた」
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渋い手甘い手

02.3.28記
 話を戻して、十二月に千寿会に行ったときは、かささぎさんが、最初に声をかけてくれた。かささぎさんが千寿会のホームページの主催者である。
 わたしはホームページで千寿会を知ったので、本名は知らなくても、ハンドルネームで判る。わたしも「たくせん」で通している。
 この時八人の(女子)大学生がゲストとして来ていた。強い人は学生初段から下は九路盤のレベルの人までいた。
 ここで学生初段とことわったのは、学生は一般の初段より3子程度レベルが高いらしいからである。
 なお、碁の盛んな大学では、独自に段級制度を持っているので、段や級で棋力を計ることはできない。
 1時に始まった対局も四時前後に終えて、4時半から講座であるが、その間のティータイムに、千寿さんは講座の前座として、碁に関連する諸々の話をしてくれる。
 この時は、言葉の違いによって碁の思考が変わるという話をした。
 日本語と英語は違うというような単純な話ではなくて、言葉の概念の相違である。
 碁が判る人には説明するまでもないが、「からい手」「甘い手」「渋い手」などという言い方がある。
 これを直訳して英語で話すと意味が変わってしまう。
 日本では甘いと言えば貶す言葉であるが、英語では良いという意味に取られるらしい。他の言葉も同様に概念が違う。
 ある手に対して、どうしてそう打ったのか訊くと、日本人は「……の感じがした」「形がいい」というように答えるが、西洋人はとうとうと理由を説明するそうである。
 そんな話をしてから講座を始めたのであるが、大盤解説をしながら、いきなり、
「オンドラ君ならどこへ打つ?」
と話を振る。
 十五歳のチェコの少年は、日本語で答えるのであるが、とっさの会話に答えられる言語力に仰天した。
 もっともこれは、言語力が弱いわたしだけの感嘆かもしれない。
 院生Cクラスを突破して、いまBクラスでもまれている。チェコの片田舎(碁の世界では)に、このような棋力の少年が生まれたことにも驚くべきである。
 この少年を見つけたことを話す千寿さんは、実に楽しそうだった。
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2009年10月29日

みんなそうしていますよ

02.4.10記
 こんな話もあった。各国の国民性をあらわすジョークである。正確には覚えていないので、主旨だけを読みとってほしい。
 例えば、タイタニック号の難の時なら、救命ボートが足りない。ボートに乗るのを諦めてもらうための説得方法である。
 イギリスには「紳士ならば遠慮すべき」
 ドイツ人なら「法律により優先権は……」
 アメリカ人には「強い男は女やこどもを先に…」
 ……
 最後に日本人には「みんながそうしていますよ」
 このジョークには日本人も笑ってしまうが、それは日本人も心に余裕ができたからではないか。判りやすくドイツ人を例にすると、ドイツ人はみんなが法に従うという前提がある。特定の個人だけではこの話は成り立たない。つまり、ドイツでは法に従うことを「みんながそうしている」のだ。
 同じくイギリス人ならば、「紳士ならば、…」ということが、「みんながそうしている」のである。
 結局は、どこの国の人も、みんながそうしている事に従っている。その理由が、法であったり、宗教であったり、マナーであったりする。
 日本にはそのような画一的なものはない。そのため、人によっては、みんながやるというと、なぜやるかという理由が判らずに従う人がいる。わたしもそんなときがある。
 ここまで、瞬間的に心に浮かび笑いとなる。
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総領娘は世界を目指す

02.3.28記
 わたしと千寿さんの出会いは、千寿さんが高校二年生のときにであった。おそらくプロ試験に合格したばかりであろう。千寿さんが指導碁を打っているのを見ていたのである。相手が一手打つたびに、右の耳の上あたりに、髪を押さえるように手を当てて、考えるふりをする。見ていて楽しくなってくる。まして高校 二年生ともなれば、かわいい盛りである。たちまちファンになった。だが、千寿さんはそのころ大きな悩みを抱えていたらしい。大学に進学するか。碁の修行に専念するか。以下、わたしの推測である。
 トーナメントプロを目指して猛勉強中であったが、これは難しい。大学に行きながらの碁の勉強ではなおさらだ。小林光一さんは高校の半ばで学校をやめて、トーナメントプロを目指したほどである。碁で生きて行くには、レッスンプロになる可能性が高い。いっそ別な仕事をとなれば、大学に行きたい。
 間もなく結論を下したようだ。高校を卒業と同時に、外国に旅行するようになった。もちろん碁の普及のためである。その精神は今も変わらず、毎年のように外国に行っている。そして有望な少年を見つけると、日本に連れてきて、院生修行をさせている。
 2001年12月、わたしは千寿会に行き、千寿さんに再会した。もちろん再会というのはこちらの一方的な思いこみで、千寿さんがわたしのことを知るはずがない。このとき、チェコの少年を連れていた。まだ義務教育も終えているかどうかという年齢なので、気配りが大変であるが、いままでもこうして何人もの外国人を育てている。プロになった人もいれば、故国に帰って、アマとして活躍している人もいる。
 千寿さんが、日本ばかりでなく、外国まで出向いて、碁を教えるのは、十代に始まっていたのだ。
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千寿会について

02.3.23記
 千寿会はプロ棋士小林千寿さんの主催する囲碁倶楽部である。
 一般的に言えば、日本の囲碁世界は高年の男性世界である。中国や韓国をはじめ世界中で青少年のプレイヤーが増えているのに比べると、かなりいびつである。原因はいろいろあるが、イメージが暗かったのと、誘惑が多いことではないか。世界一のパソコンゲームの国であり、無理もないが、最近異変が起きた。劇画の世界に「ヒカルの碁」が登場した。これによって少年たちに碁がブームになったのだ。まず、イメージが明るくなった。そして少年たちが碁の魅力を知った。
 千寿さんは、
「子供と女性に碁を覚えさせたい。女性は将来お母さんになる。お母さんが碁を生活の一部にしていれば、必ずその子供も碁を覚えるであろう。現在のブームはいずれ消える。その前に少年の世代に碁を定着させたい」
 そう言って、現在、あちこちの子供教室で指導している。
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2009年10月26日

欧州のこどもたちの碁

 10月24日(土)の千寿会に大勢のゲストが来た。欧州のこどもたち9名と付き添い4名。日経新聞などの協賛で日本に来て、碁の勉強中だ。故ハンスピーチを記念したメモリアル・トーナメントに参加したこどもたち。
 関西からも二人。
 これだけ大勢が一度に来ると、千寿会会場は盤石が足りなくなってしまう。
 日本棋院で打ってきて、「日本の小父さんたちは弱い」(^_^)。
 強い人は日本では七段でも通用するだろう。一番弱いのが9歳の女の子5級程。
 わたしは団長さんと二局打って快勝し、千寿さんに報告すると、「ああ団長さんは弱いから」だって。
 大人は日本の大人と同じような打ち方をする。このドイツ人の団長さんは、頭を下げて、「おねがいします」と挨拶してから対局する。
 こどもたちは一般に読みが深い。布石がそれほどでもないからと侮っていると、あっという間に負けてしまう。
 千寿さんは、「日本のおじさんたちは弱いというわけではないが、急激な打ち方はしないので、読み切らずになんとかなるだろうと思って打ってしまい、そこをつかれる」という。
 複雑な定石をよく知っていても、簡単な初歩の定石を間違えたりする。そんな時鋭く切り込まれ、「こんなはずでは…」となってしまうわけだ。
 そのあと、千寿さんの指導碁を受ける。我ながらうまく打てて碁になったと思ったが、思わぬ失着から、一挙に崩れてしまった。これも「読み切らずになんとかなるだろうと思って打ってしまって」そこから崩れた手だ。

 終わってから例の如く有志の反省会。関西から来た女性は世界中を回っているひとだ。
 たとえば「中国では『わたしは日本人です』という言葉を、広東語では『…』、普通語では『…』」と言い分ける。
 季刊誌「囲碁梁山泊」の発行にもかかわっている。(詳しいことは聞き漏らした)
 某プロ棋士の兄という男性も話題は豊富。碁を通じてあちこちに知り合いがいる。
 わたしも碁を通じて、多くの人を知った。碁を知ってよかったなと思う一瞬。
 囲碁梁山泊についてはさろんどご参照
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2009年10月12日

渋澤真知子囲碁教室

 10月10日は目の日だという。わたし体育の日と覚えていたが、今は違うとバカにされてしまった。その目の日に千寿会のメンバー7人で、渋澤真知子囲碁教室を訪ねた。
 高井戸までは少し遠い。わたしには一時間半の距離だ。
 去年、渋澤真知子さん主催の囲碁会に出て以来、一度は教室を訪ねたいと思っていた。
 真知子さんは棋院の仕事もあり、教室はいつでも開いているわけではないので、事前に予約しなければならない。こちらも各人に都合がある。ようやくまとまったというところ。
 高井戸駅で待ち合わせ、教室に向かう。五百メートルほど歩く。住宅街の一画に教室はある。

 PA102635.JPG
 一階はご母堂の高井戸治療室。
 二階が真知子さんの囲碁教室だ。手前の部分だけなのでかなり狭い。あくまでも囲碁教室で、碁会所ではない。
 我々が二階に行くと、一組が対局していた。入りきれなくなってしまう。
 二階では三人が指導碁、一組が対局。下の治療室の一部を借りて、二組が対局ということで凌いだ。
 教室は外見とは裏腹に内装は檜造りのイメージ、碁を学びに来る子どもたちの健康を考えてと聞く。無垢の檜に囲まれた教室は中高年者には憧れ。子どもたちより先に大人が喜んでしまう。
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2008年12月14日

第六回藤沢秀行書展

 昨日は千寿会。出席者が多く、千寿さんも一時帰国した。
 部屋の碁盤を総動員して熱戦が行われている最中に、千寿さんが提案した。
「近くの松坂屋別館四階で秀行先生の書展が開かれているので、碁はこのままにして見に行きませんか。いま秀行さんも会場に来ています。会いに行きましょう」
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2008年10月08日

隅の死活

杉の宿の続きなのだが、碁の話も。
誰と打ったか忘れたが、次のようになった。

sugigo-1.jpg  sugigo-2.jpg
白▲で生きている。この形は死活の基本形である。黒1・白2を交換して、黒は他へ向かった。
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2008年06月30日

老人と女の子

 前に金庸はかなり碁が強いという話を書いた。参考雲松書舎
 金庸小説は全部翻訳されていて、わたしは全て読んだが、同じような武侠小説でも他の作家はそれほど読まない。
 金庸小説の特徴は、碁の話が出てくることと、老人と女の子が元気なことであろうか。更に歴史性を持っていて、ラブストーリー。
 前にも紹介した、天龍八部・書剣恩仇録・碧血剣・倚天屠龍記と、けっこう碁に重要な意味を持たせている。
 なお、碧血剣は現在テレビ放送中(チャンネルNEKO、毎週2話ずつ、計30話)だが、わたしはテレビを持っていないので見ることができない。DVDをパソコンで見ている。千寿会では風弟もテレビを持っていないと言っていた。風弟は買わないのだが、わたしは買えない。
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2007年12月23日

千寿先生の一時帰国

 昨日は千寿会。千寿さんが一時帰国し、忘年会もあって部屋が満員。盤石が足りなくなった(^。^))。
 女侠のO師叔に指南して頂く。本来は4子置かねばならないのに二子局。
 我ながらうまく打てて、勝ち碁だった。それがこれで終局ですと最後の駄目を詰めたのが敗着。なんとアタリに気がつかなかった。ウワー(涙涙涙)。もう二度と機会は訪れないだろう。
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2007年07月23日

錯覚

 おとといの千寿会は久々にOさんが現れた。女流アマの王者となった人である。
 手が空いていたわたしはさっそく申し込んだ。
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2007年07月09日

定石は変化している

わたしは定石には疎いのだが、それでも幾つかの定石を知っていた。
その一つに次の図がある。
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